神奈川県内の保健所職員・中野愛さん(仮名・30代)が遭遇したのは、これまで触れてきた「ネガティブ」パターンとは逆の人。つまり、危険性があるといくら説明をしても「それは考えすぎだ」と軽んじるタイプである。そしてやはり、濃厚接触者の妻も「ネットで情報を得た」と主張し、検査を拒んだ。
「男性の勤務先でクラスターが発生していたことから、男性は念のために検査したところ陽性という結果でした。ご本人は無症状。それでも人に感染させる可能性があるので、ご家族、特に高齢のご両親にとってはよくない、そういくら説明しても『コロナなんてないんじゃないの』と聞き入れられない。保健所もマスコミもグルになって、政治問題をコロナで誤魔化しているなんて最後には言い出しました。もう、返す言葉がなくなってしまった」(中野さん)
返す言葉がなくなる、それは単純に中野さんが呆れ果て絶句しているだけなのだが、先方は「論破した」と、さらに饒舌になっていったという。結局、無症状だった男性はその後、高熱と咳、悪寒などの症状が出て、自宅療養から病院療養に切り替わった。そのタイミングで家族全員がPCR検査を受けたが、陰性だった妻は苦しむ夫を気にする様子もなく「ほら見なさい」「やはり変だ」と、自身の主張が正しかったと言い放った。男性も妻には呆れ返っていたが「仕方ないんで」と呟くのみだったというから、妻の的外れな頑迷さについては、もはや諦めていたのかもしれない。
もちろん、マスコミや専門家、そして政治家の話がすべて正しいことはないだろうし、コロナ禍の情勢を「煽る」ような報道があると筆者も感じている。しかし新型コロナウイルスについては分からないこともまだ多く、そのため不確かな情報も少なくない。曖昧な情報が錯綜する様子に嫌気が差して「何もかも信じられない」と思ってしまうのも無理はないが、問題はそこからだ。ネットで調べた情報の出所、発言者、エビデンスを確認することなく、時と場合に応じて自分が信じたい情報だけを選択し、自身の思考を補強する材料にしていくのはあまりに危険だ。
こういったサイクルはまず、何かおかしいと感じ、ネットで調べようとするところから始まる。自分の正しさを疑わない、もしくは思いたい結論を最初に決めている状態で検索するので、自身が正しいと思いたい事を補強するような情報ばかりを集める結果になる。そこで、わざと異なる結果を得られるような検索をかけられれば視野が広がるのだろうが、同じような用語を繰り返し検索するのでそうはならない。
そして、調べた結果の取捨選択にも問題がある場合が多い。信頼できる情報源なのか検証することよりも、自分が不快に思うことが少しでもあれば、そのページを見なかったことにし閉じ、情報源をシャットアウトする。確実性よりも、自分の気分を優先して信頼度合いを決めているのだ。こうして、あらかじめ決めていた「正しさ」はより強固に、思いたい「結論」はより極端になる。当然のごとく、反論する意見を読もう、対論はどうなんだ、という思考は消えてなくなり、バランスが完全に偏ってしまう。