下重:悲しそうな顔をして家を出て行ったけど、帰ってくるかな?と思っていたら1時間ほどしたら戻ってきました。あの人は私が心配で仕方がなくて、子離れできない「暁子命」の人でしたから。私も、これくらいは言っても大丈夫だろうとどこかで思っていました。結局は甘えていたんですね。
上野:そうやって母親がどういう反応をするかまでわかっているのが、娘なんですよね。うちの父親はワンマンの亭主関白でかんしゃく持ち。開業医だからお山の大将で、社会性ゼロの人間でした。母はそんな父に仕える専業主婦で、夫婦仲は最悪。おまけに、北陸の地方都市で、長男の嫁だし、嫁姑関係も葛藤がありました。そんな母の姿が私の将来だとしたら、子供ながらにやってられない、と。
下重:それで、高校を卒業して京都大学へ進学なさったのね?
上野:ええ。このままでは自分がダメになると思って18才で家を出ました。母と直接対決したことはありませんが、やることなすこと親に背く私の生き方を見て、母は娘が自分の生き方を否定したと思っているでしょうね。思ったように育たなかったと恨みごとを言われたことはあります。
実家に帰ったときは波風立てないように“娘プレー”をしていましたが、2泊3日が限度。それ以上一緒にいるのは無理。キレますから。
下重:「毒親」といわれる親が増えているけど、私たちが生まれる前から、子離れできない親や暴力をふるう親はいましたよね。『家族という病』で家族との確執を書いたときは、知らない女性から「私もそういう家庭だった、よく書いてくださいました」と感謝されました。現実は常に先に来る!
上野:現実は、社会問題化されたり、私たちが本にするよりもはるかに先を行っていると感じますよ。高齢者施設ではかなり前から、第二次世界大戦で軍隊を経験した世代の男性からの苛烈な暴力が問題になっていました。でもそれって、若い頃から妻や子供にもやってきたはずなんですよ。昔は夫が妻の髪の毛をつかんで引きずりまわすなんて当たり前だった。
下重:当時はDVという言葉もないし、誰も責めなかっただけ。セクハラだってそう。NHKで妊娠した先輩の女性アナウンサーに、「そんなお腹でみっともない」と同僚が言っても問題にならなかった。声を出して批判できない、しない時代だったんです。
【プロフィール】
上野千鶴子(うえの・ちづこ)/1948年生まれ。京都大学大学院社会学博士課程修了。日本における女性学・ジェンダー研究・介護研究のパイオニアとして活躍。社会学者、東京大学名誉教授。『おひとりさまの老後』(文春文庫)、『おひとりさまの最期』(朝日文庫)など著書多数。
下重暁子(しもじゅう・あきこ)/1936年生まれ。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。アナウンサーとして活躍後、民放キャスターを経て文筆活動に入る。『家族という病』『極上の孤独』『明日死んでもいいための44のレッスン』(すべて幻冬舎)など著書多数。
取材・文/戸田梨恵 撮影/田中麻以(女性セブン)
※女性セブン2021年4月22日号