田中角栄一覧

【田中角栄】に関するニュースを集めたページです。

田中派は選挙でも躍動した(時事通信フォト)
田中角栄派閥、選挙運動で戦闘集団として威力を発揮 総裁選では『ローラー作戦』も
 1972年、田中角栄は佐藤派から81人の議員を引き連れて木曜クラブ、いわゆる「田中派」を結成した。大派閥をバックに直後の自民党総裁選に勝利し、総理大臣となった。あれから50年──。すっかり熱気の失せた参院選を前に、かつて政界最強を誇った田中軍団の輝きを振り返る。【全4回の第3回。第1回から読む】 * * * 田中派が戦闘集団としての威力を最大限に発揮したのが選挙であった。若手時代、木曜クラブの事務局員だった衆院議員の石破茂氏が語る。「私が職員になってすぐ参議院選挙がありました。その時は北海道から沖縄まで自民党の候補者の名前を書き、田中派の候補者を赤丸で囲みました。続いて田中派の候補者が出る地域の地方新聞を一日遅れで入手して選挙情報をチェックし、各選挙区の情勢分析をしました。併せて日本列島の白地図に選挙区ごとの区割りを書き込み、田中派が立候補する地域を赤く塗った。『まだ赤くないところも赤くして、日本全国を田中派にする』との意気込みでした」 選挙前は、誰にいつ応援に来てほしいかを候補者に聞き、応援議員を割り振った。「もちろん一番人気は田中角栄先生ですが、すべての選挙区を回るわけにはいきません。地味な応援弁士を割り当てられた陣営から不満が出た時、なだめるのもわれわれ職員の仕事でした」(石破氏) 角栄の娘婿である田中直紀氏が初めて選挙に出た時、当選確実だったため有名な議員は別の候補の応援に回った。すると、「誰がこんなの決めたの! ウチのパパを誰だと思っているの!」との抗議電話が事務所に寄せられた。「直紀さんの奥さんの田中真紀子さんでした。『直紀先生は十分お強いので、私が当確ギリギリの候補者のところに変更しました』と伝えると、『お前は誰!』と叱られました(苦笑)」(同前) 選挙戦では田中派の威光をバックに団体票を徹底的に発掘した。 角栄の秘書として政界入りした衆院議員の中村喜四郎・元建設相が明かす。「中選挙区は党ではなく、派閥が自前の候補者を擁立するため、脆弱な派閥事務所では候補者がふるいにかけられます。田中派の事務所は完璧に整備され、あと一押しすれば勝てる候補にいち早くテコ入れして影響力を持つ人を送り、業界団体を味方につけていった。重厚な協力体制は盤石で、候補者はみんな『田中先生のところに行きたい』と漏らしていました」 角栄の最後の秘書である朝賀昭氏が言う。「選挙中にある陣営のカネがなくなり、オヤジの指示でボストンバッグに実弾を詰めて寝台列車に乗って渡しに行った。当時の寝台車は浴衣がついていて、何かあってはいけないとボストンバッグを腕に紐で括りつけて、浴衣姿で車内をウロウロしたら不審な目で見られました(笑)。ともかく、本当に楽しい“戦”だったと私は思っています」 選挙用の「実弾」も豊富だった。「田中軍団の青年将校」と称された石井一・元自治相(享年87)はこうも語っていた。「盆暮れの手当も、福田(赳夫)が50万、三木(武夫)は30万だが、田中は100万」 党内で争う総裁選は国政選挙よりも熾烈だった。朝賀氏は、総裁選で「田中角栄の秘書」の重みを知ったと語る。「総裁選では党員名簿を元に全国の党員を個別訪問するのが秘書の役割でした。その際、総裁選用に普段は使わない『田中角栄秘書』の名刺を持って党員を回ると、『あの田中角栄先生からですか』と恐縮されました」 ある党員は党本部から郵送された投票用紙を朝賀氏に渡し「好きな名前を書いてくれ」と言った。「白紙の投票用紙を手渡すほど田中角栄の秘書の名刺に感激してくれました。この方法は後に福田派も真似ていましたが、最初にこのやり方をとったのは田中派。そういう選挙をわれわれは戦っていました」(朝賀氏) 前出の元田中派議員秘書は、大平正芳・福田赳夫が鎬を削った1978年の総裁選を振り返る。「オヤジの一言で都内の個人タクシーを借り切り、田中派秘書が選挙区を隈なく回りました。あの時はオヤジの政治力の凄さを感じましたね。それを見た後藤田正晴さんが『ローラー作戦だ』と言いました。警察用語でロードローラーのようにあらゆる可能性を隈なく潰す捜査を言うそうですが、選挙戦で『ローラー作戦』という言葉が広まったのは、この時の後藤田さんの発言がきっかけでした」(第4回につづく)※週刊ポスト2022年7月8・15日号
2022.07.03 07:00
週刊ポスト
田中派を支える秘書軍団もまた特徴的だった(写真/共同通信社)
田中角栄「派閥」を支えた秘書軍団 “アイドル握手会の剥がし”の役割を担っていた
 1972年、田中角栄は佐藤派から81人の議員を引き連れて木曜クラブ、いわゆる「田中派」を結成した。大派閥をバックに直後の自民党総裁選に勝利し、総理大臣となった。あれから50年──。すっかり熱気の失せた参院選を前に、かつて政界最強を誇った田中軍団の輝きを振り返る。【全4回の第2回。第1回から読む】 * * * 田中派を支える秘書軍団もまた最強だった。元田中派議員秘書が語る。「通常、田中派議員の秘書はその議員の秘書として活動します。しかし総選挙や総裁選、政局などで田中派が派閥として動く時は、『田中派の秘書軍団』として一致団結しました」 議員に負けず劣らずの有力秘書がいたことも田中派の特徴だ。角栄の最後の秘書である朝賀昭氏が語る。「早坂茂三さんはメディア対応、佐藤昭子さんは金庫番、山田泰司さんは目白の事務管理と、有力秘書には各自の専門分野がありました。秘書は自分の担当に責任を持ち、別の秘書が何をしているかは知りません」 毎日夕方になると、体格の良い秘書が5人ほど派閥事務所のある砂防会館に招集された。「夕方以降になると、田中先生は様々な会合に出る。その際、秘書の何人かが通称『PSP(プライベート・セキュリティ・ポリス)』としてボディガードを務めました。田中角栄が来ると人がドッと押し寄せるので、それをかき分ける役目でした」(前出・元田中派議員秘書) PSPは現在のアイドル握手会における「剥がし役」の役割も担った。「多くの人が先生に寄ってきますが、PSPは『この人は握手させても大丈夫』『この人は危なそうだから排除』と瞬時に判断していました。近寄ってくる一般人を遠ざけて政治はできないが、先生を危険な目に晒すわけにもいかない。通常の警察官や警備員にはできない繊細な役目を担ったのがPSPでした」(朝賀氏) 角栄率いる田中軍団だけに、そんな秘書たちの面倒を最後までみることも忘れなかった。「議員が落選すると秘書は職場を失いますが、田中派の秘書会は落選秘書の次の勤め先を必ず見つけると保証していました。“永田町私設ハローワーク”と呼ばれるほどで、これも他の派閥にはない機能でした」(同前)(第3回につづく)※週刊ポスト2022年7月8・15日号
2022.07.02 07:00
週刊ポスト
1980年、田中派の総会で挨拶をする田中角栄(写真/共同通信社)
鉄の結束を誇った田中角栄軍団、「みんな田中ファン」指導力に心酔した議員や秘書たち
 1972年、田中角栄は佐藤派から81人の議員を引き連れて木曜クラブ、いわゆる「田中派」を結成した。大派閥をバックに直後の自民党総裁選に勝利し、総理大臣となった。あれから50年──。すっかり熱気の失せた参院選を前に、かつて政界最強を誇った田中軍団の輝きを振り返る。【全4回の第1回】 * * *「私は角栄の直系だ」「当時は派閥政治の全盛期。だから党本部になど行かず、派閥事務所にばかりいました。その中で『田中派』はまさに最強派閥で、お金のレベルも違った。総裁選の時にわれわれからこぼれる票はひとつもなかった」 田中角栄・元首相の側近中の側近で「田中軍団の青年将校」と称された石井一・元自治相(享年87)は、本誌・週刊ポストの取材にそう語っていた。6月4日に亡くなった石井氏が死の直前まで懐かしそうに振り返ったのは、最強派閥と呼ばれた田中派の「鉄の結束」だった。 最盛期には140人以上の議員を抱え、「数は力」の論理で政界を席巻した田中派。その力の源は、個々の持つ並外れた能力だった。 大蔵官僚として角栄政権を支えた藤井裕久・元財務相が語る。「田中派には林義郎さん、後藤田正晴さんなど政策に強い人が多く、中央官僚から一目置かれていました。また政策には強くないものの、国対で当時の最大野党の社会党と“寝技”を繰り広げた金丸信さんら政局通は国会運営で力を発揮しました。国会で法案を通すことは官僚の最優先課題であり、国会運営の観点からも官僚は田中派の面々を頼りにしていました」 角栄の秘書として政界入りした衆院議員の中村喜四郎・元建設相は、「適材適所の人事が田中派の強みだった」と振り返る。「厚生省は橋本龍太郎、郵政省は小渕恵三、大蔵省は竹下登など、田中派の有力者は省庁の要所を押さえていた。それ以外の議員は、『じゃあ自分は金丸さんと一緒に得意な建設をやろう』などと身の振り方を考え、役人や業界団体とのパイプを築いていった。さらに田中派は『他人のために汗をかけ』『他人の選挙に協力できないと失格』が合言葉で、田中さんや先輩の目が光っているから抜け駆けできない。自然と適材適所の人事が定まり、その中で皆が一生懸命に鍛錬して政治家としての力量を伸ばした」 鉄の結束を誇る田中軍団をまとめあげたのが、角栄の「人間力」だった。 中村氏は「みんな、田中さんが好きだから集まっていたんです」と語る。「軍団と言うと指揮命令系統に沿って上意下達で動くイメージですが、私が感じる田中軍団は、田中さんの指導力に心酔した人が集まった集団でした。自分が仕える国会議員よりも田中さんへの忠誠心が強く、『私は田中角栄の直系だ』と口にする秘書も多かった」 尋常小学校卒で総理に上り詰めた叩き上げ。そんな角栄の人柄を示すエピソードには事欠かない。「田中さんは派閥の人間とゴルフをする時、2人で回るんです。プレイ中に『あの省の次の事務次官は誰になるんだろうか』と情報を集めたり、社会問題についての意見を求めたりする。マンツーマンで付き合うことで田中さんとの関係が深まって、ますます彼に魅了される。それが田中軍団の原動力でした」(藤井氏) 金権体質が指摘される角栄には「札びらで頬を叩く」との批判もあった。だが中村氏は、「それでは人の気持ちはついてきません」と指摘する。「例えば盆暮れにお金を渡す時、ポーンと机の上に置かれたら誰でもムッとします。でも田中さんは、決して少ない額ではないのに、『本当に少なくて申し訳ない。わずかな分だけど』と最敬礼して相手に渡していた。これが効くんですよ。 選挙応援で地方に行けば、その地域の代議士の運転手にも『今日はありがとう』と心づけを渡し、料理屋では下足番や仲居にまで心づけを渡していた。人の下で働く下積みの心を理解するからこそ、みんなが田中ファンになる。これはお金ではなく気持ちの問題です」(第2回につづく)※週刊ポスト2022年7月8・15日号
2022.07.01 07:00
週刊ポスト
国土庁長官、国家公安委員長、自治大臣などを務めた石井一氏が亡くなった(時事通信フォト)
石井一・元自治相が亡くなる間際に語っていた師・田中角栄の凄みと義理堅さ
 元自治相で民主党副代表を務めた石井一氏が亡くなった。87歳だった。晩年の石井氏は、政界の師である田中角栄氏の再評価に向けて尽力し、ロッキード事件での冤罪を訴えていた。 石井氏は、亡くなる間際、本誌・週刊ポスト2022年5月6・13日号に登場していた。国会議員OBがそれぞれ注目する現役議員に向けてメッセージを発する企画だったが、石井氏は林芳正・外相の名を挙げ、「将来の総理候補」と高く評価。その上で、田中氏を引き合いにこう課題を述べた。「林が総理になるには、越えなければならない課題がある。これからの日本に必要なのは従来の対米追随、官僚迎合の外交ではなく、国益のための自主外交だ。しかし、自主外交をしようとすれば、ことごとく官僚と対立する。アメリカと逆の路線を進まねばならない場面も出てくるから当然軋轢が生じる。だから口では言えてもなかなか実行できない。唯一、やった政治家が我が師である田中角栄だった。 田中は旧ソ連との交渉で、第二次大戦の時から残った未解決の諸問題に北方領土4島が含まれることをブレジネフに詰め寄り、『ダー』と認めさせた。そして旧ソ連以外にもフランス、カナダなどと独自の資源外交を繰り広げた。アメリカは反発し、官僚も反対した。それを乗り越えて田中は自主外交を展開した結果、アメリカの虎の尾を踏み、晩年はロッキード裁判で苦しむことになった。このように国益のための自主外交は壁が厚い。果たして林芳正にそれができるか」 なかでも最優先課題として挙げたのが沖縄の米軍基地問題で、「普天間基地を嘉手納に移すのが最も合理的ですぐにできる」「田中角栄ならやっただろう」と力説した。 取材は4月19日、東京都内の事務所で行なわれたが、話すうちに気持ちが乗ってきたのか、予定の30分をはるかに超えた。発売後に本人から記者に電話があり、「ポストを見た知人から連絡がきて、オレの発言が一番よかったと言われた」と嬉しそうだった。 本誌は何度も石井氏から田中氏への想いを聞いたが、昨年6月11日号には、田中氏の義理堅さが窺えるエピソードを教えてくれた。「社会党の大出俊の親族が亡くなった時、田中に『おい石井、ちょっとワシの代わりに行ってくれ』と言われて、香典を渡されました。分厚くて50万くらいは入っていたでしょう。大出俊といえば“国会止め男”で、いわば政敵。その親族の葬儀に50万も出すとは、と思ったものです。 喪服に着替えて出る用意をしていたら『時間ができたんでな。ワシが行くよ』と言って本人が出席した。他党であっても義理は欠かず、そのうえドーンと張り込む。田中らしいと思いました」(同前) 師との対面が果たされることを願い、ご冥福をお祈りしたい。
2022.06.06 17:00
NEWSポストセブン
国土庁長官、自治大臣などを歴任した石井一氏(右)が林芳正外相に提言(時事通信フォト)
石井一氏から林芳正外相へ「優等生の殻を破り角栄のように自主外交をせよ」
 国内外で問題山積の日本の政界。しかし岸田政権、そして現役政治家たちの足取りは重い。政界の先達として、国土庁長官、自治大臣などを歴任した石井一氏(87)が林芳正外相に向け提言する。 * * * 林芳正外相のことは、親父の林義郎が私と当選同期だった関係で彼が子供の頃から知っている。 外務大臣に必要なのは、アメリカとの関係づくりと、霞が関の官僚との関係を良好にこなすこと。その点では満点に近い。 政治的な勝負もできる。林と安倍元総理は父親同士が同じ中選挙区で争った間柄で、本人同士もライバル関係にある。そういう状況の中で林は安倍の反対を押し切って昨年の総選挙で衆議院に鞍替えした。岸田総理はそんな林の力量を認め、安倍から目を付けられることを承知で外務大臣に起用したのだ。外相として実績をあげれば、いずれ総理というポジションまで来ているといえる。 だが、林が総理になるには、越えなければならない課題がある。これからの日本に必要なのは従来の対米追随、官僚迎合の外交ではなく、国益のための自主外交だ。しかし、自主外交をしようとすれば、ことごとく官僚と対立する。アメリカと逆の路線を進まねばならない場面も出てくるから当然軋轢が生じる。だから口では言えてもなかなか実行できない。唯一、やった政治家が我が師である田中角栄だった。 田中は旧ソ連との交渉で、第二次大戦の時から残った未解決の諸問題に北方領土4島が含まれることをブレジネフに詰め寄り、『ダー』と認めさせた。そして旧ソ連以外にもフランス、カナダなどと独自の資源外交を繰り広げた。アメリカは反発し、官僚も反対した。それを乗り越えて田中は自主外交を展開した結果、アメリカの虎の尾を踏み、晩年はロッキード裁判で苦しむことになった。 このように国益のための自主外交は壁が厚い。果たして林芳正にそれができるか。現状の林は優等生すぎる。外相としての得点は95点だが、残りの5点、自主外交ができているかという一番重要な部分に欠けている。総理を目指すなら、その覚悟を決めねばならない。 自主外交の具体的な課題は2つある。 1つは沖縄の米軍基地。完成が見通せない辺野古にこだわることは国益にもとる。普天間基地を嘉手納に移すのが最も合理的ですぐにできる。アメリカは一緒にはできないなどと言っているが、それをやれば普天間の問題は解消。基地の跡地を東洋一の海洋リゾートにすれば沖縄の経済復興にとどまらず、日本全体の経済が活性化する。田中角栄ならやっただろう。 2つめは北朝鮮との国交正常化。虚勢を張って弾道ミサイルをアメリカまで撃ち込む技術を持ったと主張しているが、実際にはまだ難しく、日本だけが脅威にさらされている状態だ。喉から手が出るほど日本の戦後賠償が欲しい北朝鮮は本音では日本との国交正常化を望んでいるが、アメリカも韓国も反対する。私が議員だった頃、外務官僚を目の前にそれを求めたら、めちゃくちゃに震え、反対していた。 林芳正は非常に優秀だから、何をやったらどれだけのダメージになるかを計算できる男だ。だが、それが邪魔になる。 政治家は勇気、決断、実行力が不可欠。その資質が最も問われる自主外交に林芳正が一歩踏み込めば、後世に残る外務大臣、総理大臣になれる。その覚悟があるか、だ。【プロフィール】石井一(いしい・はじめ)/1934年生まれ。国土庁長官、自治大臣、民主党副代表などを歴任。※週刊ポスト2022年5月6・13日号
2022.04.28 16:00
週刊ポスト
アイチ森下安道伝「アイデン事件」で明らかになった小佐野賢治との蜜月
アイチ森下安道伝「アイデン事件」で明らかになった小佐野賢治との蜜月
【連載『バブルの王様』第二部第1回】大手ノンバンク「アイチ」を率いてバブル経済の頂点に君臨した森下安道は、数々の大型経済事件に関わっていく。画商でもあった森下にとって、それはまるで「展覧会」であった。『バブルの王様 アイチ森下安道伝』の第二部1回目、ノンフィクション作家・森功氏がレポートする。(文中敬称略)【写真】取り立ての厳しさから「マムシ」と呼ばれた森下安道氏 * * * 摂政時代を含め、2度の世界大戦に直面した天皇が崩御し、元号が昭和から平成に移った。国民が喪に服した1989年、平成の始まりに日本はバブル景気の絶頂へと向かう。連載第一部で報じてきた通り、狂乱景気を謳歌したアイチグループは、貸金取扱高を1兆円の大台に乗せ、森下安道は全国の銀行株を買い占めた。福徳銀行にはじまり、地銀のなかでも最大級の横浜銀行や京都銀行の株を買い、さらに都銀の大和銀行まで触手を伸ばした。  バブルの頂点に君臨した森下は、ここから多くの経済事件にかかわる。森下自身は、1967(昭和42)年から1975年にかけ、暴行や詐欺、出資法違反、恐喝の疑いで4度逮捕されている。だが、起訴はされず、当人はそのほとんどで罪を免れてきた。起訴された刑事事件は意外に少ない。アイチを設立した草創期の1971年に脱税で摘発されたあと、1975年にトイレ洗剤メーカー「サンポール」社長に対する強要事件を引き起こしたくらいだ。 もっとも、そこから「マムシの森下」、「企業の葬儀屋」、「地下経済の帝王」などというありがたくないあだ名で呼ばれるようになる。それだけに、刑事事件を恐れるようになったのではないだろうか。  その森下が最後に逮捕、起訴されたのは1980年代半ば、照明・オーディオ機器メーカー「アイデン」偽装増資事件だった。東京地検特捜部によって摘発された。それ以来、数多あるバブル経済事件に深くかかわっていながら、本人は捜査対象にはなっていない。それはアイデン事件で何らかの教訓を得たからのように思える。増資詐欺の元祖の事件 名機AFスピーカーシリーズで知られるアイデンは、1970年代のオイルショック以降、業績が低迷してきた。資金繰りに窮した創業家の社長・山内礼一や常務の渡辺歳之のすがった相手が、森下だった。山内らは新たな株を発行して資金調達をしようとし、森下がそれに応じた。いわゆる第三者増資である。  森下と山内は1984年2月、1株250円で1280万株、32億円分の新株をトランジスタ製造販売会社「東洋電子工業」社長・橋本孔雄などに引き受けさせた。かねて森下を捜査のターゲットに据えてきた東京地検特捜部は、これを架空の見せかけ増資だと睨んだ。事実、新株を引き受ける予定だった東洋電子やアイデン子会社の「アイデン商事」では、株を買う15億円の金策がおぼつかなかった。そのためアイチが東洋電子に10億円、アイデン商事に5億円を貸し付けた。  むろん森下に抜かりはない。融資する際、2000万円の利息と同時に、株式払い込み保管証書をカタ(担保)にとった。株式払い込み保管証書とは文字通り、出資金が増資した企業の口座に払い込まれたという証明書だ。現在は不要だが、旧商法では株式増資した事実を登記するときに必要と規定され、銀行が発行してきた。  アイデンもまた、この株式払い込み保管証書を使い、東京法務局に増資の登記をした。東洋電子やアイデン商事がアイチから融資を受けたひと月後の1984年3月だ。発行済み株式総数1008万株から2288万株に変更する登記申請をした。 ただしこの株式払い込み保管証書は、企業が資金を得た証に過ぎない。登記手続きさえ終われば用済みとなる。森下たちはこれを巧みに利用した。アイデンの増資登記が終わったとたん、森下は東洋電子とアイデン商事の2社から15億円の貸金を回収した。その返済原資がアイデンに払い込まれた15億円なのは言うまでもない。とどのつまり、資金をぐるっと回し、登記という事実だけを残すための見せかけ増資にほかならない。  案の定、アイデンは増資したわずか2カ月後の1984年4月、再び資金が枯渇して倒産する。森下はこの間、創業家の山内一族が経営権をアイチに譲れば40億円の融資をする、と持ち掛けた。それがアイデンの労働組合の知れるところとなって「会社の乗っ取りだ」と拒否され、山内は自己破産の道を選んだ。  架空増資をして会社の経営状態を誤魔化し、新株を担保に金融機関などから融資を受ける。アイデンも5億6000万円の融資を騙し取った。増資詐欺は今もたまに見られるが、その元祖の事件だといえる。 東京地検特捜部はアイデン経理担当常務の渡辺を計画立案者、森下を共犯と見立てた。1985年8月以降、渡辺と森下、東洋電子の橋本らを公正証書原本不実記載や詐欺罪で逮捕、起訴した。もっとも、森下自身はしょげ返っている様子はなかった、とアイチの関係者が振り返った。 「融資をはじめ会社の書類はもちろん、社員の手帖まで地検に押収されたから、やはり業務に支障はありましたね。幹部社員だけでなく、取引先も連日事情聴取に呼ばれていました。(森下)会長自身はすぐに容疑を認めたから、接見禁止は間もなくとけた。小菅の東京拘置所にいるあいだ、会社の役員が入れ代わり立ち代わり、毎日接見に通い、そこで会長が社員に仕事の指示を出していました」 9月6日に逮捕された森下は3カ月後の12月9日、保証金1000万円を東京地裁に積んで保釈が許された。拘置所に迎えに来た真っ白のロールス・ロイスに乗り、東京拘置所をあとにした。  捜査当局にマークされ、とかく評判のよくなかった森下の事件だけに、世間は騒いだ。おまけにここには、大物フィクサーも見え隠れしたから、なおさらだった。 この年の11月12日、アイデン事件の初公判が東京地裁で開かれた。起訴状に続く冒頭陳述で検察側は次のように明かした。 「資金繰りに困った(アイデン社長の山内)被告人らは、第三者割当てによる増資を計画、小佐野賢治国際興業社主に新株引き受けを頼んだが、断られ、このことが犯行に走る理由の一つとなった」  もともとアイデン側の相談相手が、国際興業社主の小佐野賢治だったというのである。事件における小佐野の関与は明らかにはならなかったが、検察が初公判で小佐野の存在を仄めかした裏には、それなりの理由がある。戦中に軍需物資を売りさばき、戦後、ホテル王として成り上がった小佐野と森下には、深い因縁がある。  アイデン事件が起きた頃、小佐野はロッキード事件で公判中の身だった。1977(昭和52)年に国会の偽証罪(議院証言法違反)で東京地検に起訴され、1981年に東京地裁で懲役1年の実刑判決が言い渡されたあと控訴した。そのあいだも精力的に経済活動を続け、この頃は、1970年代に買収した帝国ホテルの会長となった時期にあたる。200万円の銅像を寄贈した アイデン社長の山内は、当初、国際興業グループの中核企業の一つである国民相互銀行に資金繰りを頼もうとした。それを断られ、アイチの森下が小佐野に代わって増資の面倒を見た格好だ。公判でその事実が判明し、アイデン事件に対する小佐野関与説が取り沙汰された。 「地検特捜部の本丸は小佐野ではないか」  そう囁かれた。アイチの元幹部社員が当時の状況を説明してくれた。 「小佐野さん本人から話が来たかどうかはわかりませんが、(森下)会長は小佐野さんに心酔していましたから、アイデンの山内社長から増資の話をされたとき、見せかけ増資のアイデアを出したのではないでしょうか。会長にとって小佐野さんの存在はそれほど大きかったと思います。その小佐野さんとどのようにして知り合ったのか、そこについては聞いたことがありませんが」 小佐野との邂逅について、私も生前の森下に尋ねたことがある。だが、こう言を左右に誤魔化した。 「あれは誰の紹介だったのかな。(武富士の)武井(保雄)さんからのような気もするけど、よく覚えていません」 森下が小佐野と親しくなったのは上野毛の小佐野邸に豪華な付け届けをしてきたからだという説もある。魚屋で買った高級魚を伊豆で釣ったと称して手土産として持参したとも囁かれてきた。それを素直に尋ねると、森下は大笑いした。 「そんなことするわけがないでしょう。あまりに出来すぎた話だな。そう言って面白おかしく作り話をでっちあげる人がいるんですな。小佐野会長とは国際興業のビルを八重洲に建てたときに関係ができたんだったと思う。誰の紹介かは忘れたけど、ずい分世話になりました」 古い記憶を呼び起こしてくれた。 「たしかに小佐野会長とは親しくさせてもらいましたよ。いっときは三日に上げず会っていました。1週間も連絡をしないと、電話がかかってくる。小佐野会長は三木武吉の彼女がやっていた神楽坂の料亭『松ヶ枝』を譲り受けていて、そこでよくいっしょに飯を食ったね。会長の別宅なんて呼ばれたけど、食事をしても必ず家に帰っていたよ。私の家がその帰路の途中なので、上野毛の家までいっしょにね。上野毛は7000坪の敷地の広大な家だけど、今でも奥さんの英子さんが住んでいるんじゃないかな」 やはり小佐野のこととなると思いが深い。次のようなエピソードを明かした。 「亡くなる前にせめてお礼をしなければ、と思ってね。小佐野会長を欧州旅行に招待しました。JALのパリ支店で旅行の段取りをさせ、時計をプレゼントした覚えがあります。ただ、あの人はめったにモノを受け取らない。それで記念に残る何かを贈るつもりで、銅像を本社に運んだこともありました。等身大より少し小さな160センチくらいの像だけど、200万円くらいかかったかな。造り始めると、俺にも金を出させてくれと申し出る人が多くてね、7人の連名で寄贈し、八重洲の国際興業本社に運んだんです。武富士の武井さんなんかは、小佐野さんに足を向けて眠れないくらい世話になっているからね」 小佐野がアイデン事件の黒幕であるかのように囁かれたのは、こうした森下との深い付き合いがあったからに違いない。  たとえば1980年代に地上げの帝王と恐れられた最上恒産の早坂太吉との取引でも、小佐野と森下の2人が登場する。のちに国土利用計画法違反で早坂が世を騒がせた西新宿の地上げの舞台となる。そこで国際興業とアイチはタッグを組んでひと儲けした。  それはのちに新宿副都心と呼ばれる西新宿6丁目の広さ4800平米の土地取引だ。当初、準大手ゼネコン「間組」グループが再開発を計画したが、そこに最上恒産の早坂が割って入った。やがて西新宿再開発を巡る地上げ合戦に発展し、瞬く間に地価がつり上がっていく。いわばここが都心の土地バブルの始まりであった。 暴力団を使った強引な地上げで知られる曰く付きの最上恒産に対し、間組は頭を痛めた。とりわけ開発に重要な区域の入り口部分となる300平米をどちらが取得するか。そこが最大の課題だった。4800平米の広大な再開発エリアからするとわずかな面積だが、そこがないと開発できない。間組側は、懇意にしていた国際興業の小佐野賢治に相談した。  小佐野は間組の不動産子会社「ハザマ地所」とともに1984年11月、ホテルの建設計画を立て、2社で300平米を買い取った。すでに再開発エリアの4800平米の大半を地上げしていた最上恒産の早坂は、そこに猛然と反発し、陰に陽に脅しをかけた。 そうして揉めるなか、弱り切った間組・国際興業連合と最上恒産のあいだに立ったのが、アイチの森下である。森下は早坂に手形貸し付けをしてきた、いわば金主でもあった。 「会長、間組に手を引いてもらえるよう、お願いできませんか」  森下が小佐野に頼んだ。結果、国際興業とハザマ地所は1985年2月、ホテル計画を立てた再開発の入り口部分を売却した。むろん小佐野が損をするわけではない。くだんの土地の一部は、国際興業とアイチを経由し、最上恒産へと転売された。おかげで国際興業に5億円、アイチに1億2000万円の売却益が転がり込んだ。これが、まさにアイデンの架空増資話が持ちあがった時期と重なる。 国際興業の小佐野は、1973年5月に東急電鉄グループから第二地銀「国民相互銀行」を買い取り、かねて森下や武井などいわゆる街の金融業者を支援してきた。森下にとって小佐野は、同じ甲州閥の東京相和銀行の長田庄一と並び、財界の恩人といえる。  その小佐野にはロッキード事件以外でも罪に問われ、服役した経験がある。古くは終戦3年後の1948年9月、米軍のガソリンの不正販売で重労働1年の罪を科され、刑務所から出所したあと国際興業の社長から会長に退く。正式には組織上会長というポストはなく、社長は社の長で、会長はその上に位置するという意味合いで、会長に就任したのだという。いわば通称のようなものだ。 アイデン事件で逮捕、起訴された森下は、小佐野に倣ったのだろう。東京拘置所に勾留され、3カ月後に保釈されたあと、アイチの社長から会長になる。国際興業と同様、アイチも組織上、会長職はなく、会長はあくまで呼び方に過ぎない。  アイデン事件の公判が大詰めを迎えた1986年9月、森下はここから7年間、アイチの取締役から外れるが、周囲はずっと会長と呼んだ。森下が登記上の代表取締役に復帰したのは、バブル崩壊後の1993年5月である。大蔵OBにパイプ役を期待 アイデン事件で森下に代わり社長に就任したのが、市橋利明だ。この社長人事でも小佐野は森下に手を貸している。事件の渦中、アイチの社長になった市橋は京大卒業後に旧大蔵省入りし、小佐野の率いる国民相互銀行に天下っていた。保釈された森下は虎の門病院に入院していた小佐野を見舞った。「アイチの社長を任せられる人物を探しているのですが、会長のところにはいませんでしょうか」  そう申し出たところ、小佐野が即断したという。 「それなら市橋だ。本人に言っておくよ」  森下自身にそこを確認すると、こう認めた。 「あのとき市橋は小佐野会長に頼み込んでうちに来てもらったんだよ」 アイデン事件のイメージを払拭したかった森下は、大蔵OBの市橋を使い同時に金融行政を担う大蔵省とのつながりを持とうとしたのだろう。それは、国民相互銀行のオーナーとして君臨する小佐野と同じように、銀行を手に入れたかったからだ。事実、このあたりから森下は全国の有力な銀行株を買い漁っていく。街金融業なら都道府県の所管だが、銀行は設立認可をはじめ他行との合併、金利の設定や金融商品の運用にいたるまで、大蔵省がすべての行政権限を握り、それを行使してきた。森下は市橋に大蔵省とのパイプ役を期待した。  おまけに小佐野は、アイデン事件の公判対策にもひと役買っている。ロッキード事件公判において田中角栄が名立たる大物弁護士を顧問にして争ってきたのは有名だが、小佐野と田中には30代の頃から共通の顧問弁護士がいた。戦中から終戦にかけ、広島控訴院や名古屋控訴院で検事長を歴任していた正木亮だ。控訴院は現在の高等検察庁にあたる。戦後、弁護士に転身した正木は、小佐野を田中に引き合わせた上、二人の法律顧問となった。 おかげで小佐野も検察庁やヤメ検弁護士の人脈を広げた。その一人が関野昭治である。関野は東京高検検事としてロッキード事件を担当してきたヤメ検弁護士だ。  小佐野は自社の顧問弁護士の関野を森下に引き合わせた。森下はアイデン事件で関野を代理人に立て、公判に臨んだ。ヤメ検の効果があったのだろうか、森下は事件で塀の中に落ちずに済んだ。  1986年10月16日、東京地裁はアイデン社長の山内に懲役2年6月、常務の渡辺に懲役3年の実刑判決を下した。だが、森下は懲役1年、執行猶予2年の有罪判決となり、事件は幕を閉じた。 小佐野賢治はアイデン事件の判決から2週間足らずのちの10月27日、虎の門病院で息を引き取った。ストレス性の胃潰瘍が死因だというが、ロッキード事件とのかかわりをはじめ、その生涯に謎は多い。  森下は小佐野の盟友として知られる田中角栄とも知遇を得るが、その詳細は稿を改める。森下にとって、心酔してきた小佐野の死は痛手だった。そしてこれ以降、決して事件の表舞台で役回りを演じることなく、黒幕としての道を歩んでいくようになる。(第二部第2回につづく)【プロフィール】森功(もり・いさお)/ノンフィクション作家。1961年福岡県生まれ。岡山大学文学部卒。新潮社勤務などを経て2003年よりフリーに。2018年、『悪だくみ―「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。近著に『菅義偉の正体』『墜落「官邸一強支配」はなぜ崩れたのか』など。※週刊ポスト2022年3月4日号
2022.02.26 19:15
マネーポストWEB
岸田文雄首相
安倍氏と菅氏“敵の敵は味方”タッグ結成なら「高市早苗総理」誕生も
 キングメーカーの安倍晋三・元首相は総選挙で岸田文雄首相を十分脅かせる「数の力」を維持した。自民党の善戦で安倍チルドレンの多くが生き残り、「魔の3回生」も9割が4回生となった。そしていよいよ悲願だった最大派閥・細田派の会長に就任し、名実ともに「安倍派」へと衣替えさせる日が近づいている。11月10日に召集される特別国会で、細田派会長の細田博之氏が衆院議長に就任することが内定し、派閥の代替わりのチャンスが来た。 議長は政治的中立を保つために離党するのが国会の慣例で、同時に派閥を離脱する。前衆院議長の大島理森氏も議長就任時に大島派会長を退任し、山東派(現在は麻生派に吸収合併)に衣替えした。 実は、安倍氏には簡単には会長を継げない事情があった。政治ジャーナリストの野上忠興氏が語る。「安倍氏は最初の首相就任時に清和研を離脱して以来、派閥に戻らなかった。2012年の総裁選では派閥から止められながら出馬して当時の清和研会長だった町村信孝氏と争い、首相に返り咲いても意趣返しで官房長官に無派閥の菅義偉氏を起用するなど細田派を重用しなかった。だから派内のベテラン組には安倍氏の派閥会長就任に強いアレルギーがある」 そこで安倍氏は今回の総選挙で細田派候補の選挙区を重点的に応援に回り、恩を売って会長就任に向けた地ならしをしてきた。総仕上げが、細田氏を議長に祭りあげて会長の座を空けさせる人事だ。細田派中堅は、「細田議長就任後に開かれる派閥総会で安倍さんの復帰と会長就任が正式に承認される見通し」と言う。 そうなれば、安倍氏は最大派閥の領袖としての発言力と、派閥横断的な安倍チルドレン勢力への影響力という2つの「数の力」を持つ。「大安倍派」の誕生だ。 今の安倍氏は「大田中派」を率いて“闇将軍”と呼ばれた田中角栄氏と重なると指摘するのは、角栄氏の番記者だったジャーナリストの田中良紹氏だ。「田中角栄は最大派閥の力で鈴木善幸、中曽根康弘を次々に首相に担ぎ上げたが、キングメーカーに甘んじるのではなく、自らの総理復帰を念頭に置いていた。だから総理は“ボロ神輿”で力が弱いほうがいいし、派内にも後継者、総裁候補をつくらなかった。 安倍氏も同じだ。9月の総裁選には細田派から安倍氏と近い下村博文氏が出馬に動いたが、協力しなかったばかりか、無派閥の高市早苗氏を担ぎ出した。派内から総裁候補が出る動きを挫くのは自身3度目の首相登板を考えているからでしょう」 だが、かつての角栄氏は田中派が141人と勢力最大になった途端、竹下登氏と金丸信氏に派内クーデターを起こされて病に倒れ、時の中曽根首相は角栄氏の影響下から独立した。 安倍氏の誤算も、“傀儡”にするはずだった岸田文雄・首相が本気で独り立ちに向けて動き出したことだ。「岸田首相が人事で甘利明氏や麻生派を重視してきたのは、岸田派、麻生派、谷垣グループが1つになる大宏池会構想で最大派閥の細田派に対抗し、安倍氏の力を削ぎたいという考えがある。 今回の茂木敏充氏の幹事長起用も旧竹下派を味方に取り込むためです。安倍氏には、そうした岸田首相の行動がかつて“総理にしてくれた恩人”の角栄排除に動いた中曽根と重なって見えるから一層不信感と警戒感を強めている」(同前) 安倍側近として知られる青山繁晴・自民党参院議員は、岸田首相と安倍氏の抗争の舞台裏をこう語る。「大宏池会構想というものがあって、岸田派と麻生派と谷垣グループを統合し、大きな大宏池会にして、安倍さんや細田さんの派閥よりはるか上に行ってしまおうというものです。そういう派閥次元のことを岸田さんも考えていると党内で言われていて、それで宏池会の中心人物である林芳正さんを外務大臣に持って来ると。 しかし、そうすると総理も外務大臣もすべて大宏池会に向かっての動きになるから、派閥抗争につながるわけです。とくに安倍さんは黙っていないですよね」 安倍氏が「数の力」を強めれば、岸田首相も総選挙で善戦したことで党内求心力が強まる。選挙が終わると同時に起きた岸田VS安倍の“見えざる戦争”は今、天秤がどちらに傾くかの均衡点にあるといっていい。タイミングは参院選前 注目されるのは、安倍氏が「切り札」の高市氏をどのタイミングで使うかだろう。「総選挙で思いのほか議席を得た岸田首相の力はこれからそれなりに強くなる。時間を置けば安倍氏は次第に押しやられ、不利になっていく。 政治スケジュールを見ると、来年夏には参院選がある。総選挙で善戦したとはいえ、自民党内は現職幹事長だった甘利氏を落選させた岸田首相が選挙に強いとは思っていないから、安倍氏が高市氏を担いで“岸田降ろし”を仕掛けるなら参院選前のタイミングでしょう」(前出・田中氏) 一方の岸田首相には大きな不安要因がある。新たな敵の出現だ。今回の総選挙では9月の自民党総裁選で“再起不能”に追い込まれたはずの菅前首相をはじめ、河野太郎氏、小泉進次郎氏、石破茂氏の「小石河トリオ」が全国を応援に回り、高市氏と並ぶ存在感を発揮した。“オレたちはまだ終わっていない”と反主流派が復権の糸口をつかんだ。 これまでは安倍氏との権力闘争に全力を傾けることができた岸田首相だが、参院選を前に安倍―高市の“岸田降ろし”に連動して小石河が反岸田で動けば、腹背に敵を受けることになる。岸田VS安倍の権力闘争の最終場面では、この第3勢力の動きが鍵を握ることになる。 ポイントは自民党内の権力バランスが総裁選当時と完全に変わっていることだ。「小石河連合を数の力で打ち破った3Aトリオのうち甘利氏は失脚、大宏池会構想の提唱者の麻生太郎氏は岸田首相を支持しており、いまや3A体制は崩壊して敵味方に割れている。そこに岸田降ろしが起きたとき、菅氏や河野氏らが岸田首相側につくとは考えられない」(同前) 反主流派のキーマンの菅氏にとって一番の政敵は政治手腕を全く評価していない岸田首相だ。3Aは自分を政権から引きずり降ろした敵ではあるが、もともと麻生氏や甘利氏とは肌が合わなかったのに対して、安倍氏は自分を官房長官、首相へと引き立ててくれた恩人でもある。 3A体制が崩壊したことで、今度は安倍氏と菅氏が“敵の敵は味方”と手を組めば、まさかの来年6月政変、高市総理誕生のウルトラCもありうる。※週刊ポスト2021年11月19・26日号
2021.11.09 07:00
週刊ポスト
田中角栄らしい金銭哲学(撮影/山本皓一)
田中角栄のゴルフ 同行者のホールインワンに喜んで札束を配った伝説
 三密が避けられるということもあり、令和の世で多くの人に愛されているゴルフ。昭和の時代も絶大な人気を誇った。昭和を代表する政治家の一人である田中角栄が初めてクラブを握ったのは、40代になってからだったが、「1974年にロッキード事件で総理を辞任した後は、空いたスケジュールを埋めるようにゴルフに出かけるようになった」──そう語るのは、角栄側近で自治大臣などを歴任した元衆院議員・石井一氏だ。石井氏が「忘れられない1日」として挙げたのが1980年8月18日の軽井沢72ゴルフでのラウンド。西コース14番で石井氏はホールインワンを達成した。石井氏が振り返る。 * * * 議員のコンペで、同組にはオヤジの他に林義郎君(元蔵相)、奥田敬和君(元運輸相)がいた。コンペの時はオヤジも(普段は打たない)パットを打ったし、ティショットも前のホールのスコアの順にやりました。 そのホールは砲台グリーンで、最初に打った私のボールの行方はティグラウンドからよく分からなかったが、前のホールで大叩きして肩を落としながら坂を下りてくる途中のオヤジが“入った! 入った!”と大騒ぎした。 真っ先にグリーンに走って行って本当にカップインしたのを見ると、自分のことのように喜ぶんです。それで「石井、いくら持っている?」と聞くから、「20万~30万円です」と答えると、「それじゃ足りないな」と言ってSPにカバンから分厚い封筒を持ってこさせた。 中には100万円か200万円くらいの札束が入っていて、すれ違う人、すれ違う人に「ホールインワンが出たんだ」と言って1万円札を1枚ずつ渡していくんです。キャディや食堂のウエイトレスだけでなく、人数を聞いてキッチンの料理人から清掃係まで配るように指示するし、クラブハウスですれ違うプレーヤーにも渡していました。 どんな金持ちでも1万円を差し出されたら受け取りますよ(笑)。「ホールインワンはめったに出ない。その福をみんなに分けたいんだ」と言っていましたが、いかにも田中角栄らしい金銭哲学だと思いましたね。 あまりに騒ぐものだから、私は軽井沢72ゴルフに行くと「ホールインワンの先生」と呼ばれるようになってしまいました。※週刊ポスト2021年11月5日号
2021.10.27 07:00
週刊ポスト
田中角栄らしい金銭哲学(撮影/山本皓一)
田中角栄氏のゴルフは「どれだけ多く回るか」スコアカードに所要時間を記載
 三密が避けられるスポーツとして今、ゴルフがブームだ。“ラウンドすれば相手の人間性までわかる”という点にゴルフの魅力を感じる人もいるだろうが、それは令和の今だけでなく、昭和の時代も同じだった。田中角栄が初めてクラブを握ったのは40代になってからだった。当初はアベレージゴルファーだったが、「1974年にロッキード事件で総理を辞任した後は、空いたスケジュールを埋めるようにゴルフに出かけるようになった」──そう語るのは、角栄側近で自治大臣などを歴任した元衆院議員・石井一氏だ。石井氏が振り返る * * * オヤジがゴルフに熱心だったのは、体力を養うという目的に加え、常にマスコミから監視される緊張感から解放されたかったところがあると思います。プレーしている時だけは、世論やマスコミの批判から逃れられた。 スコアはだいたい90前後。飛距離はそんなに出ないけど、真っすぐ飛ぶ。ウォーミングアップも素振りもせずに、どんどん打っていくんです。“角栄流”のゴルフはスコアよりも、どれだけ多くのホールを回るかが重要。グリーンに乗ったらパターを打たず、どんなにピンが遠くても2パットの換算でボールを拾い、次のホールにスタスタと歩いていく。それで他の人のスコアに関係なく必ず“いの一番”にティショットを打つわけです。そのままコースの端を歩いて2打目地点に向かうので、後ろから打つ我々が「オヤジ、危ないですよ!」と声を掛けるのですが、「あぁ」とか「うぅ」とか言って「早く打て」と手を振るだけ。ボールを当てたら大変だから、我々はそこそこに打って追いかける。ついていくだけで一苦労です(苦笑)。 スコアカードには「45分」とか「48分」とか、何分でハーフ(9ホール)を回ったか書いている。そのペースで3ラウンド半くらいやるんだからね。SPもついてきますが、スーツ姿で追いかけるから汗だくでしたよ。〈“コンピューター付きブルドーザー”の異名を取った超人的なバイタリティはゴルフでも健在だった。よくプレーした「軽井沢72ゴルフ」では、キャディマスターが前の組と5ホールほど空けた状態でスタートさせていたが、「それでも9ホールが終わる頃には前の組に追いついていた」と石井氏は笑う〉 そんな調子だから、前の組をどんどんパスして(抜いて)いく。ティグラウンドで待っている前の組の人たちに、オヤジが「やあ」と片手を挙げる“角栄ポーズ”で声を掛けると、笑顔で先に打たせてくれた。パーンと打ってスタスタと歩いていく姿に、たいていのゴルファーは驚いていました。残された我々もその視線のなかでドライバーを握るので、平常心で打つのは大変でしたけどね。※週刊ポスト2021年11月5日号
2021.10.25 19:00
週刊ポスト
石破茂氏に高評価が集まった理由は?(時事通信フォト)
自民党総裁候補を政治評論家5人が採点 1位は石破茂氏、共感力が評価
 わずか1年前には高い支持率を誇った現職総理が「不出馬」を表明した自民党総裁選。きたる衆院選で自公が政権を維持するならば、大きな節目となる「第100代内閣総理大臣」となる人物が、この総裁選で決まる。ここで重要なのは、総理・総裁としての資質とコロナ危機を乗り切る手腕があるかどうかだろう。本誌・週刊ポストは半世紀以上にわたってこの国の政治を取材し、歴代首相の失敗と成功を見つめてきたベテランの評論家、ジャーナリスト5人に、総裁選有力5候補の「総理の資質」を10段階で採点してもらい、現職の菅義偉氏と比較してもらった。(文中一部敬称略。別稿『「岸田文雄氏の大局観は1点」ベテラン政治評論家が総裁候補5人を採点』も参照) 評者ごとに採点時に重視したポイントは違う。元時事通信政治部長の政治ジャーナリスト・泉宏氏は「決断力」、田中角栄研究で知られる政治評論家・小林吉弥氏は「政策力」、浦和市議や埼玉県議を歴任した評論家の小沢遼子氏は国民への「共感力」、政治ジャーナリスト・野上忠興氏は人や組織を動かす「統率力」、元時事通信解説委員で鈴木善幸内閣以来、政府の行革に携わってきた評論家・屋山太郎氏は「大局観」を重視。本誌は評者それぞれの採点を五角形のレーダーチャートにまとめた。 1位は石破茂氏(26点)となった。5つの評価分野をバランス良く得点した。「共感力」で8点をつけた小沢氏が語る。「私は議員時代は革新系無所属でしたが、自民党のベテラン政治家の方々に日本の状況、地方の現実を教えていただいた。もともと保守には国民の声を汲み取る伝統があるが、現在の自民党には薄れている。その中で石破さんには国民が何を求めているかを考え、寄り添おうとする姿勢を一番強く感じる。菅首相には最も欠けている部分です」 だが、過去4回も総裁選で敗北しているのは、独善的で妥協できない性格にあると指摘する声も多い。「大局観」で3点をつけた屋山氏の評価。「政策も安全保障も自分で考え、それで納得してしまって万人に伝えるのが苦手。周りも石破の考えに納得できないから自民党という集団で孤立する。政治家が人を動かすには柔軟性が必要だが、石破は馬鹿正直で狡さもない。そうした自分自身の姿さえ見えていないのであれば、大局観を持てるわけがない」「政策力」で5点をつけた小林氏も、そこを欠点と見る。「石破は自民党の多数が躊躇することも、自分の信念で切り開こうとしている。政策至上主義で田中角栄のように立案能力はあるが、真面目すぎて妥協できず、政策が日の目を見ないことがあるのがマイナス」 2位の河野太郎・規制改革相(23点)は「政策力」(5点)、「共感力」(6点)、「大局観」(7点)で高い評価を得た。 しかし、石破氏と同じく、党内で孤立していることが資質としてマイナスと指摘されている。「河野は勉強家。脱原発や女系天皇容認論など、自民党内にあって言いにくいこと、難しい問題にもあえて踏み込んでいる。だが、派閥でも浮いた存在。総理になるには仲間をつくり、党内からもっと待望論が出るくらいでなければ難しい」(小林氏) そうした面が「統率力」(2点)の評価の低さにつながっている。「国民への発信力は高いが、派内でも『人の意見に耳を貸さない』と言われ、周りに人が集まらない。ワクチン担当として接種体制を急ピッチで広げてきたが、本人の力ではない。バックに官僚統率力が高い菅首相がついているから役人は従っているだけ。河野氏が総理になってトップダウンで何かやろうとしても、官僚組織も党内もついてこないのでは」(野上氏) 最初に総裁選出馬に名乗りをあげた高市早苗・前総務相は総合点で河野氏と同率位(23点)だが、「決断力」(7点)と「統率力」(3点)、「共感力」(3点)のように評価は両極端に分かれた。「高市は憲法改正や男系天皇の維持など、自分の主張を丸出しにして総裁選に討って出た。勝敗より、党内のタカ派を結集するのが自分の使命だという出馬の目的がはっきりしている」(泉氏)「彼女は安倍前首相に出馬を勧めたが、断わられたから自分が出馬すると語っている。しかし、安倍氏は持病の悪化とはいえコロナ禍で退陣し、国政の遅滞と混乱を招いた人物。それを恥じているようには見えない安倍氏の再々登板を望む政治センスが総理にふさわしいとは思えない」(野上氏)「総務大臣時代にNTTから接待を受けていたことが報じられましたが、開き直っていました。これでは国民の共感を呼べません」(小沢氏) 総裁候補5人の評価を聞いて、この中に、「総理になれば菅首相より政治は良くなる」と期待できそうな政治家は何人いるだろうか。※週刊ポスト2021年9月17・24日号
2021.09.06 16:00
週刊ポスト
岸田文雄・前政調会長の評価は?(時事通信フォト)
「岸田文雄氏の大局観は1点」ベテラン政治評論家が自民党総裁候補を採点
 党役員人事や解散戦略など、政局をめぐる話題ばかりが先行した自民党総裁選は、菅義偉・首相の「不出馬表明」で新たな局面に突入した。9月17日の告示まで党内の綱引きは続きそうだが、政局よりも重要なのは、候補となっている政治家に総理・総裁としての資質とコロナ危機を乗り切る手腕があるかどうかだろう。(文中一部敬称略) 本誌・週刊ポストは半世紀以上にわたってこの国の政治を取材し、歴代首相の失敗と成功を見つめてきたベテランの評論家、ジャーナリスト5人に、総裁選有力5候補の「総理の資質」を10段階で採点してもらい、現職の菅氏と比較してもらった。 評者ごとに採点時に重視したポイントは違う。 非常時だからこそ、総理になるには「決断力」が求められると指摘するのは、元時事通信政治部長の政治ジャーナリスト・泉宏氏だ。「現時点の各人の決断力は、総裁選出馬をめぐる姿勢から判断した。いち早く出馬の意思を表明し、困難な状況下で政権を担う決断力を示した者には高評価、出馬を迷っている者、それまで総裁選に出馬したがっていたのに今回は非常に慎重な者は低評価をつけた」 田中角栄研究で知られる政治評論家・小林吉弥氏は「政策力」を挙げる。「総裁選を目指す政治家は政策本を出版することが多い。石破や岸田、河野は出したし、高市も出版するという。だが、本を書いたから政策力があるとは言えない。 政策力とは現在の日本にとって何が大きな課題なのかを把握する力、解決する方法を考える構想力、そして実現力を合わせたもの。田中角栄は生涯に33本の議員立法を成立させ、すべて1人で国会答弁をこなせるくらい勉強していた。そこまでやったから役人を説得できた」 さらに、浦和市議や埼玉県議を歴任した評論家の小沢遼子氏は国民への「共感力」を重視し、元共同通信政治部記者として政治史に残る数々の政争を取材してきた政治ジャーナリスト・野上忠興氏は人や組織を動かす「統率力」を基準に評価。元時事通信解説委員で鈴木善幸内閣以来、政府の行革に携わってきた評論家・屋山太郎氏は、総理の資質で最も大切なのは「大局観」だと見る。 本誌は評者それぞれの採点を五角形のレーダーチャートにまとめた。最下位は野田聖子・幹事長代行 総裁選の最有力候補に浮上した岸田氏(5位)は、党内の期待とは裏腹に、総合点19点(50点満点)で現職の菅首相(21点)を下回った。「決断力」は、「過去は安倍首相からの禅譲を期待して総裁選出馬ができずに優柔不断と見られていたが、今回は勝敗不明でもいち早く出馬を決断、『岸田は変わった』ことを印象付けた」(泉氏)と高評価(7点)を得たが、他の4項目が低い。特に低評価だったのは「大局観」(1点)だ。 採点者の屋山氏が指摘する。「岸田はこれまで大局観を語ったことがない。出馬表明会見でも経済重視で、経済重視イコール軽武装という宏池会の伝統に縛られている。アフガニスタンを見ても現在の国際情勢は安全保障を他国に委ねる情勢ではなく、そういう時代に軽武装の思想を引き継いでいるようでは大局観があるようには感じられない」「政策力」(4点)の評価も厳しい。「政調会長時代に減収世帯への30万円支給というコロナ対策をまとめたが、公明党の反対で一律10万円支給にひっくり返された。連立与党への根回しが不十分で、落とし所も間違えた」(小林氏) 総合点で最下位(18点)だったのが野田聖子・幹事長代行だ。「小泉政権時代に郵政民営化に反対して離党を余儀なくされたが、復党後は要職を重ねてきた。出戻り組でも自民党の女性議員にシンパが多く、人を動かす力はある」(野上氏)と「統率力」(5点)や「共感力」(6点)は高いが、「大局観」(0点)や「決断力」(3点)が低い。「総裁選のたびにあれほど『女性初の総理』を目指すと動いていたのに、今回は音沙汰なし。幹事長代行だから、この先、二階氏の力に頼って総裁選に出ようと計算しているように見える」(泉氏)「ただ総理・総裁になりたいだけ。女性総理誕生への期待は分からないではないが、誰でもいいというわけではない」(屋山氏)という超辛口の評価もあった。※週刊ポスト2021年9月17・24日号
2021.09.06 07:00
週刊ポスト
田中角栄元首相のタバコにまつわる思い出を元衆院議員の石井一氏が振り返る
せっかちだった田中角栄氏 「一服のときだけは心休めていた」と元側近
 喫煙者がどんどん減っている今の時代だが、昭和という時代では、タバコの煙が身近な存在だった。昭和の大政治家も、タバコの煙をくゆらせながら、日本の未来を考えていたという──。元衆院議員の石井一氏が田中角栄元首相のタバコにまつわる思い出を振り返る。 * * * オヤジはゴルフが好きで、若手議員をよくラウンドに誘ってくれました。僕も数えきれないぐらい誘ってもらった一人ですが、とにかくせっかちで、歩くのが速い。第一打を打ち終わったと思ったら、クラブを何本か持ってすぐに第2打地点に向かってスタスタ歩き出す。「ゴルフは考えちゃいかん」が口癖で、ティグラウンドで球を打つのも早かった。〈国土庁長官、自治大臣などを歴任した元衆議院議員の石井一氏は、田中角栄元首相の側近中の側近で、「田中軍団の青年将校」とも称された。角栄の“せっかちゴルフ”は知る人ぞ知る話だが、タバコを吸うときだけは違ったという〉 プレーを中断して、美味そうに一服しながら、よく政局の話や人物評なんかを語ってくれました。ゴルフ場なら周囲に誰もいないから、“墓場まで持っていくような話”もありましたね。ホールアウト後にはシャワーを浴びて、レストランで水割りを飲みながら、また一服する。 常にポケットに入れていたのはマイルドセブンの箱でした。僕はピースを吸う真のヘビースモーカーですが、オヤジは気分転換に吸うことが多かったように思います。タバコは持っているけど、ライターを持っていない。しょっちゅう「ライター持ってないか?」と催促されましたよ。 好きなゴルフや会議の後など、ホッとひと息つくような時間に、とにかくゆっくり美味そうにタバコを吸う姿が記憶に残っています。あと、重要な話をするようなときにも、本数が進んでいましたね。私もその癖がうつって、いまだに1日30~40本吸っています。 当時は、国会でも本会議場以外はどこでも喫煙できた。委員会でもみんな平気で吸っていましたよ。タバコを吸わない人が煙たがっていると、「どっかに行け」と言えた時代だったからね。いまは逆になっちゃったけど、僕に言わせればタバコは滋養の素ですよ。〈石井氏は現在、日本ジャズ音楽協会会長を務めているが、その会長挨拶文には《幾多の困難な政局の荒波を乗り越え、心身の衛生を保つことができたのも、ジャズとタバコの与えてくれる“至福のひととき”がもたらしてくれる開放感と安らぎがあればこそのことだと思います》とある。もし角栄が現代の禁煙・分煙の厳格化を目にしたら、一体どのように対応していただろう〉 もちろんオヤジだって分煙などのルールには従うだろうけど、場合によっては「そんなこと(禁煙)やめとけ」と言うかもしれないね。「そんなに悪いものなら売らなければいい」とハッキリ言っていたかもしれない。 オヤジのモットーは決断と実行で、もの凄くダイナミックに決断をし、実行に移した。いまのようなコロナ禍の社会には、彼のようなリーダーが必要だと思います。〈「コンピュータ付きブルドーザー」の異名を取って、休まずに動き続けた角栄を支えていたのは、タバコを一服する“至福のひととき”だったのかもしれない〉撮影/山本晧一※週刊ポスト2021年9月10日号
2021.08.29 11:00
週刊ポスト
ビル・ゲイツ、田中角栄、美智子さま…セレブが軽井沢に構えた別荘の壮観
ビル・ゲイツ、田中角栄、美智子さま…セレブが軽井沢に構えた別荘の壮観
 全国的に知られる避暑地・軽井沢には明治時代より政財界の幹部が集い、懇談の舞台となってきた。コロナ禍で移住希望者が増え、地価が前年度比で10%上昇した軽井沢には、今も多くのセレブが別荘を構えている。その一部を紹介する。【写真7枚】田中角栄や美智子さまなど、セレブが軽井沢に構えた別荘の壮観●「豊かな森に突如現われる“要塞”別荘」 ビル・ゲイツ 千ヶ滝西区の尾根を削り取った約6600坪の敷地に建つ、ゲイツ氏の別荘とされる豪邸。地下3階まであるとも。●「創業者ゆかりの地に建つ閑静な佇まい」 石橋正二郎 軽井沢に2か所あるブリヂストンの保養所。旅行や研修などのほか、社員がワーケーションに利用することもある。●「大正期に建築された洋風別荘」 田中角栄 水戸徳川家十三代当主・徳川圀順(くにゆき)の別荘を田中が買い取り、晩年には療養で過ごした。●政界随一の資産家が所有する圧巻の別荘 鳩山一郎 自民党初代総裁・鳩山一郎が別荘を構えた場所。別荘に面した道は「鳩山通り」と名付けられている。●幼少時代を過ごされた思い出の地 美智子さま 上皇后陛下が幼少期を過ごされた正田家の別荘。敷地内には3軒の屋敷があり、現在は正田家の親族が所有する。※週刊ポスト2021年8月20日号
2021.08.14 15:00
マネーポストWEB
石破茂氏が振り返る田中角栄氏からの訓示(時事通信フォト)
田中角栄氏から石破茂氏への忠告「握った手の数しか票は出ない」
 石破茂氏は自治大臣などを歴任した父・石破二朗の死後、三井銀行(現・三井住友銀行)を退職し、木曜クラブ(田中派)の事務局に勤務。1986年衆院選で鳥取全県区から出馬し、28歳の全国最年少で当選を果たした。石破氏が田中角栄氏について述懐する。 * * * 角栄先生と話す時は必ず1対1でした。私だけでなく政治家の出処進退の時は常に1対1。私の場合は、時間は5分と決まっていて、サイドテーブルに呼び鈴が置かれていて、5分経つとチーンと鳴らす。「お前、出て行け」のサインです。だからお会いする前に、話すことをしっかり整理しておかないといけない。 選挙に出ることになり、暇乞いに目白を訪ねた時は「お前みたいなアンちゃんが、なんで自民党から出られるんだ? それは(他の候補者より)1億8000万円安いからだ」と言われました。なぜ1億8000万円なのか尋ねると、「名前の売り賃と信用代」だというのです。「石破茂なんて誰も知らないが、お父さんの石破二朗のことは知っている。だからお前の名前はタダなのだ。あの偉大なお父さんの伜ならそんな変なヤツじゃないだろう、その安心感がタダなのだ」 そのうえで選挙区の有権者の数や面積などあれやれこれやを見積もると1億8000万円に相当する。それを譲り受けられるから出られるというだけのことだと。非常に悔しかったですね。 ただ、後から聞くと、羽田孜さんとか小沢一郎さんとか、2世議員には皆同じことを言っていたようです。それが角栄先生の新人教育だった。たしかに2世の中には親の名前に胡座をかいて「どうせ当選するよ」という人がたくさんいる。でも、そんなものは長続きしませんからね。 先生にはいろいろなことを教わりましたが、最も大きかったのは、「歩いた家の数以上の票は出ない。握った手の数しか票は出ない」ということ。余計なことは考えずにともかく歩けと指導され、地域の支援者と一緒に今日は200軒、次は300軒とひたすら回りました。結果はまさにその通り。私は5万4000軒歩いて、獲得したのは5万6534票でした。 しかし、私が当選した時は角栄先生はすでに脳梗塞で倒れていた。真っ先にご報告したくて目白に行きましたが、会うことは叶わなかった。 角栄先生の演説は天才的でしたが、忘れられないのが私の結婚式でのスピーチ。議員になる前でしたが、角栄先生に親代わりとしてご挨拶いただいたのです。 ちょうどロッキード一審判決の2週間前で、しかもウチの奥さんは丸紅の出身だったので、丸紅の方たちは恐怖に震えている。その前で先生はこう話すんです。「石破君が嫁を貰うというじゃないですか。どこの女だっていうと、皆さん、丸紅だっていうじゃないですか。あの丸紅か!」 会場の“凍りつき”が頂点に達したところで、こう続けました。「丸紅はいい会社だ。私のことがなければ、もっといい会社だった」 それで一同、ドッと沸く。天才ですよ。※週刊ポスト2021年7月9日号
2021.06.29 16:00
週刊ポスト
田中角栄の政界掌握術とは(写真/共同通信社)
政界を掌握した田中角栄 政敵の親族の葬式に香典50万円包んだ
 昭和の時代には圧倒的な魅力と存在感で他を寄せ付けなかった「最強軍団」がいた。政治の世界では、田中角栄が率いた自民党・田中派がそれに当たるだろう。「当時は派閥政治の全盛期。派閥が認めなければ公認も出ないし、大臣や政務官、委員長の役職にも就けない。だから党本部になど行かず、派閥事務所にばかりいました。 そのなかで『田中派』はまさに最強派閥。お金のレベルが違った。盆暮れの手当ても、福田(赳夫)が50万、三木(武夫)は30万だが、田中は100万。結束も固く、総裁選の時に我々からこぼれる票はひとつもなかった」 そう振り返るのは、田中の側近で、自治大臣も務めた石井一氏である。 最盛期には140人以上の議員を抱え、「数は力」の論理で政界を掌握した田中派。巨大集団をまとめあげた田中は「本能的に、人との付き合いが大事であることが分かっていた」(石井氏)という。冠婚葬祭を重んじ、とりわけ葬儀には「二度目はない」と必ず駆けつけた。「社会党の大出俊の親族が亡くなった時、田中に『おい石井、ちょっとワシの代わりに行ってくれ』と言われて、香典を渡されました。分厚くて50万くらいは入っていたでしょう。大出俊といえば“国会止め男”で、いわば政敵。その親族の葬儀に50万も出すとは、と思ったものです。 喪服に着替えて出る用意をしていたら『時間ができたんでな。ワシが行くよ』と言って本人が出席した。他党であっても義理は欠かず、そのうえドーンと張り込む。田中らしいと思いました」(同前) 田中は1976年、ロッキード事件で逮捕され、1983年の一審で懲役4年、追徴金5億円の有罪判決を受ける。だが、判決をきっかけに田中派の団結は強固になったという。「田中は無罪を信じていて、判決の日は数人で朝飯を食った後、『ハレて帰ってくる』と言って出ていった。そもそもロッキード事件は、本人が与り知らぬ内容ばかりだったからね。判決を聞いた田中は怒り心頭だった。『自分はいかなる罰も受け入れるが、法をねじ曲げ、でっち上げ判決を出した司法はぶっ潰す』と。以降、田中はそのことに執念を注ぎました」(同前) 判決後、田中は自民党を離党。にもかかわらず、田中派は自民党内で勢力をさらに拡大した。「司法をぶっ潰して立て直すという正義のために、再び総理を目指そうとした。田中派が140人まで拡大したのはこの時のことです。自民党議員ではない田中が、党内最大派閥を率い、大臣人事では主導権を握り、総理に対する拒否権まで主導できるようになった」(同前)“目白の闇将軍”と呼ばれた田中の業績には賛否があるが、これだけの影響力を誇った政治家は、その後もいない。※週刊ポスト2021年6月11日号
2021.06.03 11:00
週刊ポスト

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