某私大の政経学部に通う〈小塚旭〉が、横断歩道の向こうの青年に気を取られ、危うく轢かれかけた時も、信号は黄色だったのだろう。弟〈正近雄飛〉との偶然すぎる再会劇を、彼は心から喜んでしまったのだから。
弟と言っても血の繋がりはない。彼らはお父さんと車上に暮らし、賽銭泥棒をしていた頃、〈正近卓爾〉という父の本名も、ユウヒが借金相手のヤクザの息子で、互いに他人なことも知らなかった。
事情を知ったのは日本列島を一家で縦断中、卓爾が急死し、神倉市内の銭湯に置き去りになりかけたところを保護された後で、アサヒは歯科医と再婚した実母に引き取られて小塚旭に。一方係累がなく、市内の児童養護施設〈ハレ〉で育ったユウヒは、幸い心ある職員の里子となった後も正近姓をあえて名乗った。
そして8年後。大学にも家にも馴染めずにいた旭は、雄飛と会うなり急接近し、こう持ちかけられるのだ。
〈知り合いに金持ちの娘がいるんだ〉〈協力してよ〉
それぞれ共感する登場人物は違う
こうして東日本大震災で損傷したハレの再建資金が必要な雄飛と、娘の不登校より体面が大事な次期市長候補を父に持つ15歳の〈松葉美織〉。そして〈砂糖がだめになった理由、ばらしちゃってもいい?〉とある過去の秘密を元に脅された旭は、市長選に乗じて1000万円を奪うその計画を実行に移すのだった。
車中泊を常とし、タダでもらえる〈スティックシュガー〉のストックで空腹を凌いだ少年時代の旭たちや、第二部で幼い妹が衰弱死するのをなす術もなく見守るしかなかった〈夕夜〉など、特に子供たちを襲う貧困や虐待に関する問題意識を、降田作品は感じさせる。
鮎川「是枝裕和監督『誰も知らない』(2004年)を観て以来、考えるようになり、似たような事件が起きる度に注目してきました」
萩野「要するに後ろめたさがあるんです。もし身近でこういう問題が起きた時に、自分は結局、見過ごしてしまうんじゃないかっていう。隣で子供が酷く泣いたりした時に、事件性があるかわからないという言い方で、自分を納得させてみたり。作中に『こんな母親、許せないよね』って批判だけする部外者が出てきますけど、私自身の立ち位置もそれに一番近いというか」
鮎川「私もつい思っちゃうんです、『こんな人間が親になってもいいのか』って。でも本当にそうなのか、簡単には答えが出ない問題だけに、小説に書いてみたかったのかもしれません」