新幹線一覧

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あった、あった!「冷凍みかん」「幸福ゆき切符」…昭和の鉄道旅行の思い出
あった、あった!「冷凍みかん」「幸福ゆき切符」…昭和の鉄道旅行の思い出
 今夏はコロナの感染状況がやや沈静化。旅に出たい気持ちにがまんを強いられた人のなかには、久々に旅に出かけようと考える人もいるのではないだろうか。特に今年は日本の鉄道が開業150周年を迎え、電車旅が注目の的。登場以来、私たちの「遠くへ行きたい」という願望を叶えつつ、日本の発展の原動力となった鉄道旅の思い出とその魅力を、懐かしのエピソードとともに振り返ってみよう。【写真11枚】ポリ茶瓶、畳を敷いた「お座敷列車」、「愛国から幸福ゆき切符」など、懐かしい昭和の鉄道ならではの品々【旅のお供】冷凍みかんやゆで卵が鉄道旅の定番アイテムに 鉄道旅の楽しみの1つに、「冷凍みかん」を思い浮かべる人もいるかもしれない。 その発祥は昭和30年、神奈川県・小田原駅の売店で地元のみかん店「井上」が鉄道弘済会や現・マルハニチロの協力を得て売り出した。アイスクリームや自動販売機がまだ一般的でない時代に、冷たいみかんは大人気となった。鉄道ジャーナリストの松本典久さんは、こう語る。「瓶コーラが車内販売に登場したのは昭和39年で、当時60円。冷凍みかんは4個入150円でした」(松本さん) その他、“旅にハイソフト”でおなじみの森永キャラメル「ハイソフト」や、ネット入りの味付けゆで卵も、鉄道旅のお伴としての定番アイテムだった。 別掲写真は昭和44年当時の乗客がポリ茶瓶を持つところだが、お茶の容器も陶器製の汽車土瓶からポリ茶瓶、缶、ペットボトルへと進化している。【お座敷列車】1960年代には畳敷きで移動時間を楽しんだ 1960年代は国鉄の黄金時代ともいわれており、昭和35年には畳を敷いた「お座敷列車」が登場。囲碁を楽しんだり民謡を歌ったりしながら、リラックスして過ごす鉄道旅が人気を博した。その後、展望席、カラオケ設備、ステージなどの特別な設備がついた「ジョイフルトレイン」もあった。【食堂車】移動しながら食事を楽しめる至福の空間 移動しながら食事と風景が楽しめる食堂車は、憧れの空間だった。漫画で鉄道の魅力を伝え続けているやすこーんさんは、こう語る。「思い出すのは、大好きで何度も乗った寝台特急『北斗星』の食堂車『グランシャリオ』のパブタイム。通常のディナーは5000~8000円と高いので、ディナータイムの後の21~23時に軽食とビールを楽しめるパブタイムをよく利用しました。朝6時半にはもう北海道を走っているので、朝食を食べながら景色も楽しめました」(やすこーんさん) 新幹線では速度アップとともに食堂車は姿を消した。【駅弁】駅弁は掛け紙で“ジャケ買い”するのも醍醐味! 駅弁といえば、ホームでの立ち売り風景を思い出す人も多いだろう。その魅力にハマって以来、14年間で1000食以上を食べたという、やすこーんさんは、こう語る。「寝台特急『はやぶさ・富士』で朝7時に車内販売される山口県・柳井駅の『幕の内弁当』を買いたくて、一睡もせずに列に並びました。でも売り切れ。代わりに買った『ふく寿司』のフグの身を酢でしめた酸っぱい味が思い出に残っています。駅弁との出会いは一期一会。旅先で掛け紙を見ながら、“ジャケ買い”するように選ぶのも醍醐味です」 駅弁の発祥は明治18年。ごまをふりかけた梅干し入りおにぎり2個とたくあんを竹皮に包んだものが栃木県・宇都宮駅で売られた。発祥当時の駅弁をアレンジした『汽車辨當(きしゃべんとう、汽車の“汽”は「さんずいに氣」)』が宇都宮駅でいまも売られている。【直角椅子】見知らぬ人とボックスシートでひざ突き合わせ… いまや、特急や新幹線では進行方向を向いたリクライニングシートが標準仕様だが、昔の普通列車や急行列車は直角椅子で、相向かいにひざを突き合わせて座るボックスシートが多かった。 写真は昭和30年の小学生の遠足時、車内で直角椅子に座ってお弁当を食べているひとコマだ。背もたれは硬い木製で、冷房なども当然のようになかったが、友達と笑い合い、見知らぬ人と一緒になって、みかんやおにぎりを分けてもらった思い出がよみがえる人も少なくないだろう。古きよき時代のワンシーンだ。【灰皿】座席に灰皿と栓抜きが備え付けられていた時代も 直角椅子のボックスシートをはじめ、かつての中距離列車は座席やその周辺に灰皿が備え付けてあり、座席での喫煙が可能だった。 そもそも、新幹線が開業した昭和39年当時は全車が喫煙車両。JR東日本で普通・快速列車が全面禁煙になったのは平成9年。列車の禁煙の歴史は意外と浅い。 ボックスシートのテーブルに備え付けられていた栓抜きも懐かしい。「お米屋さんで売っていた飲料『プラッシー』などの栓をこれで抜き、飲んだ記憶があります」(松本さん)【聖地巡礼】駅を旅の目的にするのも鉄道旅のおもしろさ 聖地巡礼とは、映画やドラマ、小説、漫画などの舞台となった場所を「聖地」と称し、その地を訪れること。最近はアニメの聖地巡礼が人気だが、昔から観光コンテンツの1つだった。文筆家の蜂谷あす美さんは、こう語る。「私は松本清張の『点と線』を読み、福岡県・香椎駅に行き、駅を降りた登場人物が『ずいぶん寂しい所ね』とつぶやくせりふを真似てつぶやいたことがあります(笑い)」(蜂谷さん) やすこーんさんも、松本清張の『砂の器』で登場した、島根県の亀嵩駅を訪れた。「亀嵩駅はこの小説の鍵を握る舞台ですが、事前に電話予約すると、駅のそば屋さんが『亀嵩駅そば弁当』を列車まで持ってきてくれるんです」「愛国から幸福ゆき切符」は、昭和の時代に一世を風靡した聖地の先駆け。廃線となったが、幸福駅の駅舎や電車はいまも保存され、観光名所になっている。【プロフィール】鉄道ジャーナリスト・松本典久さん/1955年東都京生まれ。鉄道をテーマに著作活動を行う。著書に『紙の上のタイムトラベル 鉄道と時刻表の150年』(東京書籍)など。漫画家・やすこーんさん/1968年青森県生まれ。駅弁や駅そばが好きな女性漫画家で、寝台特急『サンライズ』の大ファン。『やすこーんの鉄道イロハ』(天夢人)など著書多数。旅の文筆家・蜂谷あす美さん/1988年福井県生まれ。祖父が元国鉄の車掌。慶応大学では鉄道研究会所属。JR全線完乗済。『女性のための鉄道旅行入門』(天夢人)など。取材・文/北武司※女性セブン2022年7月7・14日号
2022.07.02 11:15
マネーポストWEB
お金のトラブルを避けるために…親が認知症になる前にやっておくべき28項目
お金のトラブルを避けるために…親が認知症になる前にやっておくべき28項目
 2025年に患者数が700万人に上ると予測されている「認知症」。老親のどちらか一方でも患うと、「相続」に大きな影響を及ぼすことになる。認知症になった後では、親子の間でもあらゆる手続きが一筋縄ではいかなくなる。特に、遠方に住む老親と久しく会うことができていないケースなどは注意が必要だ。【表】トラブルが増える前に対策を 「認知症になる前に親子でやっておくべき28項目」 ファイナンシャルプランナーで介護・暮らしジャーナリストの太田差惠子氏はこう語る。「親の認知症は電話で話す程度では気付きにくく、子供が気付いた時には重度の認知症だった、というケースは多い。将来の相続などに必要なものの保管場所がわからなくなってしまわないよう、定期的にチェックする必要があります。兆候を掴むポイントは、親が毎日触れる『冷蔵庫』です。実家の冷蔵庫に同じものが大量にあったり、腐ったものが残っていたら要注意。少しでも兆候が見えたら、親子でじっくり話し合うことが重要です」 親が認知症になる前に、親子で済ませておくべき28項目を、チェックリストの形で表に示した。これらは、親が元気なうちに済ませておかないと、思わぬトラブルや苦労を招くことになる。以下、具体的に解説していこう。 まずは相続税の申告時に混乱しがちな金融資産の確認だ。太田氏は、印鑑や通帳の保管場所を共有しておくことが重要と指摘する。「別居する子供が、認知症になった親の介護にかかる費用を払うために親の通帳や印鑑を探したが見つからない、というケースはよく聞きます。運良く見つかったとしても、口座が多くて大量の通帳と印鑑を紐づけるのに苦労することもある。預貯金口座をまとめ、印鑑や通帳の保管場所を共有して、子供が親の財産を把握できるようにしておきましょう」 金融資産のなかでも株や投資信託は売却しておくとよい。「歳を重ねたら、認知症になる前に含み益がある段階で売却し、利益を確定したほうがいい。投資判断が鈍ると含み損があっても損切りできなくなり、認知症が進めば売買自体ができなくなります。認知症になった後に株がほったらかしにされるケースは多く、死後に遺族が知った時には含み損が膨らんで資産が大きく減ってしまう可能性もあります」(太田氏) 固定電話を解約しておくことも、お金のトラブルを防止するのに役立つ。「オレオレ詐欺対策としてはもちろんですが、テレビや新聞で見た通信販売業者に電話して買い過ぎないためにも有効です。認知症の親が通販にハマることは多く、子供が業者に『うちの親に売らないで』と頼むこともあると聞きます。固定電話をやめてスマホに一本化すれば、発信先番号を限定することができるので、通販などで無駄な出費を重ねて相続時の財産が減るのを未然に防ぐことができます」(太田氏)必要なのは家族の“納得” 親子で不動産の情報を共有しておくことも大切だ。相続の際に、実家の土地や家屋が思わぬ障壁になることがある。「認知症だった父親の死後、実家の登記上の名義が随分前に亡くなった祖父のままであることを初めて知った50代の男性がいました。相続手続きのため、大量の相続人に連絡したものの見つけられなかったり、同意を得られない人もいて、『実家を売りたくても売れない』と嘆いていました。認知症になる前に親子で情報を共有して父親への名義変更ができていれば、男性の苦労は軽減できたかもしれません」(太田氏) 近年はパソコンやスマホのパスワードを共有することも重要な要素だ。「ネット証券などは自宅に郵便物が届くことが少ないため、そもそも親が取引していた事実を子供が知らず、財産の存在自体を把握できない可能性もあります。子供に教えるのがためらわれる場合は、終末期の延命治療や死後の葬儀の意向に加えて、金融資産の情報をすべてエンディングノートに書いておくとよいでしょう」(太田氏) また、親の死後、相続人同士のトラブルを防ぐことを考え、「法的な手続き」を適切に踏んでおく必要もある。「認知症を患った父親の介護のために新幹線で実家に通い面倒をみていた長男の話です。自身の定年退職後は、父親の口座からお金を引き出して新幹線代に充てていたところ、弟(次男)から『父親のカネを使い込んだ』と責められ、相続時にもめたそうです。父親が認知症になる前に長男を任意後見人に選んでおくようにすれば、交通費は『後見事務を行なう実費』として認められ、父親の財産から支出できたはず。兄弟がもめることはなかったかもしれません」(太田氏) 任意後見制度は、うまく活用すれば助けになるケースもある。ただし、任意後見人が代理できる行為は、任意後見契約書で定めた項目だけに限られる。代理権目録に記載されていない行為は認知症が発症した後に必要な行為であっても代理することはできないため、契約を結ぶ際は代理行為の内容をよく考える必要がある。「きっと大丈夫」と口約束で話していたことが、死後認められないこともある。太田氏が言う。「親の面倒をみるため定期的に実家に通っていた子供の一人が、親から口約束で『この家はあなたにあげる』と言われていたのに、親の死後、何もしていない他の兄弟姉妹に『聞いていない。遺産は等分するのが当たり前だ』と反対されたというケースはよくあります。誰に実家を相続させるかでもめることが想定される場合、公正証書遺言を作成しておくことで、トラブルを避けることができます」 相続・生前対策に取り組む斎藤竜氏(リーガルエステート代表司法書士)はこう言う。「相続紛争を止められるのは、家族の納得です。遺言で誰に家を相続させると書いていても、その理由を伝えなければもめる原因になることがある。親が健全なうちに兄弟、姉妹も揃ったところで腹を割って話し合うことが必要です。 口にするのが難しければ、理由や過程をエンディングノートなどに書いておくだけでもいいでしょう」※週刊ポスト2022年7月8・15日号
2022.07.01 16:15
マネーポストWEB
夜行列車を見送る人がホームにあふれていた。写真は昭和34年。提供:JR東日本
開業150周年、懐かしの鉄道旅 昭和30年代には“修学旅行専用列車”が誕生
 ここ数年、コロナ禍で旅に出たい気持ちにがまんを強いられたが、今夏は感染状況もやや沈静化。久々に旅に出かけられそうだ。特に今年は日本の鉄道が開業150周年を迎え、電車旅に注目が集まっている。そこで、日本の発展の原動力となった鉄道旅の魅力を“懐かしの写真”とともに振り返る。【夜行列車】夜の車窓から見える灯りが旅人を感傷的にさせた「終戦の日も鉄道は動いていたそうですが、これが戦後復興の原動力になりました。GHQ統治下でできた進駐軍専用列車が鉄道の速達化につながり、昭和20年代半ばには特急や急行が復活。私自身、父の郷里が熊本の天草で、東京〜長崎間を走る寝台特急の『さちかぜ』や『さくら』に何度も乗ったことが原体験になりました」と言うのは、鉄道ジャーナリストの松本典久さん。 漫画で鉄道の魅力を伝え続けているやすこーんさんも、「14年前に初乗車した寝台特急『はやぶさ・富士』での体験が新鮮でした」と言う。 また、文筆家の蜂谷あす美さんは、寝台列車の思い出について、「いつも電車の中では本を読むのに、高校時代に福井から青森まで寝台特急『日本海』に乗ったときは、まったく読まずに家々の灯りを眺めていたのを覚えています」と話す。 夜汽車の旅には、人を魅了する何かがあるのだろう。【新婚旅行】熱海や宮崎が賑わった! 鉄道ハネムーンの時代 幕末に坂本龍馬と妻・おりょうが九州の霧島に出かけたのが日本のハネムーンの始まりとされているが、鉄道事情で新婚旅行も様変わりする。 戦後まもなくは地元近辺に出かけていたが、昭和30年代後半になると鉄道でのハネムーンが人気になっていく。「昭和30年代、高度成長期に入ると、熱海や宮崎が新婚旅行先として大人気になりました。私の両親も新婚旅行で熱海に行っています。 なぜここが人気を得たかというと、熱海は戦前から人気の場所。宮崎は昭和42年から京都〜宮崎間に臨時急行『ことぶき号』が登場し、関西はもちろん、東京からも新幹線の乗り継ぎで旅行しやすくなったためです」(松本さん) 当時、新婚夫婦だけが購入できた「ことぶき周遊券」には、旅立つふたりの見送り用に「ことぶき入場券」が10枚ついていたという。 また昭和43年には、京都・大阪方面と宮崎をつなぐ寝台特急「彗星」の運行が始まり、宮崎を目指す新婚夫婦が急増。日南海岸がハネムーンの聖地となっていたのを懐かしく思う人も多いだろう。【修学旅行】新幹線登場前、子供たちは「修学旅行専用列車」で全国へ 日本の修学旅行は、明治15年、栃木の中学校の生徒たちが先生に引率され、東京・上野で勧業博覧会を見学したのが始まりとされる。 その後、戦後の高度成長期になると大量輸送できる列車やバス利用が主流となり、昭和34年には東京都中学校連合の「ひので号」、京阪神三市中学校連合の「きぼう号」という修学旅行専用列車が誕生する。以来、昭和40年代前半にかけて近畿・中国・九州などエリアごとに修学旅行専用列車が登場した。 写真は昭和34年の品川駅から出発する修学旅行専用列車「ひので号」の出発前風景だが、この時代は品川駅周辺に高い建物がまだ何もないことがわかる。「ぼくが中学生のときの修学旅行も『ひので号』で、東京から京都・奈良と関西方面に行きました。クラスメートと一緒の電車で旅するのはやっぱり特別で、高揚感がありましたね」(松本さん) 一方、30代の蜂谷さんの修学旅行は、新幹線の旅だ。「地元の福井から米原駅に出て新幹線に乗り換えたのですが、『乗り遅れたら大変だ』と体育館で整列して新幹線に乗り込む練習を何度もさせられたのを覚えています」 写真は昭和45年の修学旅行での新幹線の車内風景。この年はちょうど大阪万博の開催年だけに、おそらく関西方面を訪れた修学旅行生も多かったのではないだろうか。 修学旅行写真から時代時代の空気が伝わってくる。【鉄道と歌】唱歌から歌謡曲、フォークまで、旅心をそそる名曲多数 鉄道は明治・大正・昭和・平成・令和と5つの年号をまたぐほど歴史が長い。それだけに、鉄道唱歌からJ-POPまで、鉄道にまつわる曲の記憶は世代ごとにさまざまだ。「私は母親の影響で、中島みゆきの『ホームにて』やチューリップの『心の旅』『せめて最終電車まで』などの曲が好きで、よく聴いています。かつては上京や別れ、望郷などを鉄道絡みで歌った名曲が多かったのに、私の世代では少ないんです」(蜂谷さん) 表に挙げたCMソングやヒット曲はほんの一部で、これ以外にも隠れた鉄道絡みの名曲はたくさんある。この夏は、わが心の鉄道ソングを口ずさみながら、思い出に残る鉄道旅を楽しんでみてはどうだろう。【プロフィール】鉄道ジャーナリスト・松本典久さん/1955年東都京生まれ。鉄道をテーマに著作活動を行う。著書に『紙の上のタイムトラベル 鉄道と時刻表の150年』(東京書籍)など。漫画家・やすこーんさん/1968年青森県生まれ。駅弁や駅そばが好きな女性漫画家で、寝台特急『サンライズ』の大ファン。『やすこーんの鉄道イロハ』(天夢人)など著書多数。旅の文筆家・蜂谷あす美さん/1988年福井県生まれ。祖父が元国鉄の車掌。慶応大学では鉄道研究会所属。JR全線完乗済。『女性のための鉄道旅行入門』(天夢人)など。取材・文/北武司※女性セブン2022年7月7・14日号
2022.06.27 16:00
女性セブン
藤井竜王と杉本八段
藤井聡太が叶えた「名古屋将棋対局場」新設 東海地方の棋士50年来の悲願だった
 藤井聡太竜王(19)の地元・愛知に、東京、大阪に次ぐ3拠点目の公式対局場がついに新設された。名古屋駅前の複合商業施設「ミッドランドスクエア」の25階のフロアをトヨタ自動車が提供。「名古屋将棋対局場」の新設の背景には、藤井竜王の活躍とその“大師匠”にあたる板谷進九段(故人、1988年没)の存在があった。今回の新設は東海地区の棋士にとって「悲願」だったのだという。「名古屋将棋対局場」のこけら落としとなった6月22日の今期順位戦A級の初戦では、藤井竜王が佐藤康光九段(52)を101手で破り、初の名人位挑戦に向けて白星発進を決めた。 藤井竜王にとって対局場の新設は「移動時間の激減」という大きなメリットをもたらす。「名古屋将棋対局場」では、本年度は順位戦を中心におよそ100局が行なわれる予定だ。日本将棋連盟によると、藤井竜王は順位戦9局中6局を名古屋で対局する予定。地元での対局は、体力的・精神的な負担の軽減につながる。将棋ライターの松本博文氏が解説する。「公式戦は基本的に将棋会館のある東京か大阪で行なわれる場合がほとんどです。愛知在住で関西(大阪)所属の藤井竜王は、東京では前日に1泊。大阪では当日朝、始発近い時間の新幹線に乗っているのだと思います。藤井竜王の鉄道好きは有名で、移動は苦にしていないようでもありますが、それでも名古屋での対局ならば、移動にかける負担は少なくなると考えていいでしょう。5つのタイトルを保持する藤井竜王は、タイトル戦のための地方転戦が多いため、それ以外の対局で名古屋開催のものが出てくるメリットは大きい」 対局前に長い移動時間がある場合、棋士はどのように過ごしているのだろうか。「棋士の多くは東京か大阪周辺に住んでいます。地方に住む人は少数派です。関東、関西の棋士がそれぞれアウェイに遠征するケースでは新幹線での移動がほとんどですが、その間の過ごし方はまちまちでしょう。これまでは、そこまで根を詰めて移動中も将棋のことを考えている人は多くなかった。ゆったり過ごして心身を休ませ、翌日からの対局に臨むという棋士がほとんどだったでしょう。しかしコンピュータ将棋(AI)が強くなって以降は、事前の準備が勝敗につながる傾向が強くなりました。現在では移動中もリモートで自宅のハイスペックなパソコンを操作し、研究している棋士もいます」(松本氏) 棋士の生活サイクルに大きな影響を与えそうな「名古屋将棋対局場」の新設までの道のりには、東海地区の将棋文化の発展に寄与してきた板谷一門の存在がある。名古屋に公式対局場が置かれるまでに実に50年以上の年月を要した。 板谷一門 もう一つの悲願の実現も……「板谷四郎九段、ご子息の板谷進九段が名古屋に『第三の将棋会館』を建てることを目標に、東海地区の将棋の普及に尽力されてきました。1970年には日本将棋連盟東海本部が設立されました。その頃は板谷将棋教室の奥座敷で公式対局も行なわれていました。しかしそれも長くは続かなかったようです。エネルギッシュに普及活動を続けていた板谷進九段は1988年、47歳の若さで死去。さらには中心人物であった父の板谷四郎九段も1995年に亡くなり、東海棋界は厳しい局面を迎えました。その後は板谷進九段の弟子である杉本昌隆八段(53)が名古屋在住の棋士として奮闘。地元の人々が地道に普及活動を続ける中で、大天才・藤井少年が現れることになります。 将棋界ではひとりのスーパースターが今までの景色をがらっと変える瞬間がありますが、今回はまさにスーパースターの藤井竜王の存在が大きかったでしょう。板谷進九段は、藤井竜王の師匠である杉本八段の師匠なので、藤井竜王と板谷進九段とは孫弟子と大師匠の関係にあたります。東海地区の関係者の夢であり、また板谷一門の悲願の一つはタイトルを持ち帰ることでした。それはすでに板谷進九段の孫弟子である藤井竜王が実現しています。さらにまた、もう一つの悲願も実現しつつあります」(松本氏) もう一つの悲願は、関西(大阪)に続き「第三の将棋会館」を新設することだ。「名古屋将棋対局場」はその大いなる目標へとつながっていくことが期待されている。「何にしても東京と大阪が拠点となるので、名古屋は都会ではあるもののハンディキャップがあるわけです。藤井竜王がプロになるまでは、小学生のときから大阪の関西奨励会に通っていました。親御さんにとっても大変な負担だったことでしょう。ゆくゆくは奨励会や将棋会館が東海地区にできたら、東海地方のさらなる将棋の普及につながることは間違いないでしょう」(松本氏) 藤井竜王が切り開いた地元・愛知の公式対局の拠点は、いずれ「東海将棋会館」として大きく実を結ぶことにつながる一歩となるのだろうか。  
2022.06.25 07:00
NEWSポストセブン
ラーム・エマニュエル駐日米国大使公式Twitterより。阪急電車の座席の乗り心地をとても気に入った様子
駐日米国大使が賞賛した阪急電鉄「ふかふかの座席」の秘密
 鉄道車両やバス、航空機などの座席シートには、耐久性だけでなく肌触りが滑らかで座り心地がよいことが求められる。その条件をそなえた「モケット」と呼ばれる布地の一種が鉄道車両に使われている。駐日米国大使に”Love the really plush seats!”「ふかふかの座席」と賞賛された阪急電鉄の座席について、ライターの小川裕夫氏が、なぜ「ふかふか」なのかの秘密に迫った。 * * * ラーム・エマニュエル駐日米国大使が5月11、12日に大阪府と兵庫県を訪問。大使は、両県の移動に阪急電鉄を利用。阪急のふかふかのシートに感嘆し、「ハンキューベリマッチ」と上機嫌にダジャレをツイート。これがバズったのだ。 エマニュエル駐日米国大使は、今年2月にも神奈川県横須賀市にある在日米海軍横須賀基地を視察するために京急電鉄に乗車している。その際、大使は夫人同伴で通勤電車に乗車した。SPが警護していたとはいえ、アメリカの大使が特別列車ではなく、一般乗客と混乗の電車に乗ったことは大きな話題になった。 こうしたことからも、エマニュエル駐日米国大使が鉄道ファンであることは窺える。では、大使が感嘆した阪急電車のふかふかシートとは一体どんなものなのか?「阪急電鉄は、お客様が快適にご乗車できますように座席には工夫を凝らしています。座席は快適性を追求し、盃ばねと呼ばれる弾力性に優れた円錐形のばねを組み込んだ金枠、それに帆布生地、フェルト生地、スポンジクッション、ゴールデンオリーブ色のアンゴラ山羊の毛を使用した表地といった5層構造になっています」と話すのは阪急電鉄広報部の担当者だ。 担当者が口にしたゴールデンオリーブと呼ばれる鮮やかな緑色は、阪急が長年にわたって座席に使用している伝統色。阪急電鉄広報部によると、「いつから使い続けているのか不明」とのことだが、1960年に登場した2000系から使用されるようになったと言われている。 伝統色を使い続けていることからも、阪急が座席に対して特別なこだわりを持っていることは窺える。しかし、それだけでは阪急のシートがどれだけ快適なのかはわからない。「ゴールデンオリーブの表地に使用している山羊の毛は、起毛の復元力が高く、汚れにくく、毛抜けも少なく、感触がいいのが特徴です。起毛の長さは0.5ミリメートル単位で調整して、手触りがよいと感じる現在の長さに決めました」(阪急電鉄広報部) また、阪急は高品質なシートを設置するだけではなく「埃などが起毛につきやすいため、ブラシ付きの掃除機で丁寧に清掃しています」(阪急電鉄広報部)とメンテナンスにも細心の注意を払っている。阪急はモヘア100パーセントのモケット 座席に快適性を追求する鉄道会社は、阪急だけではない。日本国内の鉄道会社は座席の快適性を高める工夫に余念がない。ふかふかな座席を実現するため、鉄道各社は織物メーカーと協力してモケットと呼ばれる織物には特に力を入れる。 モケットとは、化学繊維やウールなどのパイルを織り出し、布の片面に模様をつくる織物のことをいう。モケットは乗客の肌に直接触れる部分でもある。肌触りは座り心地にも連動する。それだけに、手を抜けない。「モケットの素材には、ポリエステルやナイロン、モヘアなどが使われます。鉄道各社の方針や観光列車or通勤列車といった用途によってもモケットの素材に何を使うのか変わってきます。そのため、一概に比べることは難しいのですが、阪急はもっとも高価な素材であるモヘアを100パーセント使用したモケットです」と教えてくれたのは、鉄道車両のモケットを開発・製造する日本シールの竹野林太郎さんだ。 日本シールは今年で創業100年を迎える繊維製品メーカーの老舗で、東海道新幹線の0系をはじめ、多くの鉄道・バスの座席シートを手掛けてきた。 座席の快適性が向上しても、鉄道会社の収益には結びつかない。それでも、多くの鉄道会社はやメーカーは快適性を向上させるために工夫を重ねる。しかし、近年は経営合理化の方針もあり、安い素材を使うような流れになっている。 以前まで、阪急の車両にはモヘアのほかにナイロンを使っているシートもあった。しかし、少しずつモヘアへと切り替え、今はモヘア100パーセントになっている。つまり、阪急は経営合理化で切り捨てられがちな座席の快適性を高めているのだ。それ以外にも、阪急の座席には秘密があると竹野さんは言う。「鉄道車両の座席に使われるモケットのパイル長は、おおよそ2.7から3.0が一般的です。パイル長が長くなればなるほど、ふかふかな感触になります。阪急のモケットは、4.7~4.8ミリメートルぐらいと、通常よりも1.5倍も長いのです」(竹野さん) 鉄道ファンには、乗ることに楽しみを見出す乗り鉄、撮ることに熱中する撮り鉄などがいる。近年、これらは細分化している。乗り鉄の一形態として、各列車の座席を比べる座席鉄という鉄道ファンという分類も出てきた。 座席鉄にも好みがあり、どの座席がベストなのかは各々で判断がわかれる。それでも、おおむね新幹線のグリーン車や豪華な観光列車の座席を快適とする傾向にあるようだ。 鉄道ファンでなければ、いちいちシートの快適性を気にすることはないかもしれない。まして、乗り比べなどはしない。それでも、潜在的に快適な座席に座りたいという欲求はあるはずだ。 日本シールはコロナ禍で鉄道車両の新造が減少したことを受け、モケットを使用したグッズ制作にも事業を多角化した。現在、日本シールは鉄道各社のモケットでカバン・ペンケース・サイフといったグッズをネット販売している。これらのグッズは鉄道ファンや沿線住民を中心に好評を得ているが、一連のグッズ販売によって普段は座席の快適性を気にしなかった利用者から「いつも乗っている電車のシートって、こんなに手触りがいいんだな」と再確認してもらえるという、副次的な効果を生んだ。 阪急ほどではないにしても、全国の鉄道各社は運賃のみで乗車できる列車に上質な座席を用意している。大使のツイートを機に、改めて自分が使っている列車の座席に目を向けてみたら、それが実感できるだろう。
2022.05.18 07:00
NEWSポストセブン
昨年9月に復帰(写真はインスタグラムより)
深田恭子 度重なる深酒と“昼帰り”で恋人激怒、午前4時の西麻布で大げんか
 適応障害の治療に専念するために深田恭子(39才)が芸能活動を休止したのは昨年5月。あれから約1年、復活を遂げた深田は療養生活を支えた恋人と結婚間近とも報じられた。だが、困難を乗り越えたふたりに訪れた新たな危機は予想以上に深刻だった──。「いい加減にしてくれよ!」 4月下旬のある日の未明、東京・西麻布の路地裏に、道行く人が振り返るほどの大きな怒声が響き渡った。「もう無理だから!」「別れよう!」 時刻は午前4時過ぎ。あたりはまだ薄暗く、街は静寂に包まれていた。目撃者が語る。「男性の怒鳴り声が聞こえたので騒がしい方に目を向けると、ビルの上からバーの店員らしき人が、『キョンちゃんを置いて行かないで!』と叫んでいました。路上にいた男性は『いやいや、無理だから』、『お金も自分で払うように言って』とかなり怒っている様子で、ひとりでタクシーに乗り込むと、その場を立ち去ってしまったのです」 この日、芸能人御用達のバーで激しく口論していたのは深田恭子(39才)と、彼女の交際相手で不動産会社シーラホールディングス会長の杉本宏之氏(44才)だった。早朝の怒鳴り合いは、決して一時の感情的な痴話げんかではない。後日、杉本氏は複数の知人にこう告げている。「彼女とは終わりました。きっぱり別れます」酒量は増える一方 ふたりの熱愛が表面化したのは2019年1月。以来、都内の超高級マンションで半同棲生活を送る交際が伝えられ、今年1月にはスポーツ紙で「年内結婚」と報じられたばかりだった。ふたりに何があったのか。「けんかの原因は、深田さんの酒癖の悪さと、度重なる“昼帰り”です」と打ち明けるのは、事情を知る深田の知人だ。「若い頃から酒豪で鳴らした深田さんですが、最近の飲み方は度を越えていました。寝起きのシャンパンはいつものこと。彼が仕事に出ると、ひとりで昼からバーに向かうんです。夕方から翌日の昼過ぎまで飲むことも頻繁になっていました。あの日も酔った深田さんが駄々をこねて暴れ出したため、公衆の面前で大げんかになったんです」 冒頭の場面で、杉本氏が立ち去ると深田は「もう一軒行こう!」と、さらに別の店をハシゴして昼過ぎまで飲み続けたという。「あれだけ恋人と大立ち回りしたのに、朝の6時頃にはケロっとした様子で『シャンパンもっと持ってきて!』と大はしゃぎ。周りが彼との関係を気にして帰るように促しても『大丈夫!』と平然としていました。 その後、へべれけで帰宅した彼女に、杉本さんから『自分が何をしたかわかるよね』と冷静に伝えられたそうです。深田さんも、さすがに事の重大さに気づいたようで、家族や友人に『どうしよう……』と相談していました。ひとまずマンションを出て実家に帰ると、しばらく彼のもとには戻らなかったといいます」(前出・深田の知人)『女性セブン』2022年4月21日号では、4月中旬にも深田がひとりで朝から酒を飲み、夜は渡部篤郎夫妻と合流し、焼き肉店とカラオケバーをはしごする姿を報じた。「そのことを知った杉本さんは愕然としたそうです。というのも、その前に週に2~3度のペースで前日の夕方から昼まで飲み続けていたことがあり、それを杉本さんが咎めると『もうしない』と謝ったばかりだったとか。何度言っても態度が改まらないのは自分のせいかもしれないと、彼も悩んでいました。彼女に対する気持ちも急速に冷めていったといいます」(杉本氏の知人) 交際から3年半、ふたりの間に別れ話が持ち上がったのは、今回が初めてだという。「初めから、結婚前提のつきあいでした。杉本さんは、深田さんのために結婚後の財産の配分に関する覚え書きを作成していたほどです。昨年5月に深田さんが『適応障害』で倒れてからは彼女の家族と連携をとりながら、甲斐甲斐しく身の回りの世話をして、彼女を守りたいという気持ちをいっそう強くしていたように見えました。その彼が『別れよう』と口にしたなら、よほどの覚悟だと思います」(ふたりの共通の知人) 杉本氏の会社が重要な局面を迎えていることも無関係ではないだろう。不動産サービス事業がコロナ禍でも業績を伸ばし、昨年度の売上高は過去最高の約250億円を記録。上場準備を進める杉本氏のスケジュールは多忙を極める。「趣味のゴルフを封印し、好きなワインを飲む機会も減らして仕事に没頭していました。一方で、酔って帰宅した深田さんに深夜に叩き起こされたり、早朝に『ラーメンが食べたい』と言う彼女に振り回される生活に限界を感じていたようです」(前出・ふたりの共通の知人)どうしても今は別れたくない 別れを切り出された深田はショックを隠せなかったという。「うつむいて『ごめんなさい』と繰り返すしかなかったようです。でも、どうしてもいまは別れられない、別れたくないと懸命に伝えたと……。深田さんの周囲も彼女に加勢して何とか別れないでほしいと杉本さんに頼んだんです。彼もそこまでされたら別れを押し切ることはできなかったんでしょう。もう一度だけ、本気でやり直すと約束してくれたそうです」(前出・深田の知人) すんでのところで破局は回避されたようだ。が、危機が去ったわけではない。「次にまた昼まで飲むようなことが続いたら、今度こそ別れると思いますよ。深田さんはお酒をやめこそしていませんが、杉本さんと過ごす時間を増やし、長時間の深酒はしないようにしているといいます」(前出・ふたりの共通の知人) 適応障害で倒れたときも、一部で深酒が原因ではないかと取り沙汰されたが、深田を知る関係者は言下に否定する。「あの頃の酒量はそこまで多くなかったんです。しらふのときの彼女はものすごく繊細で、仕事に対してもストイック。プロ意識が強すぎて、自分のミスでテイクを重ねると『周囲に迷惑をかけてしまった』とずっと思い悩んでしまうようなタイプなんです。休養してから半年ほどは、ほとんどお酒を飲めない生活だったから、元気を取り戻したいまは反動でこれまで以上に飲む量が増えてしまったのかもしれません」 酒を控えるようになった深田が最近ハマっているのはウオーキング。1日に20km近く歩くこともあるという。「夢中になるととことんやるタイプなので、“激ヤセ”したと言われていることを気にしているようです。復帰後もしばらく仕事をセーブしてきましたが、6月から本格的に女優業を再開し、活動休止で延期になっていた映画と舞台の制作や、配信ドラマに主演することも内定しているといいます」(芸能関係者) ふたりが直面する危機と復縁について、杉本氏に聞くと「お話しすることはありません」と言うのみだった。杉本氏の会社のオフィスには、企業理念としてこんな言葉が掲げられている。「過去は変えられないが、未来は変えられる」 壮絶な“過去”を乗り越えたふたりが見据える未来は──。※女性セブン2022年5月26日号
2022.05.10 11:00
女性セブン
富士山が噴火した際の被害は?(時事通信フォト)
富士山が噴火したら観光地はどうなる…ハザードマップ&リアルシミュレーション
 日本は地震大国であるだけでなく、地球上の7%にあたる111の活火山を持つ火山列島でもある。なかでも最大規模の噴火が想定されるのは、日本一の霊峰・富士山だ。その大噴火に備え、被害予測や避難計画の策定が進められている。 一般住民は原則として徒歩で避難すること─―。3月30日、富士山火山防災対策協議会が、富士山が噴火した際の新たな避難方針を示すと、近隣住民には混乱が広がった。「万が一にも噴火が起こったら、一刻も早く車で逃げなきゃ助からないと思っていたのに。このあたりは車社会だし、徒歩で避難していて大丈夫なのか」(山梨県富士吉田市の住民) 今回の「徒歩避難」の方針は、昨年3月、17年ぶりに「富士山噴火ハザードマップ」が改定されたことを受けて、避難計画の見直しの中間報告として公表されたものだ。報告では、富士山噴火に伴う溶岩流(マグマ)が噴火から3時間以内に到達する地域の居住者は11万6000人に及ぶと想定された。その数は従来想定の実に7倍に上方修正された形だ。近隣住民が不安を抱えるなか、緊急時に安全に避難するためには、噴火で何が起こるかを正確に知る必要がある。 17年ぶりに改定されたハザードマップは、溶岩流や火砕流などの規模や流量、到達範囲、到達時間などを予測し、マップ化している。過去最大規模で富士山が噴火したら何が起こるのか。1200度のマグマが焼き尽くす〈20XX年5月X日、地鳴りのような轟音とともに、噴煙が日本一の霊峰の上空1万mを優に超える高さまで舞い上がった。1707年に起きた過去最大規模の「宝永大噴火」から実に300年超の沈黙を経て、富士山は煙と岩石、3世紀分溜め込んだマグマを一気に吐き出し始めた──〉 静岡県富士市にある富士山こどもの国。富士山の麓に94.5ヘクタールの公園が広がり、ポニー乗馬やカヌー体験を楽しめる施設だが、ここはハザードマップが示した「想定火口範囲」に含まれている。山梨県富士山科学研究所の吉本充宏主幹研究員が指摘する。「江戸時代の宝永大噴火のような大規模噴火では、直径20~30cmほどの大きな『噴石』が火口から約4km先まで飛ぶ恐れがあります。小中規模噴火の場合でも2km程度先まで飛ぶ恐れがある。大きな噴石は秒速80mに達することもあり、直撃すると命を落とす危険性があります」 死者・行方不明者63人を記録し、戦後最悪の火山災害となった2014年の御嶽山(岐阜・長野)の噴火でも、多くの命を奪ったのは噴石だった。ハザードマップの「想定火口範囲」の付近には、青木ヶ原樹海の東の入り口に位置する鳴沢氷穴や富岳風穴もある。噴火から2時間以内に新たな脅威が襲い始める。火口から標高の低い山麓をめがけ、溶岩流が流れ込むのだ。「溶岩流は溶けた岩石が地表を流れる現象で、富士山の溶岩流は1200度の高温です。火口の下流に向かって流れていき、速度は市街地では人が歩く程度でゆっくりですが、高温のため付近のもの全てを焼き尽くす可能性があります」(吉本氏) 改定されたハザードマップでは被害想定が大きく変わり、噴火から溶岩到達にかかる時間が大幅に短縮された。 前出の富士山こどもの国には最短1時間45分で溶岩流が到達する。多くの親子連れで賑わう富士急ハイランドや富士サファリパークにも、噴火から2時間で溶岩流が到達する可能性がある。フジサンケイクラシックが開催される名門ゴルフコースである富士桜カントリー倶楽部の周囲も、噴火から3時間以内に溶岩流の到達が想定されるエリアに含まれている。前出・吉本氏が市街地への影響を注視するのは、山梨県富士吉田市にある「雁ノ穴火口」だという。「ハザードマップ改定時に追加された火口で、市街地までの距離が1km強しかありません。この火口付近で噴火すると、溶岩流が人口集中地域に短時間で到達するかもしれません。大きな病院や高齢者施設も近いので警戒が必要です」 雁ノ穴火口付近には、年間100万人が訪れる道の駅富士吉田や東富士五湖道路があり、甚大な被害が懸念される。溶岩流は主要交通網にも流れ込み、国道138号には最短13分、国道139号には最短20分で到達する。新東名高速道路には1時間45分、東名高速道路には2時間15分、東海道新幹線には5時間で押し寄せる恐れがある。「溶岩流が高速道路や新幹線に到達すれば、日本の東西を行き来する交通手段が寸断され、復興の遅れにもつながります」(吉本氏) 溶岩の噴出量は、ハザードマップ改定前の7億立方mから13億立方mに上方修正された。最大で57日以内に神奈川県相模原市、小田原市、南足柄市などにも到達し、駿河湾に流れ込む可能性も想定される。東京都内にも被害が〈漆黒の噴煙が山の斜面を猛スピードで駆け下り、必死に逃げる住民や車を今まさに飲み込もうとする―─〉 速度が遅い溶岩流に比べて危険度が高いのが「火砕流」の被害だ。1991年、死者・行方不明者合わせて43人の犠牲者を出した雲仙・普賢岳(長崎)の噴火で発生した火砕流の映像は日本中に衝撃を与えた。「山頂周辺の急な斜面に堆積した軽石や火山灰などが崩壊して、周囲の空気を取り込みながら斜面を駆け下る現象です。時速100kmで600度を超え、火砕サージという高温の疾風を伴うことがある。富士山では噴火直後に発生する可能性は低いが、発生後に到達予想圏内にいたら避難は不可能です」(吉本氏) ハザードマップでは、火砕流は発生後、6分で東富士五湖道路を横切り、国道138号に迫る事態が想定されている。 噴火後には火山灰が降り注ぎ、風に乗って広範囲に運ばれていく。昨年改定されたハザードマップでは火山灰の被害予測は更新されていないが、大規模噴火の場合、山梨県や静岡県の富士山近隣には50cm以上、神奈川県にも10~29cmの降灰が想定されている。遠方では東京23区をはじめ、埼玉県さいたま市や千葉県館山市、いすみ市、茨城県取手市などにも2~9cmの降灰可能性があるという。「火山灰が10cm積もるとタイヤが空転して車に乗れなくなります。火山灰が首都圏に届くと交通網が麻痺して物流や生産もストップし、日本経済に甚大な被害が生じます」(吉本氏) どのように身を守れば良いのか。大切なのは、噴火の徴候に注意を払って行動することだ。吉本氏は、富士山の噴火が何の前触れもなく発生するとは考えにくく、必ず前兆現象が観測できると指摘する。「噴火前に深部低周波地震やマグマが上がってくるような有感地震が発生するはずです。噴火の徴候があれば国や自治体からアラートが出るので、近くにいる場合はその時点で自主退避を始め、遠方にいれば富士山周辺に近づかないこと。今回、中間報告で徒歩避難が推奨されたのは避難時の渋滞を避けるためですが、なかには高齢や病気などで車でしか避難できない住民もいます。各自適切な判断が求められます」 噴火の規模や火口の位置によって被害状況は異なる。様々な可能性を想定しておく必要がある。※週刊ポスト2022年5月6・13日号
2022.05.01 07:00
週刊ポスト
アイチ・森下安道伝 戦後最大の経済事件「イトマン事件」のオールキャスト登場
アイチ・森下安道伝 戦後最大の経済事件「イトマン事件」のオールキャスト登場
【連載『バブルの王様』第二部最終回】貸付総額1兆円のノンバンク・アイチを率いた森下安道の元には、バブル紳士をはじめ怪人物たちが群がった。それが“戦後最大の経済事件”と呼ばれるイトマン事件に繋がっていく。『バブルの王様 アイチ森下安道伝』の第二部第最終回、ノンフィクション作家・森功氏がレポートする。(文中敬称略)。【写真】戦後最大のフィクサー”とも呼ばれた許永中 * * * バブル紳士はもとより反社会勢力の住人、さらには日本の政官界や欧米の社交界にいたるまで、森下安道の交友は果てしなく広がった。そのネットワークには、一般にあまり知られていない接点もある。前号で紹介した山口組の瀧澤孝を森下に引き合わせたのは、須江満実なる人物なのだという。森下と同年代だった不動産・金融ブローカーである。  アンダーグラウンドの人脈に通じる須江は、「ノマツ興産」という不動産会社を経営してきた。斯界では、あの「最上興産」の偽造手形を駆使して地上げの帝王、早坂太吉から41億円も騙し取った男だと語られる。ニセの土地権利証づくりなどはお手のもので、いわゆる地面師詐欺などを働いて前科6犯。詐欺師を騙すクロサギ師と称されたツワモノである。  森下本人によれば、「池田保次を連れてきた」のが、アイチに出入りしていた須江だったという。山口組系組長から地上げ屋に“宗旨替え”し、コスモポリタンを立ち上げた池田は1980年代後半、東証一部上場の中堅ゼネコン「東海興業」株を買い占め、最強の仕手集団と恐れられた。その金主である森下と池田は、しばしばセットで取り沙汰されてきた。コスモポリタンが京都銀行などの地方銀行株を買い漁ると、アイチはそれら地銀の大株主となった。ごみ焼却炉メーカー「タクマ」をはじめ、池田の手掛けた仕手戦のバックが森下だと囁かれたのも無理はなかった。 その池田が勇名を轟かせた走りが、東海興業株の買い占めだといえる。コスモポリタンによる株争奪戦は、証券界のみならず、政財官界にも波紋を呼んだ。折しもリクルートグループの不動産会社「リクルートコスモス」の未公開株がばら撒かれた1986年6月から翌1987年春にかけての時期にあたる。リクルート疑獄そのものは、〈川崎市助役へ一億円利益供与疑惑〉と題した1988年6月18日付の朝日新聞朝刊によって明るみに出たが、未公開株の譲渡と同じ頃、池田は東海興業の株取引に血道をあげていた。  森下に資金繰りを頼んで東海興業株を購入した池田は、そこから準大手ゼネコン「青木建設」に東海興業との合併を持ち掛けた。株の買い取りを打診された青木建設は前のめりになる。 実際、池田は1987年3月、買い集めた東海興業の2000万株を一株あたり1800円で青木建設に売り抜けた。売却額は実に約350億円にのぼり、池田はこの仕手戦で100億以上を荒稼ぎしたと伝えられる。むろんこの間、金主の森下も相当な利益を得ているが、見方を変えれば、森下と池田は、青木建設の東海興業合併計画にひと役買ったことになる。  青木建設といえば、竹下登銘柄と呼ばれた政界のスポンサー企業であり、おまけにリクルート疑惑が囁かれるさなかのことだ。竹下自身、コスモスの未公開株譲渡が浮上していただけに、青木建設の株取引は、兜町や北浜の話題をさらった。 青木建設の合併計画はその後、東海興業側の反発を食らい、とん挫する。6月には、東海側が500万株を買い戻し、青木側が大株主に留まり、東海を支えることで折り合った。むろん森下や池田は痛くも痒くもない。それどころか、池田はこの間も、双方のトラブル処理に首を突っ込んで存在感を示した。  この東海興業を巡る一連の株取引では、現役国会議員の名前が何人も浮かんだ。池田の相談相手となった一人が、亀井静香である。おまけに亀井はこのあと、池田の薦める自動車内装部品メーカー「シロキ工業」20万株や紡績会社「オーミケンシ」18万株を池田とともに買いあげた。挙げ句、当時の相場で3億4000万円だったそれらの株を5億円で池田に買い取らせていた事実まで判明する。  シロキ株やオーミケンシ株の売買について、亀井事務所は「他の政治家に頼まれて窓口になっただけで、利益は得ていない」と言い訳をした。それでいて、コスモポリタンからの5000万円授受疑惑まで浮上した。 もっともこうした池田と亀井の関係が評判になったのは、実際のやりとりの2年ほどあとのことだ。東京・目黒の雅叙園観光ホテル株を買い占めて経営に乗り出した池田は1988年8月、忽然と姿を消す。そしてあの許永中グループが池田のあとの雅叙園観光の経営を引き継いだのである。のちに戦後最大の経済事件と呼ばれたイトマン事件を引き起こした許は、大阪地検特捜部に逮捕されたあと、取り調べ検事に次のように供述した。 〈私は、昭和六十三(1988)年二月ごろから、債権者仲間から推されて、雅叙園観光(ホテル)株式会社の経営に関与するようになりました〉(1991年8月8日取り調べの検察官面前調書より抜粋) 前に書いてきたように雅叙園観光ホテルは、芸能興行師の松尾国三が戦前の中華料理店を戦後モダンなシティホテルに改め、繁盛してきた。遊園地などを運営する日本ドリーム観光の兄弟会社で、1980年代後半、ここが池田に乗っ取られたのである。  その池田が姿をくらまし、許グループがその経営を引き継いだのは間違いない。半面、前述したように池田の失踪は1988年8月なので、供述通りだとすれば、許は池田の失踪より半年前に雅叙園観光ホテルの経営にかかわっていたことになる。いったい、どういうことだろうか。 池田の失踪はその前年の1987年10月に起きた世界同時株安、ブラックマンデーにより、タクマをはじめとした仕手株が軒並み暴落したせいだとされる。池田は資金繰りのため、雅叙園観光ホテルの手形を乱発した。すると、株価はさらに下がり、ますます窮地に陥っていった。  仕手筋にとってブラックマンデーによる株価の暴落はたしかに痛手であったろう。明くる1988年には、「北浜の御三家」と呼ばれた大阪の大物相場師が証券界から消えた。順を追っていえば、1月に「コスモ・リサーチ」の見学和雄が殺害され後にコンクリート詰めの遺体になって貸倉庫で発見、8月がコスモポリタンの池田の失踪、10月になると木本一馬の経営する「日本土地」が倒産し、当の木本は3年後に豊中市の自宅で自殺した。 ただし「一人で東京に行く」と秘書に言い残して新大阪駅から新幹線に乗り込んだ池田の失踪は、株価の暴落だけが理由だとも思えない。他の仕手筋やバブル紳士たちもブラックマンデーで同じように痛手を負った。だが、むしろ多くはここからバブル景気を謳歌し、絶頂期を迎えていく。それだけに池田の失踪については、いまだ謎めいた語らい草となっている。アイチの大阪支店でコスモポリタンを担当していた森下の元秘書、大野晃は、池田の失踪について終始首を傾げてきた。 「池田会長の失踪情報を聞いた翌日の朝、大阪・御堂筋にあったコスモポリタン事務所に駆け付けました。すると、入り口のドアに、『新日本建設の管理物件』と張り紙がしてあって立ち入れない。驚いたことに、事務所は永中さんの側近グループが占拠していた。どこから失踪を知ったのか知らないけど、ひと足先にコスモポリタンの株やら不動産やらの資産を差押えていたのです」  張り紙の「新日本建設」は許のグループ企業である。先の供述と突き合わせて考えれば、許は池田の失踪前から雅叙園観光ホテルの経営を引き継ぐ準備をしていたのであろう。「新たに1億円ばかりファイナンスしてくれまへんか」 許永中が絵画ビジネスで森下たちといっしょに欧州旅行をしてきた件は、前に書いた。当の許は絵画だけでなく、株や不動産の取引でもアイチから融資を受けてきた。森下が許に融通した資金は、トータルで数千億円といわれる。森下はどうやって許と知り合ったのか、90年代初めに森下本人に尋ねたことがある。 「もう25年くらい前でしたかな。永中とはじめて会ったのは。まだ30歳そこそこだったけど、それ以来風貌はほとんど変わっていません」 アイチとの取引は飛び込み同然だった、と森下は言った。 「うち(アイチ)の八重洲支店が永中に金を貸していましてね。それが焦げ付いていたんです。焦げ付いたのは、あの頃ですから、3000万円程度だったと思います。それで、八重洲の支店長へ『いっぺんそいつを連れて来いや』と命じた。そうして永中本人がここ(アイチ本社)へやって来た。まだ藤田栄中と名乗っていました」 当時の許は、「東邦エンタープライズ」という旧東邦生命の保険代理店を設立し、その東京支店を開設したばかりだった。支店は大手町の皇居前にあるパレスホテルの一室を借り、事務所にしていた。 「この場で焦げ付きをきれいにしろ」  森下はアイチ本社に許を呼びつけ、そう迫った。一方の許はこう切り返した。 「わかりました。ついては新たに1億円ばかりファイナンスしてくれまへんか」  森下はあまりの図々しさになかばあきれながら、半分はその並外れた人懐っこさに魅力を感じたという。「おまえは頭がおかしいのと違うか。なんで3000万円も焦げ付いている相手に追加で金を貸さなければならんのか」  そう言いながら、森下はまずは3000万円を返済させた。 「まあ、そうだな、ほかに担保があれば、改めて新規で融資せんでもないよ」  森下は許の持っている不動産を担保に1億円を新たに貸し付けた。ここから許はひと月に1度のペースで四谷のアイチ本社を訪ね、森下と親しくなっていく。 やがて許に欧州の絵画を売るようになった森下は、許を京都銀行の株取引に巻き込んだ。既述したように、1980年代末期の森下は、全国の地銀や第二地銀の株を買い漁った。あわよくば銀行を手に入れたいという願望があったからだが、なかでも最も熱をあげたのが、京都銀行株の取得だった。アイチでコスモポリタンに仕手戦の資金を用立てながら、一方で森下は京都銀行の第三者割当増資を引き受け、自らの持ち株を増やした。そのうえで森下は、所有している京都銀行株の何分の一かを許に譲渡した。  株の譲渡は許の希望でもあった。それは、京都銀行株の売り先を想定していたからにほかならない。このとき許は西武セゾングループの代表である堤清二が京都銀行を手に入れたがっていると聞きつけた。情報源は画廊「フジ・インターナショナル・アート」を経営する福本邦雄だとされる。福本は竹下の「登会」をはじめ、中曽根康弘の「南山会」や大平正芳の「大雄会」といった後援組織を主宰する政界の黒幕といわれた。日本共産党の指導者だった福本和夫の長男であり、東大時代に共産党細胞だったセゾンの堤との関係から、京都銀行の件を知ったという。 許は堤に売るため、京都銀行株を買い集めた。森下から譲渡された株を足がかりに、市場で100万株、200万株と買い増していった。購入する株式を担保に金を借り、株を買い増していくやり方だ。仕手筋の常套手段でもあり、いわばコスモポリタンの池田と同じ発想だ。許はコスモポリタンの池田のことを「池ちゃん」と呼んで、二人は親しくしていた。  許は、アイチの森下やコスモポリタンの池田が進めてきた京都銀行株の買い占めに相乗りしたようなものだといえる。許の持ち株はあっという間に2300万株に達し、実に京都銀行の発行済み株式の7%を占めた。株価の時価評価額にすると230億円。株を買う資金の出どころの大半がアイチだったのは、いうまでもない。「こんなに株を買ってどうするつもりなのか。金利は払えるのか」  森下は慌ただしく京都銀行株を買い集める許に対し、そう問いかけた。が、堤に株を売る腹積もりの許は平然としていたという。 もっともこの京都銀行株仕手戦の参戦は、失敗に終わった。肝心の堤が土壇場で買い取りを拒否したからだ。ただし、株を担保にとっている森下は、いざとなれば抵当権を行使して許の株を手に入れればいい。そこは池田に対しても同じだが、京都銀行株の買い占めは、そうした異なった思惑が絡み合い、進んでいったのである。  この京都銀行株の仕手戦は1988年7月頃までのこと。つまり池田が姿を消すひと月前である。池田の失踪はもっぱら雅叙園観光ホテルの経営問題がらみで語られることが多いが、京都銀行株とも無縁ではないように感じる。手提げの紙袋で渡された現金を新聞紙で覆い隠して持ち運んだ〈雅叙園(観光ホテル)は、コスモポリタンの池田保次が経営権を握り、手形を乱発したことから、経営危機に陥り、池田に対する債権者ら、つまり、私やアイチの森下安道、丸益産業の種子田益夫、大阪府民信組の南野洋らが相談し、その経営を見ることになって、まず、私が右債権者仲間から推されて、雅叙園に送り込まれたのです〉  大阪地検に対する許の供述は、次のように続く。 〈何もやりたくて自ら進んで雅叙園の経営に乗り出したわけでもなく、(中略)右南野が、協和綜合開発の伊藤(寿永光)に雅叙園を任せたらと勧めてくれ、伊藤に雅叙園の経営をバトンタッチすることになったのです〉  こうして許や伊藤、南野らが、池田による雅叙園観光ホテル株買い占め劇のあと処理を手掛けていった。それはのちのイトマン事件に登場する役者たちのオールキャストでもある。 なお許の供述にある丸益産業の種子田もまた、アイチの取引相手だった。出身地の宮崎県で養豚事業を始め、金融業やゴルフ場開発で財を築いた。演歌歌手の石川さゆりのパトロンと騒がれた時期もある。ゴルフ場経営会社「アイワグループ」を率い、関東や関西で病院を経営してきた。種子田はのちに小佐野賢治がオーナーだった国民銀行の不正融資事件を引き起こす一方、森下だけでなく、許や南野とも付き合いがあった。種子田を担当していたアイチの元幹部社員が回想した。 「種子田会長はふだん大阪にいたから、そこへヘリで行ったことがあります。(森下)会長に『この絵を売るから、急いで持っていけ』と命じられましてね。絵のことなんてぜんぜんわかりませんし、包装されているので中身も知りません。会長に言われるがまま、大きな額の絵を抱えて向こうに持っていきました」 絵画の売却代金は1億3000万円だったという。売却代金を受け取って会社に戻れ、という指示だったようだ。再び幹部社員がその状況を説明する。 「ところが、帰りはヘリを使えなかった。あの頃の会長は1億3000万円ぐらいなら、いつどうにでもなっていたので、急いでいたのは種子田会長のほうだったのでしょうね。絵を別の取引に使おうとしたのかもしれません。私は届けたあと、現金を持って新幹線で帰京しました」 売却代金の1億円あまりはデパートにあるような手提げの紙袋で渡され、その上から新聞紙で覆い現金を隠して持ち運んだという。 「だから怖くて、帰りの新幹線ではトイレにも行けませんでした。で、会社に戻っても森下会長はもういないし、役員の営業部長にそれを渡し、ようやくホッと安心した覚えがあります」(同社員) 帰京の際に新幹線を使ったのは、ヘリコプターがアイチのそれではなく、種子田のものだったからのようだ。森下は当初ブラックホークメーカーとして名高い米「シコルスキー・エアークラフト」製のヘリを使っていたが、その後イタリアの「アグスタ」製に換え、それを輸入してアイチの取引先に販売した。アグスタ製はノーマル仕様が3億2000万円で、VIP仕様で4億2000万円、許はヘリのボディに虎のマークを入れたという。それらは江東区木場のヘリポートで整備されていたため、東京に置かれていたのである。  アイチの森下安道のまわりでは、池田保次の失踪と相前後し、バブル経済を象徴するような大きな事件が同時多発的に起きた。1989年8月、ワイヤーロープメーカー「東京製綱」株の仕手戦を演じた韓義孝率いるキャングループが1000億円の負債を抱えて倒産。森下が債権者委員会を取り仕切った。さらにアイチが繊維商社「立川」の筆頭株主に躍り出て、立川のメインバンクで大株主の住友銀行グループが大慌てする。住銀グループは第三者割当増資で株数を増やし、森下の持ち株比率を下げようとして揉めていった。 これに対処したのが、住銀グループ系商社イトマンの社長だった河村良彦だ。アイチ側と直談判して事態を収拾するのだが、その裏で河村は雅叙園観光ホテルの経営にも首を突っ込んだ。そこから、ついにイトマン事件の幕が開く。  事件はバブルという泡沫の夢を吹き飛ばした。しかし、バブルの王様は生き残った。(『バブルの王様』了)【プロフィール】森功(もり・いさお)/ノンフィクション作家。1961年福岡県生まれ。岡山大学文学部卒。新潮社勤務などを経て2003年よりフリーに。2018年、『悪だくみ―「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。近著に『菅義偉の正体』『墜落「官邸一強支配」はなぜ崩れたのか』など。■『バブルの王様 アイチ森下安道伝』は書き下ろしを加えて小学館から刊行予定。※週刊ポスト2022年4月29日号
2022.04.30 19:15
マネーポストWEB
北海道・東北の駅弁を楽しむ(写真は北海道・函館駅の『鰊みがき弁当』)
2つの新幹線で繋ぐ北海道・東北の旅 旅のお供に味わいたい駅弁3選
 楽しみを控えてきた2年間の長いトンネルを抜け、GWは列車旅の予定を立てている方もいるだろう。桜満開の函館、新緑の東北へJR東北新幹線とJR北海道新幹線、2つの新幹線で行くのはどうだろうか。 函館駅前から市電などで行ける五稜郭は桜の名所。展望台からの星形に広がる桜の眺めは圧巻。八戸駅から鮫駅に向かうと種差海岸やウミネコの繁殖地・蕪島の景色が楽しめる。一ノ関駅から電車で約30分、絶景の猊鼻渓もおすすめ。その旅のお伴となる駅弁を紹介しよう。【函館駅(北海道)】『鰊みがき弁当』(駅弁の函館みかど)1000円 秘伝のタレで煮込んだ身欠き鰊の甘露煮は骨まで柔らかく、数の子、茎ワカメの醤油漬けも美味。昭和41(1966)年の発売当初と同じ製法を守る。【八戸駅(青森県)】『八戸小唄寿司』(吉田屋)1200円 三味線の胴を模した器にぎっしり詰まるのは、近海産ブランド鯖「八戸前沖鯖」と紅鮭の押し寿司。バチ型ヘラで切る楽しさも味わえる。【一ノ関駅・盛岡駅(岩手県)】『金格ハンバーグと牛あぶり焼き弁当』(斎藤松月堂)1280円 熟成肉専門店「格之進」(一関市)の白金豚と国産牛をブレンドした金格ハンバーグをはじめ、国産牛のあぶり焼き、特製スジ煮込みを堪能できる。取材・文/上田千春※週刊ポスト2022年5月6・13日号
2022.04.27 11:00
週刊ポスト
ミニから美脚が飛び出す深田恭子
深田恭子「40才で結婚」のプランが揺らぐ 酒量が増え朝昼から飲む日も
 昨年5月末、仕事を終えた直後に倒れ、控えていたドラマを降板した深田恭子(39才)が、徐々に元気を取り戻してきた。「適応障害」と診断され、それ以降休養に入ったが、秋から少しずつ仕事に復帰。4月中旬には、東京・港区の高級焼肉店で渡部篤郎(53才)夫妻と食事を共にし、店を出た後はカラオケバーをはしごする姿がキャッチされた。 しかし深田の知人は「まだまだ安心できる状態ではない」と話している。「生活のパターンもすっかり変わってしまいました。特に心配なのが、お酒の量が増えていること。それに飲んでいる時間も極端に長い。渡部さんご夫婦と焼肉店とカラオケバーをはしごした日も、彼女は朝から15時間くらい飲んでいたと言っていました。仕事のプレッシャーもいまはあまりないはず。彼女はなぜあそこまでお酒を飲み続けるのか……」(深田の知人)3月には妹出産 深田といえば、不動産会社「シーラホールディングス」の会長である杉本宏之氏(44才)と交際を始めてから4年目になる。今年の元日にはスポーツ紙で年内にも結婚の予定だとも報じられた。「杉本さんは、深田さんが精神的に不安定になってしまった時期に、彼女のお母さんと交代で24時間、目を離さずに見守り続けていたと聞いています。彼のサポートがなければ、深田さんのここまでの“復活”はなかったように思います。彼は以前、深田さんが“40才になるタイミングで結婚を”と周囲に公言していた時期もあったので、年内の結婚の可能性は高いと思っていました」(テレビ局関係者) しかし、徐々にそのプランに狂いが生じていた。「杉本さんの会社が、上場準備を本格的に始めたため、以前とは比べものにならないほど忙しくなってしまい、その結果、深田さんとすれ違うことが多くなっているようです。 杉本さんは以前、起業した会社を上場させた経験がありますが、その後、その会社は民事再生することになり、上場を廃止している。そのリベンジを果たすには、不動産が活況のいまを逃すわけにはいかないのでしょう。なかなか一緒に過ごす時間が取れないことで、深田さんの不安も募っているのかもしれません」(不動産会社関係者) 交際の始まった2019年から今日まで、ふたりには何度も結婚のタイミングが訪れていた。「結婚後の財産について事前に契約を交わすなど、お互いを思う気持ちは強いものの、結婚に対しふたりの気持ちがかみ合うことはなかったように思います。杉本さんの結婚願望が高まったときにはキョンちゃんが仕事に夢中で、『いまは結婚できない』モードに。彼女が『そろそろ』と考え始めると、今度は杉本さんが多忙になるという繰り返しでした。いまは後者かな。 3月にはキョンちゃん(深田のこと)の妹に3人目の子供が生まれました。キョンちゃんは度々会いに行ったり、プレゼントを贈ったりして、本当にかわいがっています。いま、彼女が家族のこと、母になることを意識しているのは間違いないと思いますよ」(深田の知人) そうしているうちに、時間が過ぎていく。そんななか深田が頼ったのが、お酒だったのか。「20代の頃から酒豪で知られていましたから、彼女にとっては特段酒量が増えた感覚ではないのかもしれませんが、仕事をセーブしているにもかかわらず朝昼からお酒を飲んでいる状況はやっぱり心配です。少し焦りを感じているのはあると思います。そうした現状も、渡部さんご夫婦に相談していたのではないでしょうか」(前出・深田の知人) 深田が休養に入ってから、間もなく1年になる。CMなどでは姿を見るようになったものの、長時間の拘束が前提となる連続ドラマや映画の予定はしばらく入っていないという。「本人は前向きなようですし、やせたのもプロ意識からのようです。でも周囲としては、とにかくこのタイミングで少しでも規則正しい生活を取り戻してほしいと気を使っています。その気持ちが本人に伝わればいいのですが……」(芸能関係者) 今年は40才という節目の年。元気な深キョンがみたい。※女性セブン2022年5月5日号
2022.04.22 05:00
女性セブン
深田恭子、渡部篤郎夫妻と焼肉・カラオケをはしご 周囲からは健康面での心配も
深田恭子、渡部篤郎夫妻と焼肉・カラオケをはしご 周囲からは健康面での心配も
 今年の2月からNetflixで配信がスタートした韓国ドラマ『39歳』。配信から2か月が経ったいまでもランキングの常連(4月18日現在)なのは、この作品が40才を目前に控えた女性の微妙な心の揺れや、恋愛と結婚、仕事との向き合い方、友人関係を丁寧に描いているからだろう。さて、ここにもひとり人生の決断を迫られる39才の日本のトップ俳優がいて──。 4月中旬、この日の東京は、汗ばむほどの陽気だった。日中は半袖姿になり、季節を先取りしたかのような暑さを楽しんだ人も少なくなかったが、日が落ちればまだまだ肌寒い。 手に持っていた上着に腕を通す人が見られるなか、夜8時過ぎ、東京・港区の高級焼肉店から無邪気な笑みを浮かべて出てきた女性は、デニムのショートパンツからほっそりとした生足を大胆にのぞかせていた。オフホワイトのパーカーにショッキングピンクのブーツを合わせた深田恭子(39才)だ。 深田は、連れの男女と共に歩道を歩き始める。すれ違う人たちがマスク越しでもわかる彼女の姿に向ける視線など、お構いなしといった様子だ。仲よく腕を組んだ3人は、近くのカラオケバーへと消えていった──。 この夜、深田と行動を共にしていた男女は渡部篤郎(53才)夫妻だった。深田と渡部は20年来のつきあいになるという。「2002年のドラマ『First Love』(TBS系)で共演して以来の関係だそうです。主演の渡部さんが教師を、深田さんが渡部さんと禁断の愛に陥る教え子を演じていました」(テレビ局関係者) その後も、2010年には『まっすぐな男』、2019年からは『ルパンの娘』(ともにフジテレビ系)で共演を重ね、いまでは、2016年に再婚した渡部の妻ともすっかり心を許し合える仲になったようだ。「渡部さんは一見怖そうですが、若手の面倒見がいいんです。年下の俳優とも意気投合すれば、先輩後輩関係なく、気軽に買い物に行ったり、飲みに出かけたりする。深田さんにも早い段階で妻を紹介したそうです」(前出・テレビ局関係者) その関係は、深田が仕事をセーブしている間も続いたようだ。昨年5月末、深田は仕事を終えた直後に倒れ、控えていたドラマを降板。「適応障害」と診断され、それ以降休養に入った。「当時の彼女は忙しすぎました。長時間の撮影を連日こなし、さらにCMの撮影も数本重なった。心も体もボロボロだったと思います。本人も“当時は仕事を頑張りすぎていた”と口にするほどでした」(芸能関係者) 昨年の秋からは少しずつ仕事に復帰しており、この日の夜のように、気の置けない友人と食事を楽しめるまでに回復したことに、ほっと胸をなで下ろす関係者も少なくない。しかし、深田の親しい知人は「まだまだ安心できる状態ではない」と語気を強める。「キョンちゃん(深田のこと)は健康的でメリハリがあるスタイルが魅力のひとつだったけど、倒れた時期を境に、顔も脚もずいぶんとほっそりしてしまいました。本人は『やせたよ!』とうれしそうに話してくれますが、なんだか急にやせすぎてしまったようで……」 深田の知人が心配するのは、体形の変化だけではない。「生活のパターンもすっかり変わってしまいました。特に心配なのが、お酒の量が増えていること。それに飲んでいる時間も極端に長い。渡部さんご夫婦と焼肉店とカラオケバーをはしごした日も、彼女は朝から15時間くらい飲んでいたと言っていました。仕事のプレッシャーもいまはあまりないはず。彼女はなぜあそこまでお酒を飲み続けるのか……」(前出・深田の知人) 40才という節目で元気な“キョンちゃん”が見たい。※女性セブン2022年5月5日号
2022.04.21 05:00
女性セブン
韓国・水原にあるサムスン電子の半導体工場。2007年(AFP=時事)
70代元家電メーカー技術者の悔恨「メイド・イン・ジャパンを放棄してはいけなかった」
「ものづくり」という言葉が日本の製造業の強さとして、さかんに世の中で言われるようになったのは1990年代後半のこと。団塊の世代がいっせいに定年を迎える「2007年問題」が取り上げられ、技術の継承が危ぶまれたこともあって注目をあびるキーワードとして浮上した。だが世間の耳目を集めたときにはすでに遅かったらしく、そのとき技術者たちは日本の製造業の隅へと追いやられた後だった。俳人で著作家の日野百草氏が、日本の「ものづくり」がどのようにして弱体化させられたのか、製造業の技術者として働いていた人たちが現場で見たことを聞いた。 * * *「よいものを作れば評価される時代がありました。それが儲かるだけのものに変わり、インチキしか作れなくなり、最後は関係ない仕事をしていました」 筆者が教えるシニア向けの趣味サークルで語ってくれたのは70代の元技術者、出会った当時、といっても4、5年前だが「あの製品は私も手掛けてましたよ」と聞いて筆者は色めき立ったものだ。彼は家電メーカーの技術者だった。そう、かつての日本はあらゆる「ものづくり」で世界のトップに立っていた。「あの時代、現場の技術者は次々とリストラされました。業界そのものを見限ってビルメンテナンスとかタクシー運転手とか別の分野に行ったのもいましたが、運良く腕を買われて中国や韓国の企業に手を貸した技術者もいましたね」 柔和に笑う元技術者、70代は逃げ切りのように思われるかもしれないが、理系技術者に限れば、決してそうではなかったという。「1980年代まではよい製品を作ればいい、ただそれだけでした。でも技術屋なんて本来そんなものです。会社が権力争い、出世競争をしていても私たちは蚊帳の外で、むしろそれでいいと思ってました。技術畑で出世する人なんて少ないし、まして一般(家電)でしょう、上が変な投資をしたって、技術を切り売りしたって止めようもない」 詳細な経緯は本旨ではないため割愛するが、彼が工学の知識と経験で技術者として食ってきたことは確かだ。それは1990年を過ぎたあたりから怪しくなったという。「多くのメーカーに銀行が介入してくるようになりました。うちもそうです」 経営立て直しの名目で銀行から出向してきた連中はもちろん、よくわからない経営コンサルタントも送り込まれてきた。「銀行から来た連中はコストカットが目的、よい物を作らなければいけないのに、よい物を作るなと言ってくる。とにかく金をかけずに、よい物でなくてもいいから売れるものを作れと。また営業は消費者の声ではなく大手家電量販チェーンの声を聞くようになりました。お金を調達するために銀行の言いなり、作ったものを置いてもらうために家電量販店のいいなり、それでうまくいくならともかく、ジリ貧になりました。コンサルも高い金をとって引っ掻き回すだけ、いよいよというときにはちゃっかり逃げてました」 もちろんそれだけが原因ではないかもしれない。時代の変遷もあるだろうし、そもそも会社の経営ミスも重なっただろう、しかし彼は納得できないと語る。「元はと言えば出世した営業や事務方がよくわからない投資や多角経営を繰り返したあげくの経営難でしたから、それで最初に詰め腹を切らされるのが技術屋って、納得できるわけがありません。海外生産、資金調達も含めた合弁という名目で中国や韓国といった当時の途上国に技術提供もしました。私も実際、教えに行きましたよ」隙間家電が多かったサムスンもLGも今や世界企業 思えば日本企業は高度成長期以降、韓国や中国に技術を提供し続けた。冷戦下の1970年代、韓国のサムスン電子は五流企業で簡易な半導体すらまともに作れず、LSIは不良品ばかりだった。「日本を目指したんですよ、VLSIを日本に学び、日本を抜くってね」 そんなサムスンに1970年代から1980年代にかけてNECとシャープが協力したことは歴史上の事実である。世界の半導体メーカー上位10社中6社が日本企業だった時代もあったが、いまやサムスンは半導体メーカーとして世界一、コロナ禍にあっても2022年1~3月期の連結営業利益は世界的な半導体需要で前年同期比50%増となった。 また1990年代に入ると韓国だけでなく中国にも工業技術や生産システムを教えた。三洋電機はいち早く安寧省の合肥市と合弁事業を展開、その三洋は東芝とともに、当時は得意な製品が電機扇風機、というレベルでしかなかった中国の美的集団(ミデア)にも協力した。「個人的には不安でした。日本企業は1970年代から韓国に協力していましたが、1980年代には韓国もそれなりのものを作れるようになってました。たとえばゴールドスターの再生専用機とかテレビデオとか、なるほど値段なりとはいえよく作ってると思いましたよ」 ゴールドスターといっても若い人は知らないだろうが、現在のLG(LGエレクトロニクス)である。いまや世界に100以上の拠点を持つ多国籍企業だが、当時は「ラッキーゴールドスター(金星社)」という社名だった。LGはそのラッキーのLとゴールドスターのGである。いまはなき第一家電(2002年経営破綻)や新栄電機産業(2003年破産)といった家電量販店のはしりともいえるチェーン店でよく見かけたものだ。「メーカーを追い出されたり、独立して小さな工場を経営したりの技術者が中韓の仕事を請けてましたね。隙間家電(ジェネリック家電とも)が多かった。テレビデオとか1ドア冷蔵庫とか。それがいまやサムスンもLGも世界企業ですからね」 そんな1970年代から1990年代に現役技術者としてものづくりをしてきた彼にとって韓国はもちろん、とくに中国の躍進は感慨深いと話す。「あんなに繁栄するなんてね。私が中国に初めて仕事で行ったときなんて本当に貧しくて、みんなボロボロの自転車を漕いでましたよ。人民服はもちろん下着でウロウロしているお爺さんとか普通で、電機やガスすら通ってないような集落とかありました。着の身着のまま、畑で取れたものを食べるだけの家族とかね。それがコロナ前に旅行したら未来都市みたいになってるんですから、たった30年であんな風になるとは想像しませんでした」 深センなどまさにそれだろう。世界的なメガシティをいくつも抱えるまでになった中国、いまや日本の新幹線が中国の新幹線として走り、日本の造船は中国のコンテナ船となって世界を駆け巡る。それらは輸出もされている。家電にいたってはハイアール(海爾集団)が三洋電機を吸収して「アクア」ブランドとして世界最大の白物家電メーカーとなり(旧三洋電機の海外工場の一部はTCL集団が買収)、東芝の白物家電はマイディア(美的集団)、映像部門はハイセンス(海信集団)に、NECと富士通のパソコン部門はレノボ(聯想集団)、パイオニアはBPEA(中国の投資ファンド)にそれぞれ吸収、あるいは傘下となった。教えていたはずが、立場が逆転してしまった。「ハイアールなんて1980年代はいつ潰れてもおかしくない会社だった。共産主義しか知らない人たちでしたから、会社経営とか資本主義をよく知らないわけで、全部日本が教えたようなものです。それがいまや世界企業、中国も超大国ですからね」 たった30年で逆転した。国際的な信用はともかく政治力、経済力、国際競争力のすべてにおいて最強、世界経済は米中二大国によるパワーゲームとなった。「メイド・イン・ジャパンを放棄してはいけなかったんです」孫に工学部なんて私は勧められません「メイド・イン・ジャパンは誇りでした。それがコストに見合わないから手を抜けとなり、手を抜きたくないのに予算を削られて、目をつけられれば営業にまわされる。営業も立派な仕事ですが、技術者にやらせるべきことは他にもあるでしょう。海外生産は仕方ないにしても、メイド・イン・ジャパンの技術だけは守らなければならなかった。それなのに、目先の利益と老後の逃げ切りだけを考えた経営陣や事務屋に滅茶苦茶にされたのです」 こうした技術者の受難は1990年代以降、日本の「ものづくり」衰退と比例するかのように繰り返されてきた。「飛ばされた先の若い上司に『みなさんパソコンを学ぶように』って言われたときはさすがに苦笑しました。なにを偉そうに、俺たちはパソコンどころかマイコンそのものを一からはんだで作ってたぞ、って。まあ、リストラのための嫌がらせなのでしょうが」 もちろんパソコンが得意どころか黎明期から仕事道具でもあり趣味でもあった技術者ばかり、年齢だけでこうした判断をすることはエイジズムと呼ばれるが、これはおっしゃる通りの嫌がらせだろう。日本企業は失われた30年、まるで粛清のように「追い出し部屋」と呼ばれる部署に追いやったりもした。日本IBMやリコーなど名だたる企業がこの件で敗訴したが、研究者や技術者も無縁でなかった。ものづくりのプライドをズタズタにされた。それでうまくいったのなら構わないが、その場しのぎのリストラに過ぎなかった。多くのメーカーが中台韓の傘下、もしくは事業そのものの切り売りを続ける羽目となった。「孫は国立の医学部に行きました。工学部なんて勧められません。それでも工学やりたいのなら日本なんて早めに脱出したほうがいいですね。いや、医療以外の理系全般かな」 ものづくりの大先輩からこうした声を聞くのは悲しいが、現実であり実感なのだろう。ノーベル物理学賞の眞鍋淑郎博士に「I don’t want to go back to Japan(私は日本に戻りたくありません)」とまで言われてしまった日本。本稿はただ一人の技術者の話かもしれないが、現に日本の理系の現場が蔑ろにされ続けてきたことは事実。蔑ろといえば理研が600人の研究関係者を雇い止めにする、事実上のリストラをすることについてはどうか。「驚きません。日本はそういう国ですよ。私もそうでしたから」 メーカーがわかってしまうため詳しくは書けないが、研究所と企業の違いはあるにせよ、彼もそうした目に遭ってきた。「理研に入れるってすごいことですよ。私の大学の出身者にもいますが頭の作りが全然違う。研究主宰も(雇い止めの中に)いるのでしょう? その下の研究者も含めて海外に出るでしょうね、日本企業は年食った研究者や技術者、とくに基礎(科学・研究)は雇いませんから。日本が心配ですよ」 彼の部下にも海外に出てヒット製品を手掛けた技術者がいたという。その方にとっては生活のためだがリベンジマッチの意味もあったのかもしれない。それにしても、これが理研クラスの研究者で、時間は掛かるが世界を覆すような研究をしていた研究者だったら、と想像すると恐ろしい。「私の話は小さな話かもしれませんが、そういうことをするから他国に技術が流れるんですよ。そんなことを国や(日本の)企業が30年間繰り返した結果が、いまの日本です」 4月6日、日本の半導体を中心とした基幹インフラの供給、先端技術、機微技術を保護する経済安全保障推進法案が与野党賛成多数で可決された。この件に右も左も関係ないという点で危機感は感じられるが、案の定「事業者の事業活動における自主性を尊重」という横槍によるエクスキューズがついてしまった。「待遇が悪いのですから流出は止まりませんよ。ずっとそうなのですから。大手だって技術部門の待遇は酷いものです。事務方にすれば『好きなことやってるんだからいいだろ』って感覚です。それで逃げられて、裏切られたとか、何をいまさらですよ」 彼にすればまさしく「何をいまさら」なのだろう。「今だけ金だけ自分だけ」が跋扈して久しい日本、個々人はそれで構わないが、企業や研究機関、ましてや政府がそれでは衰退もやむなし、いまや日本の技術革新力は13位(WIPO・2021年)、科学技術指標によれば主要論文数は10位(文部科学省・2021年)、競争力ランキングに至っては31位(IMD・2021年)である。かつて世界の科学技術を牽引してきた日本が、GAFAMに代表されるような新世代をリードする先端・先進技術どころか旧世代の技術すら世界から取り残されようとしている。日本の宝である技術や研究を売り渡し、冷遇し続けた末路と言われても仕方がない。そもそも経済安全保障を謳いながら理研の600人を雇い止めにしようとしている。以前、拙筆『「理研600人リストラ」に中国人ITエンジニアは「不思議です」と繰り返した』でも書いたが、まったく意味不明である。「現役時代から意味不明でしたよ、経営陣はもちろん、営業や事務方が何をしたいのか私たち技術屋にはさっぱりわかりませんでした。理研の研究者も同じじゃないですかね。それでうまくいってるなら私たちが悪いのでしょうが、傾くばかりだったのですから。ほんと、何がしたかったんでしょうね」 韓非子の「千丈之堤以螻蟻之穴潰」(千丈の堤も螻蟻の穴に潰ゆ)ではないが、彼のような技術者はもちろん研究者、クリエイターといった個々の現場を軽視し続ける愚行、その積み重ねもまた「失われた30年」、日本衰退の一因である。資源大国でも食料輸出大国でもない日本が頭脳を冷遇し、放棄する。それも現在進行形である。本当に何をしたいのか、さっぱりわからない。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)日本ペンクラブ会員。出版社勤務を経てフリーランス。社会問題、社会倫理のルポルタージュを手掛ける。
2022.04.11 16:00
NEWSポストセブン
旅行先で地震に遭遇、「新幹線運休」で帰れなくなったらどうなるか
旅行先で地震に遭遇、「新幹線運休」で帰れなくなったらどうなるか
 旅行中に大きな地震が発生し、想定していた移動手段で帰れなくなってしまった──そんな状況に遭遇した場合、どう行動したらよいのだろか。3月16日23時36分頃、福島県沖でマグニチュード7.3、最大震度6強の地震が発生し、東北新幹線が運休した。旅先で同地震に遭遇した人の話を聞いた。【写真】仙台から東京行きの高速バス。東北新幹線運休により休止されたJRの券売機 都内のマスコミ関連企業に務める40代の女性・大野さん(仮名)は、地震発生時、旅行で仙台港近くのホテルに泊まっていた。「一人旅で、17日に東京に戻る予定でした。それで最後の夜をゆっくり過ごそうとホテルの部屋でくつろいでいた時に、地震が発生したんです。これはかなり大きいと思って、すぐに逃げられるように着替えて荷物をまとめました。あとスマホが電池切れにならないようにと思い、とりあえず充電していました」 その後、ホテルの係員が部屋に訪れ、上階への避難を促されたという。「私が泊まっていたのは2階の部屋でしたが、ひとまず4階の通路で待機するように指示されました。そこから1時間くらいして、津波の心配もなくなったということで、部屋に戻されました」(大野さん・以下同) 部屋に戻った大野さんは、テレビのニュースで東北新幹線の脱線事故を知った。「このときはまだ状況がちゃんと把握できていなかったので一旦寝ました。それから朝の7時半くらいに起きてニュースを見たら、脱線事故の状況が思ったよりも大変そうだということがわかったんです。どうやらすぐに復旧する感じではないな、と。 それを知って、予定していた新幹線とは別の手段で帰らなければならないと思って、すぐにスマホで高速バスの予約サイトにアクセスしました。でも、同じようなことを考えている人が多かったのか、全然つながりませんでしたね。40分くらいトライしたんですが、全然ダメでした。仕方なくチェックアウトして、仙台駅に行く路線バスを待っている間にもう一度トライしたら、やっとつながったのですが、当日の予約はもういっぱいだったので、2日後の19日出発の東京行きの高速バスを予約しました」 普段からリモートで仕事をすることも多い大野さんは、必ずしもすぐに東京に帰らなければいけない状況ではなかった。だからこそ、当日や翌日の高速バスを予約するのは難しいと判断し、まだ空きがあった2日後の予約を取る判断を下せたという。「19日の予約もあまり空きがない状況だったので、早めに予約できたのはよかったですね。あの時点で当日や翌日にこだわって空きを探していたら、その間に2日後の予約も埋まっていたと思います」時間によってホテルの価格が大きく変動 結局、そこから仙台に追加で2泊することになった大野さんは、仙台駅行きの路線バスの中で、当日と翌日のホテルを確保する。「仙台駅周辺のホテルは軒並み価格が高くなっていました。平日で5000~6000円くらいのグレードのホテルが、地震発生後は1万円くらいといった感じです。予約もかなり埋まっていて、私のように滞在を延長した人も多かったのかなと思います。ちなみ私は、女性限定のプランがたまたま空いていたので、その部屋を2連泊で予約しました」 大野さんによれば、ホテルの予約状況はその後大きく変動していったという。「17日朝の時点で1万円くらいだったホテルが、昼くらいには7000円くらい、さらに18日に確認してみたら、4000円くらいまで下がっていました。おそらく新幹線の事故で仙台まで来られなくなった人のキャンセルが相次いだのだと思います。私ももう少し遅く予約していたら、割高で泊まることはなかったのかもしれませんが、それでもやはり宿を確保することが最優先ですから、仕方なかったと思います」 今回、旅行先で大きな地震に遭った大野さんは、まず移動手段を確保することの重要性を痛感したという。「もしも高速バスの予約ができなかったら、滞在延長は2日では足りず、さらにそこから2~3日伸びていたと思います。結局延長した2日間はホテルでずっと仕事をしていましたし、こういった不測の事態に対応するためには、普段からリモートで仕事ができるようにしておくことも大切だなと思いました」 ちなみに新幹線が運休したために旅行を取りやめる場合は、運賃と新幹線特急料金の全額が払い戻しとなる。ただ、料金が戻ってくればすべて解決というわけではない。災害は、いつどこで発生するかわからない。もしもの時のために、「今、最優先にすべきこと」を考える習慣は大切だといえそうだ。
2022.04.04 15:15
マネーポストWEB
スーパコンピューター「富岳」で知られる理化学研究所計算科学研究センター(時事通信フォト)
「理研600人リストラ」に中国人ITエンジニアは「不思議です」と繰り返した
 国立研究開発法人の理化学研究所の労働組合などが、約600人の研究者が雇い止めとなる可能性があるとして、文部科学相と厚生労働相あてに要望書を提出した。近年は、日本人のノーベル賞受賞者がまるで口をそろえたように、日本の科学力の低迷と研究環境の悪化を訴えてきたが、歯止めどころか拍車がかかっているような出来事だ。俳人で著作家の日野百草氏が、中国人技術者が日本の研究者や技術者の環境をどう見ているのか聞いた。 * * *「日本は優秀な人がとても安いと思います。なぜ辞めさせるのですか」 筆者の旧知の中国人技術者から話を伺う。ITエンジニアでゲーム開発にも精通している。中国人のエリートならごく当たり前だが4ヶ国語を話せて日本語も堪能だ。しかし本稿、それでも文章化する際にそのままでは差し障るため逐次こちらで改めている。「優秀でない人が安いのは当たり前ですが、日本は優秀な人も安い」 話は理化学研究所(理研)の研究系職員が組合などの試算で2022年度末に600人雇い止めになる件、労組が理研および文部科学相と厚生労働相に撤回を求めているが先行きは厳しい。理研に限らず、日本が国際的に見ても研究者、技術者、クリエイターといった立場を冷遇し続けていることは周知の事実だ。「とくに日本人は安い。技術も経験もあるのに安くて、何にもない若い人を欲しがりますね、不思議です」 彼はずっと不思議だったと話す。これは中国人だけでなく海外の技術者、クリエイターも筆者の聞く限りは日本に対して同様の感想だ。筆者は昨年『アニメやゲーム業界「日本人は安くて助かります」その由々しき事態』で主にエンタメを中心にした日本人クリエイターの賃金の安さとその実態を書いたが、これは技術者や研究者にも当てはまる。「優秀な人が安かったり辞めさせられたり。とても不思議だと思っています」 なぜ辞めさせるのか、これは筆者も不思議で、せっかく育てた技術者や研究者をいとも簡単に辞めさせる、辞めさせなくとも専門技術と関係ない部門に追いやり、辞めるように仕向ける。これは30年上がらない平均賃金と平行して理系専門職に繰り返されてきた。「そんなことはない」という組織の方々は幸せな話で結構だが、現実には日本の名だたる大手企業や研究施設、大学といった「技術者・研究者こそ宝」の現場に続く現実である。そして新卒至上主義もまた「新陳代謝」の名のもとに経験豊富なベテランを追いやり続けた。「不思議なのです。欲張りな中国なら放っておきません。それだけの技術や研究の蓄積が一個人にあるのは、まさに宝です」日本は研究者もエンジニアも人権ないですね 大学、大学院、そして研究機関や企業と歩む中で、技術者や研究者はクリエイターと同様に技術や経験、そして実績を蓄積してゆく。そうでない者もいるだろうが、企業や研究機関でそれなりのベテランになった者のほとんどはまさに「宝」だろう。日本はそうした「宝」をこの30年間、合理化とリストラの下に切り捨ててきた。それを欧米やアジア諸国、とくに中国が拾っていった。いまや日中の経済力はもちろん、技術力すら逆転され始めている。「私は門外漢ですが、日本はまた何百人も研究者を辞めさせる。それを中国が手に入れるなんて申し訳なく思います」 少し皮肉交じりで笑う。彼は日本のこういう姿勢が気に入らないとも言っていた。国同士の話ではなく同じ技術者(研究者も含むだろう)として納得できないという。不思議と同時に、怒りもあると。「日本は研究者もエンジニアも人権ないですね」 まさか中国人に「人権」を持ち出されるとは思わなかったが言い返せない。筆者もアニメやゲームに関係していた経験上、現場、とくに日本のアニメの現場がアニメーターに代表されるクリエイターの権利を尊重しているとは思えないからだ。そして現実に、今度は理研という日本を代表する国策研究所の研究者が大量に切られ、おそらくは海外に流出するのだろう。「中国は日本人研究者や技術者のおかげで大国です。本当にありがたい話です」 筆者との仲とはいえ「言ってくれるなあ」と苦々しく思うが、これまでも自動車、精密機械、重電、通信、鉄道、鉄鋼、農業、エンタメ、ありとあらゆる技術や研究は中国に渡った。それは日本で「不要」とされた日本人研究者や技術者が食ってくためはもちろん、それは彼らのリベンジマッチでもあった。たとえば今や世界的家電メーカーである中国ハイアール(海爾集団)の「アクア」ブランド(旧三洋電機)などまさに井植兄弟につながる「三洋魂」の発露だろう。アクアには多くの「三洋魂」の継承者も携わってきた。2000年代、そうした彼らを「使い捨てられるだけ」と嘲笑する向きもあったが必ずしもそうではなかった。「日本はどうかしてます。優秀な研究者をクビにすることは、他国に渡すのと同じです」 中国ではクビのことを「イカ炒め」と揶揄するのだが、彼の言葉もそうした中国語由来のスラングが混じっているため平易に改めている。その「イカ炒め」状態になりかねない理研の研究者、技術者たち600人、その中には多数の研究主宰も含まれている。研究主宰といえばその下で働くスタッフも含めてまさに国の「宝」、いま研究成果が出てなくとも、いずれ日本を救う結果を出すかもしれない。「日本人はノーベル賞受賞を誇りますが、最近は日本国内で研究したわけではないのでは。お金も出さないし大事にされない、みんな日本から脱出してる」井戸だって時間がかかる 資源も乏しく経済的に厳しい日本だからこそ頭脳で食べていかなければならないし、頭脳で食べてきたはずだ。しかし技術は先に書いたように他国に流出し、中国で挙げるなら先に書いたようにハイアールが三洋電機を吸収して世界最大の白物家電メーカーとなり、マイディア(美的集団)は東芝の家電事業を、レノボ(聯想集団)はNECや富士通のパソコン部門を吸収して成長した。日本の新幹線は中国の新幹線として走り、日本の造船技術は中国のコンテナ船となって世界を駆け巡る。誰が売ったのか、誰が教えたのか、怒ったところでそれをしたのは私たちの国、日本である。「はっきりいって、間抜けだと思います」 これも「idiot」という言葉を使っていたが柔らかく「間抜け」と訳させてもらった(本来はもっと酷い)。実際そうだろう、中国や他国が悪いのではなく、日本が技術者や研究者、クリエイターを大事にすれば済む話だった。冷遇したあげくが、いまの体たらくである。筆者が貿易のルポルタージュで常に言及する「中国が気に入らないなら中国より金を出せばいい」と同様である。「中国(この場合は欧米も入るか)に手を貸してほしくなければ、中国(欧米)より厚遇すればいい」という単純な話だ。日中間の話になると愛国云々と威勢のいい方からご意見をいただくこともあるが、現実を直視しなければ差は広がるばかり、現に日本が理研から600人もの頭脳を流出させようとしているのだから。「それにしてもなぜケチるのですか、優秀な人を安く使っているのだからそのまま使えばいいのに、辞めさせたりもする。優秀なんですから、いつ復活するかわかりませんし」 素朴な疑問だがもっともな話、アメリカや中国は優秀な研究者なら金も環境も惜しまない。アメリカはともかく、中国は優秀でない人にはとことん冷たいが、優秀な人には十分な額と待遇を用意する。それが中共の手口だなんだと言う向きもあるだろうが、技術者、研究者、クリエイターからすれば金もケチれば待遇も環境もしょぼいところで成果を求められるよりはマシだ。理研の8割は非正規、もちろんフリーランス研究者の集合体と考えれば非正規でも構わないし、それをあえて選ぶ研究者もいるだろうが、仮に「いらなくなったら捨てられる」は中国も同じというなら、それこそ高額報酬のほうがいいのは当たり前だ。「研究は結果がすぐ出るわけではありません。とくに基礎研究は百年かかるかもしれません。それでも国のためになるなら続けるべきでしょうし、必要な人はとっておくものです。井戸だって時間がかかるのです」 中国人はよくこの井戸のたとえを出す。この「飲水思源」は漢詩の一節だが、確かに井戸はその位置を探して、掘って、古代中国なら何代にも渡ってようやく掘り当てることもあっただろう。しかしそれにより土地の人々は水に困らなくなる。それを忘れるな、と。もちろん解釈はさまざまだが、古くは日本人も長い年月をかけて現在の科学立国、技術立国を築いてきた。それがいつのまにか研究やものづくり、創作の現場に携わる人々がないがしろにされ、誰だかわからない何者かがその成果も利益もかすめ取るようになった。あげくにそれこそ現場が「idiot」(間抜け)呼ばわりされ、かすめ取る者はもちろん現場を操る立場の連中が賢いという扱いになってしまった。極端な言い方かもしれないが、日本の多くの現場に携わる最前線の人たちにとってこの言い方、それほど極端ではないだろう。「雇うお金は安いのにお金を出さないで損をする。不思議です」 筆者も常々思う。日本の人件費および対価など世界的に見ればすこぶる安い。ましてや日本の優秀な研究者や技術者、クリエイターなど世界的には本当に安い。日本がまともに賃金すら払えないような貧国なら別だが、日本政府、研究機関、会社組織はそこまで余裕がないのだろうか。切るということは、他に行くということ、それは敵に渡るかもしれないのに。「やっぱりidiotです」 ちょっと煽り過ぎたか。お酒が入り過ぎたのもあるのだろうしこの辺で制したが、中国人に限らず他国の研究者、技術関係者も日本のこうした研究、ものづくり、クリエイティブに関する信じられないほどの冷遇を不思議がる。資源大国でもなければ食料輸出大国でもない国が頭脳を放棄し続ける、今回の理研600人の雇い止めは、本格的な亡国への道を辿ろうとしているのではないか。 彼と同様に筆者も不思議だ。そして日本の頭脳がまた大量に海外へ流出するであろうことが、本当に恐ろしい。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)日本ペンクラブ会員。出版社勤務を経てフリーランス。社会問題、社会倫理のルポルタージュを手掛ける。
2022.04.03 16:00
NEWSポストセブン
ももクロ・百田夏菜子「こんな休日過ごしたい!」静岡おすすめ「新・観光スポット」
ももクロ・百田夏菜子「こんな休日過ごしたい!」静岡おすすめ「新・観光スポット」
提供:JR東海「やばい、景色が最高すぎる! すごいきれい! メンバーにも見せてあげたいし、友達とまたここに来たいです!」──そう歓声をあげた百田夏菜子さんの眼前には、春の日差しを受けてキラキラ輝く海面と、水平線から上に淡いグラデーションを描く青空が広がっている。 ここは、静岡県熱海市内にある「オーシャンスパ Fuua(フーア)」。創業60年近い「熱海後楽園ホテル」をリニューアルした複合型リゾート「熱海ベイリゾート後楽園」にある日帰り温泉施設だ。熱海駅から無料シャトルバスまたはタクシーで約10分、小さな岬の突端に位置している。 百田さんが感激していたのは7階の女性スパ、全長約25mの「露天立ち湯」からの眺望だ。お湯に浸かれば「海と一体になったような感覚」を味わえる“インフィニティ露天風呂”を前に、「今すぐ入りたい」と興奮した様子だった。「有名な熱海の(海上)花火もここからだと目の前に見えますね! すごい!」 アイドルグループ「ももいろクローバーZ」のリーダーで女優の百田夏菜子さん(27)と、静岡県の新しい観光スポットをめぐる旅に出かけた。最初の目的地であるオーシャンスパ Fuuaは2019年3月にオープンしたばかり。スパには“インフィニティ露天風呂”のほか、眺望を楽しめるサウナや内湯があり、広々と明るいパウダールームにはアメニティが充実している。「普段、温泉でゆっくり過ごすことはできないから、こういう場所は本当に憧れます」 オーシャンスパ Fuuaの楽しみはまだまだ続く。入浴が終わると、(通常は館内着のまま)3~4階にある「アタミリビング」でくつろぐのが定番の過ごし方だ。“海辺の別荘ライフ”をテーマにさまざまなコンセプトで作られた休憩スペースが、アタミリビング2フロアのあちこちにある。利用者はそれぞれ好きな場所で、湯上がりの体を思い思いに休め、リラックスして過ごすことができる。「わー、すごいオシャレ!」百田さんがまず目に留めたのは、“海を見下ろす小高い丘の上”をイメージした〈クリフラウンジ〉の円形ソファベッド。さっそく、座り心地、いや寝心地を確かめる百田さん。「これは快適……! お風呂上がりに館内着で横になったら5分で寝ると思う(笑) で、目を開けたら目線の先にはもう海! 最高です」 フロア内の階段を降りて3階に移動すると、メインの〈オーシャンラウンジ〉だ。3階の床から4階の天井まで全面ガラス張りの大きな吹き抜け空間で、開放的な気分を満喫できる。「太陽が眩しい! さっきとは景色が全然違いますね。海が一面に広がってもっと近く感じられて……。ソファの寝心地も、うーん、気持ちいい……。後ろの滝が流れる水の音を聞きながらくつろげるのも贅沢ですね」 アタミリビングには休憩エリアの他に、温度と湿度が異なる2種類の岩盤浴、ロウリュ体験(サウナストーンにアロマ水をかけて蒸気を発生させタオルで仰いで熱風を起こす)、エステやマッサージが体験できるリラクゼーションコーナー、飲み物や軽食を楽しめるカフェスペースなどがある。「岩盤浴もあるじゃないですか! ロウリュはアロマと木のいい香りがしますね。そしてエステも! どこもすごいオシャレですね。あ、瓶のコーヒー牛乳! 熱海プリンもある。これ買ってもいいですか?(笑)」 さっそく、カフェ近くにある吹き抜けのセントラルラウンジでコーヒー牛乳をいただく。「美味しい~! 大好きなんです、瓶のコーヒー牛乳……。それにしても素敵な場所ですね。今度は友達と女子旅で来たいです。温泉に入って、ロウリュや岩盤浴で汗を流して、マッサージを受けてエステもやって……普段のご褒美としてフルコースで楽しみたいです。1日中、いや、何日だって楽しめそう(笑)」 オーシャンスパ Fuuaは、JR東海「EXサービス」(東海道・山陽新幹線のインターネット予約サービス)の会員向けに新たに開設された「EX 旅のコンテンツポータル」サイトを利用すると、割引料金(平日通常2750円が2500円。※土休日・特定日利用時は現地での受付時に330円の追加料金がかかります)で入場チケットを購入できる。百田さんのグッズがついたオーシャンスパ Fuuaの利用プランも今後「EX 旅のコンテンツポータル」に登場する予定なので、サイトでチェックしたい。EXアプリをお持ちでない方はダウンロード!「これ、新幹線と一緒に割引チケットが買えるんですね! 便利~!」 本当なら、百田さんにゆっくり岩盤浴やエステを堪能していただきたいところだが、この日は次の目的地があるため残念ながら時間切れ。「ここで癒されていきたい~」と名残惜しそうな百田さんと、熱海を出発した。(※オーシャンスパ Fuuaでは、撮影のため特別に衣装を着用しています) 向かったのは、伊豆の国市にある世界遺産「韮山反射炉」。そこに隣接する「天空のビヤテラス」が、本日2か所目の新・観光スポットだ。1回50分、各回2組限定のテラスは予約制で、「EX 旅のコンテンツポータル」から予約することができる。 地元で有名なクラフトビールメーカー「反射炉ビヤ」醸造元の会社が運営するこのテラスでは、素材や酵母にこだわったクラフトビールの3種飲み比べと軽食のセットか、自社茶畑栽培の静岡茶と軽食のセットが味わえる。4月以降の軽食メニューは運営元のレストラン特製のピザ。静岡茶を注文した方には、ピザに加えてお茶によく合うクロッフル(クロワッサンの生地をワッフルメーカーで焼いたスイーツ)もついてくる。 テラスにあがると富士山と韮山反射炉、静岡県の「2大世界遺産」を一緒に味わえるレアな眺望が目の前にあらわれた。(※時期・天候の影響をうけます)「富士山が見える! 地元の浜松からはこんなに大きく見えませんが、新幹線で東京に通っていた頃は毎日の行き帰りに車内から眺めていました。富士山を見ると、自分を見守って応援してくれる両親のような、心強い存在だと感じます。 見る場所で表情が変わるから、何回見ても、どこから見ても、毎回写真を撮りたくなっちゃう(笑)。静岡以外の県から見える富士山も、嬉しいですよね。カトラリーやお皿など富士山グッズもたくさん持っているくらい、私はとにかく富士山が大好きなんです」 富士山を望む丘の茶畑にぽっかり浮かぶように設えられたテラスでのひとときを楽しむ百田さん。そう、「茶畑」といえば……【後編〈百田夏菜子が本当の「茶畑のシンデレラ」になった瞬間〉へ続く】「EX旅のコンテンツポータル」について 本文で紹介した「EX旅のコンテンツポータル」では、「オーシャンスパ Fuua」や「天空のビヤテラス」を含む様々な観光コンテンツを購入することができます。申し込み方法は以下の通り。〈撮影/小倉雄一郎〉◆JR東海
2022.03.30 16:00
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