「社員だから印税は入ってきませんでしたが(笑い)、アンコーさんとアメリカ出張までさせてもらえました。現地の番組に出演し、アメリカでも『水虫の唄』がかかったんですよ」
1970年6月から全国ネット放送が始まると、リスナーがさらに増え、放送がチャリティーに結びついたこともあったという。
「内戦による飢餓に苦しんでいるビアフラ共和国(現ナイジェリア)の窮状に心を痛めているリスナーからのはがきを読んだんです。それで、“日本から米を送るよう、外務省にはがきを出そう”と、ラジオで呼びかけたところ、3000通以上のはがきが外務省に寄せられたんです」
この呼びかけをきっかけに、日本政府は5000tもの米をビアフラ共和国に送った。なんとも、番組の影響力の大きさがうかがえる。
「ラジオはおもしろければ来週も聴こうと思ってもらえるけれど、つまらなければすぐに忘れられる。だからぼくたちは、常にリスナーが何を考え、求めているか、はがきを真剣に読んで、書き手をイメージし、答えていました」
現在もラジオパーソナリティーや音楽評論家として活躍している亀渕さん。
「7年以上続けている『亀渕昭信のお宝POPS』(火曜会制作・全国ネット)には、当時のリスナーからメールが届くこともあります。ラジオは姿こそ見えないけれど、“誰かひとり”のために放送しているもの。だからこそ、はがきと電波で結ばれた絆は強くて、時間を超えたつながりが生まれるのかもしれませんね」
【プロフィール】
亀渕昭信/1942年生まれ。ニッポン放送に入社し、ラジオ番組の制作担当者になる。1969年以降、『ANN』のパーソナリティーで人気を博す。1985年に同社取締役、1999年に同社代表取締役に就任。著書に『亀渕昭信のオールナイトニッポン 35年目のリクエスト』(白泉社)など。
取材・文/前川亜紀
※女性セブン2022年2月10日号