新しいものは常に謀叛である

 繰り返すが、健次郎自身は「天皇大好き」で「暴力大嫌い」である。「大逆罪」とはその「大好きな天皇」を「大嫌いな暴力」で「殺す(あるいは傷つける)」ことである。並の人間なら幸徳の処刑に喝采するかもしれない。そこまでしなくても、幸徳を弁護することはあり得ないだろう。にもかかわらず、健次郎は幸徳を死刑にすべきではない、と弁護しているのだ。

 これは冤罪事件ではないか、という強い疑いを持っていたこともこの講演でわかる。たしかに、冤罪かどうかについて判断できる情報はなにも無い(裁判も審理内容も非公開)から、有罪だったか無罪だったかは「知らぬ」と一応断ってはいるが、幸徳らの処刑については「暗殺」(別の箇所では「謀殺」)という言葉を使っているからである。しかし、それでも冤罪とは断言しない。確たる証拠は無いからだ。ジャーナリストとして、評論家として、きわめて正しい態度である。

 そして思想家あるいは歴史家としての健次郎の真骨頂の言葉は、講演終盤に差しかかったときに発せられた。

〈諸君、幸徳君らは時の政府に謀叛人と見做されて殺された。諸君、謀叛を恐れてはならぬ。謀叛人を恐れてはならぬ。自ら謀反人となるを恐れてはならぬ。新しいものは常に謀叛である。〉
(引用前掲書)

「新しいものは常に謀叛である」。この言葉こそ、徳冨健次郎の歴史に残る名言として後世に伝えられるべきものではないだろうか。

 そして健次郎は、かつて西郷隆盛も逆賊と呼ばれたではないかと指摘し、

〈幸徳らも誤って乱臣賊子となった。しかし百年の公論は必ずその事を惜しんで、その志を悲しむであろう。〉
(引用前掲書)

 とも述べている。

 この講演に対し、聴衆の一高生は万雷の拍手をもって健次郎に共感を示したが、一部にこれを天皇に対する不敬行為だと悪意に解釈する者がおり、当時の一高校長新渡戸稲造らが譴責処分を受けたという話も伝わっている。

 今年二〇二二年は大逆事件から百十二年であるが、幸徳処刑からわずか一週間後、日本中が幸徳の処刑を歓迎しないまでも当然と受け取り、宗教界にすら弁護あるいは助命嘆願の声が無かったなかで敢然とこうした主張をした徳冨健次郎の勇気と見識に私は敬服する。では、健次郎はなぜ五千万人のなかで唯一人こんな行動を取ることができたのか?

 一つは、熱心な死刑廃止論者であったからだろう。『死刑廃すべし』という短文が前出の岩波書店刊の『謀叛論』に収録されているが、それによれば健次郎が死刑に反対するのは、まず誤審があった場合つまり冤罪と後に判明した場合取り返しがつかないからだが、それよりもなによりも「人間には人を殺す権理(権利)は無い」と考えるからであり、これはやはり、キリスト教の信仰に基づくものだろう。

 死刑廃止論は現代の社会でも重要な検討課題であるので私見を述べておくと、私は死刑を全面的に廃止すべきでは無いと考えている。とくに大量殺人や大量虐殺の犯人については、「疑わしきは罰せず」の大原則を遵守した公正な裁判によるなら死刑判決もあってしかるべきだと考えている。

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