熱血空回り二世候補を演じる宮沢と窪田とでは、熱量が圧倒的に違う。宮沢の演技は所作や声の抑揚の付け方など、どれもが熱のこもったいわばパフォーマンス的なもの。それに対して、窪田ら扮する秘書勢の演技は脱力した単調なもの。この点、本作で主演を務めているにもかかわらず、窪田の存在は“地味”に映る。終始気の抜けた表情を浮かべ、抑揚を欠いた声を発する窪田と比べると宮沢の存在感は強く、彼女が主演なのではないかと思うほどだ。しかし次第に、宮沢の演技を受け止める窪田の存在があってこそ本作は成立していることに気付かされる。宮沢の派手なアクションに対する窪田のリアクションの濃淡によって、時に笑いを生み、時にはシリアスなものとして観客の興味を惹きつけるのだ。
窪田は非常に器用な俳優で、そのコメディセンスも評価されている。だからこそ、本作では彼が生む笑いの要素に期待していた人も多いのではないだろうか。しかし、本作での窪田のコメディは、これまで見せてきたものとは明らかに異なる。ギャグを口にして観客から笑いを引き出そうとするといった分かりやすいものではなく、演者それぞれのアクションとリアクションの巧みな積み重ねの「会話劇」の中で、リアクション部分を先頭に立って担い、笑いを生んでいるのである。
本作での窪田は、終始抑えた演技で“受け”に徹している。宮沢の演技とは対極的で地味な演技に徹するからこそ、宮沢演じる有美のキャラクターはさらに引き立ちながらも、変に熱演に陥ることなく、リアリティを持って物語を作り上げているように思う。さまざまなタイプの作品を経験してきた窪田だからこそ、本作に必要なコメディの“塩梅”を体現できたのではないだろうか。
【折田侑駿】
文筆家。1990年生まれ。映画や演劇、俳優、文学、服飾、酒場など幅広くカバーし、映画の劇場パンフレットに多数寄稿のほか、映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」ではMCを務めている。