1998年に環境保護に関する南極条約が発効されたことを受け、トイレは再び改善を求められた。同条約により、現地で処理できるモノ以外はすべて母国へ持ち帰ることが義務付けられる。そのために1999年から生物処理方式の汚水処理設備が導入される。以後、汚物は焼却処理して灰の状態にし、観測隊が持ち帰っている。
南極で使用された鉄道技術はトイレだけではない。南極に設営されている基地の多くは高床式が採用されている。これは、「1967年の第8次隊が建設した観測棟が最初で、雪の吹き溜まりを軽減するための対策」(同)だという。
高床式が考案された背景に関して、担当者は「当時の職員は残っておらず、資料も残っていないので関連性は不明」と説明する。しかし、南極観測隊に参加したメンバーの回顧録や過去のインタビューなどでは鉄道防雪林の技術を応用したとされている。
鉄道網は明治期から全国へと広がっていったが、長らく厳寒地や海沿いといった風の強い地域に線路を敷設することは簡単ではなかった。線路が敷設できても、鉄道は高速で走るので横から吹き付ける風に弱く、強風が吹くと横転する危険性が高くなる。だから冬季は運休が頻発してしまう。それでは安定的な列車の運行ができない。
それらを克服する手段として、線路沿いに鉄道林を造林することが考え出された。鉄道林によって風や雪を遮れば、安定した鉄道運行が実現できるのだ。
鉄道林と一口に言っても、風を防ぐのか、それとも雪を防ぐのかで植林する樹種は変わる。また、地域の土壌や気候・気象による違いもある。
政府や鉄道当局は、林学者として明治神宮の造営や日比谷公園の設計にも尽力した本多静六に鉄道林への協力を仰いだ。本多の知見に基づいて、線路沿いで植林が進められた。これが防風林・防雪林として長らく鉄道の運行に欠かせないものになっていく。鉄道林は雨や雪を防ぎながらも、風によって雪を溜まらないような役割を果たす。
昭和基地の周辺は常に強い風が吹きつけるため、降雪量は多くても積雪量は少ない。しかし、国立極地研究所の広報室担当者が指摘したように南極特有の暴風雪「ブリザード」と、雪が吹き溜まる「スノードリフト」という現象が起きる。
ブリザードによって冷たい雪や氷が基地の外壁や柱などにこびりつけば、そのぶん建物は早く傷む。また、スノードリフトによる損傷も防がなければならない。特に基地の建物が大型化したり数が増えたりすると、それに比例して大きなスノードリフトができてしまう。ブリザードとスノードリフトのふたつを同時に対処する術として、研究者たちは鉄道林に着目。しかし、凍土の南極は防風林・防雪林を造林できない。
そこで研究者たちは国鉄が実施していた防風林・防雪林の風洞実験の結果を参考にし、そのメカニズムを応用した床下1.6メートルから2メートルの高床式建築を設計。床下に風を通すことで、雪が溜まらないようにした。
鉄道と南極は一見すると無関係のようにも思われるが、両者は最先端技術を用いて未来へ挑戦するというスタンスは共通している。
日本の南極挑戦は半世紀を越えたが、極地ならではの研究課題がいくつも、たとえば地球の成り立ち解明など、数多くのテーマに今も取り組んでいる。身近なところでは、フリーズドライは南極で得た知見が開発や品質向上に活かされたと言われる。極限の地で研究するからこそ、必要は発明の母とばかりに新しい技術や発想が生まれる。
日本へもたらされて約150年の鉄道と、日本人が上陸して110年になった南極は、自動運転や再生可能エネルギー、寒冷地仕様といった分野で技術革新に挑むパートナーでもある。身近な製品としてわかりやすい形で現れることはないかもしれないが、確実に私たちの生活を向上させている。