小学3年生になると、山田コーチの師匠でもある都築章一郎さんが羽生を指導した。毎日のようにリンクに通い、都築コーチの厳しいレッスンを受けたが、少年時代の羽生には集中力がなかったそうだ。自著の中でも《放課後には、友達はみんな遊んでるんですよ。そんななかで、僕一人が練習……もう、すごく逃げ出したかったです》と明かしている。
野球好きな中学教師の父の影響もありスケートよりも野球に夢中で、プロ野球選手を本気で志していた時期もあるという。しかし、練習嫌いの一方で、たくさんのお客さんが演技を見て拍手してくれるスケートの試合に出ることは大好きだった。当時、羽生と一緒に都築コーチのもとで練習していた、ソチ五輪ペア日本代表の高橋成美さん(30才)が振り返る。
「私は父の仕事の関係で一時、日本を離れていたのですが、帰国したら憧れの都築先生が私より3才年下のゆづをかわいがるようになっていて、『都築先生を取られた!』と嫉妬しました(笑い)。2人ともまだ子供だったので鬼ごっこやかくれんぼをして遊んでいましたが、いざスケートになると、ゆづには何とも言えない華がありました。
当時からゆづは『絶対に五輪で優勝する』と言っていました。五輪を目指す選手はほかにもいたけれど、『優勝する』と断言したのはゆづだけです。でも、彼のジャンプのセンスは飛び抜けていたので、五輪で優勝するという夢を笑う人はいませんでした」
(第2回に続く)
※女性セブン2022年2月17・24日号