それでもどうしても死刑を廃止するというならば、日本の場合まずやるべきことは終身刑の採用だろう。日本の無期懲役は終身刑では無い。判決のときに刑期を定めないだけで、模範囚ならばつまり悪意を持って言うなら「心のなかでどう思っていようと反省の態度を演じれば」、十数年で刑務所から出てこられる。殺人に対する処罰が、死刑に次ぐ重罰が無期懲役だという現行刑法は、死刑で無い場合の刑罰があまりにも軽すぎる。アメリカのように、凶悪犯は一生刑務所から出てこられないという形を作るならば死刑廃止に賛成してもいい、というのが私の立場である。
健次郎に話を戻そう。死刑は廃止すべきだという信念も『謀叛論』を公にした動機だが、私はもう一つの動機として、健次郎にとって、いやこの場合は蘆花にとってと言うべきかもしれないが、「手本」にすべき人物がいたからだと考える。それはフランスの小説家エミール・ゾラ(1840~1902)である。
ゾラはフランス自然主義の第一人者で『居酒屋』『ナナ』などが代表作だが、西洋史に詳しい読者はもうおわかりだろう。蘆花は一八九四年(明治27)に起こった「ドレフュス事件」においてのゾラの勇気ある行動を見習うことこそ、小説家として日本を代表するジャーナリスト徳富蘇峰の弟として、「大好きな」天皇の君臨する大日本帝国になすべき義務だと考えたのではないだろうか。
(第1344回につづく)
※週刊ポスト2022年6月10・17日号