心境は少しずつ変わっていくものだという。ダンカン氏はこう続ける。
「最近になって、僕が早く死んだらママリンに会えるわけだし、長生きしても子供たちの成長を見守れるから、“どっちに転んでもラッキー”と考えられるようになった。そう思えるようになったのは5~6年経ってから。
ママリンの友人たちが“初美さんはズルい”と言い出したりするわけです。なぜなら“(遺影が)若いままの写真だから”だと……。そういう感想もあるのかと感心した。もしも生きていたら婆さんの写真になるんだなと。そんなふうに、少しずつ気持ちが穏やかになる考え方が選べるようになってきましたね」
とにかく行動が早くて、強くて明るい母親であり、頼りになる妻だったとダンカン氏は振り返る。
「ママリンの前で“この仕事は大変だ”とか弱音を吐くと、“だったらやめればいいでしょ。好きなことを仕事にできるのは世の中で1万人に一人ぐらいでしょう。パパリンもその一人なのよ”と叱られました。今でもその言葉は、よく思い出しますね」
亡くなった妻の言葉は、生きる活力にもつながる。
※週刊ポスト2021年12月24日号