本書は私が誰よりも読みたいと思っていた本だ。それと同時に、私が誰よりも書きたいと思っていた本だ。なぜなら私は15年近くも中村を追い続け、いつかは一冊に纏めたいと熱望した書き手だからだ。
それゆえ本書を手にした時の心境は複雑だった。中村の半生を読めるという至上の喜びと同時に、猛烈な悔しさもこみ上げてきた。「ウレシー!」と「チクショー!」が同時に押し寄せ、涙腺が決壊するという不思議な状況に陥った。
私はライターとして虫の息になった自分にとどめを刺すつもりで本書の扉を開いた。実際、常井が明らかにする未知の逸話に何度も叩きのめされた。しかし、読み進めていくうちに、自分の中に再び生きる力が湧き上がる兆しを感じた。それは本書が単なる告白本にとどまらず、一度は政治的に死にかけた存在が、しぶとく再生する物語だったからだ。
立場的な死は本当の死ではない。生きづらさが心を重くする今の日本でも、命をつないでいけば再生は可能だ。中村はまぎれもなく、この事実を体現する生き証人だった。
本書では、二世政治家である中村が人知れず抱えてきたコンプレックスも明らかにされている。中村を支えてきた家族、中村の選挙を実現可能にしてきた秘書や友人、古くからの支援者らの思いが和音のように響き合っている。そして中村が「無敗の男」でありつづける理由が、「普通の人たち」に支えられる組織論とともに解き明かされている。
私は選挙の取材を長く続けてきたライターだ。しかし、中村のように選挙を戦う政治家を他に知らない。だからこそ追い続けてきた。それは間違っていなかった。しかし、そのことを常井の仕事で確認する羽目になったのは大きな誤算だった。それでも大手メディアに属さない在野の物書きである常井の偉業は、私にとって強烈な気つけ薬となった。
中村の選挙のすべてを明らかにした本書は、民主主義の根幹である選挙の教科書だ。選挙に勝ちたい者、勝たせたい者がいる支援者にとって、読まない選択肢はない。読まない者は運を天に任せ、風まかせの選挙結果を震えて待てばいい。
この本の歴史的な価値を語る時、常井に負け続けた私でなければ補えない視点が一つだけある。それは中村喜四郎に半生を語らせることが、いかに困難であるかという事実の提示だ。
もちろん本書には、ゼネコン汚職での逮捕以来、中村が検察に対して「完全黙秘」を貫いてきた経緯が詳述されている。140日間に及んだ勾留中、中村はエリート検察官たちを相手に供述調書を一通も作らせなかった。また、大のマスコミ嫌いである中村が、選挙の際の個人演説会場から報道陣を締め出したことへの言及もあった。
しかし、私は本当の凄さを読者に伝えたい。常井の偉業が軽く見積もられてしまっては、三度も殺されかけた私は死んでも死にきれない。もし、私にまだライターとしての存在意義があるとすれば、同時期に未踏峰に挑んだ者として厳しさを語ることぐらいしかない。