「父の写真集」を手渡した理由
トウ小平が1978年に市場経済と外資の受け入れを進めた改革開放政策を導入して以降、マルクス主義は影を潜めていた。筆者が2005年から留学した中国人民大学でも、マルクス主義に関する講義は人気がなかった。共産党や政府の役人を輩出している大学にもかかわらず、教師や学生がマルクス主義を議論している場面を見たことはほとんどなかった。
習の「マルクス回帰」は、中国政治における大きな転換なのだ。
その影響は、経済面にも出始めている。経済成長を重視してきた改革開放政策によって急拡大した貧富の格差を正すため、習政権は「共同富裕」を掲げている。共同富裕について習は「社会主義の本質的要求」と位置付けており、稼いでいる大企業に寄付をさせ、貧困層に還元していくことで、平等な社会を実現していくやり方だ。
こうしてみると、一冊の小説が習の考え方に、そして政策の行方に影響を与えていることがわかる。
国際政治について、学術界では政治システムや理論が重視される傾向にある。メディアでも政府の発表文書や会見が注目されることが多い。
しかし、権力を集中させた「一強体制」を敷いている中国やロシアの政治や外交政策を分析するには、それだけでは不十分だと筆者は考える。
政策をトップダウンで下す習やプーチンの思考そのものを分析することが極めて重要だからだ。
どのような幼少期を送ったのか。
両親からどのような影響を受けたのか。
どんな書物を読んだのか。
厚いベールに包まれた両国の独裁者の情報は多いとは言えない。本連載では公開情報をできるだけ拾ったうえで関係者の証言で肉付けし、2人の「頭の中」を解明していくことで、両国関係やウクライナ戦争の行方などについて分析していきたい。
話を習の初訪ロに戻そう。
プーチンはなぜ、習に父の写真集を手渡したのだろうか。習がロシアに親近感を持った原点が、1959年の習仲勲のソ連訪問時の土産であり、土産話だったからだろう。プーチンの計略通り、習のロシアへの郷愁を誘い、両者の関係も一気に近づいた。
だが、習仲勲のソ連訪問は素晴らしい思い出話だけで終わらなかった。その後の習家の悲劇が始まる引き金となった。
(第3回につづく)
【プロフィール】
峯村健司(みねむら・けんじ)/1974年長野県生まれ。青山学院大学国際政治経済学部卒業後、朝日新聞入社。北京・ワシントン特派員を計9年間務める。「LINE個人情報管理問題のスクープ」で2021年度新聞協会賞受賞。中国軍の空母建造計画のスクープで「ボーン・上田記念国際記者賞」(2010年度)受賞。2022年4月に退社後は青山学院大学客員教授などに就任。著書に『宿命 習近平闘争秘史』(文春文庫)、『十三億分の一の男 中国皇帝を巡る人類最大の権力闘争』(小学館)など。
※週刊ポスト2022年7月8・15日号