京のと等持院から持ち出された足利尊氏、義詮、義満の木造の首と位牌が三条河原に晒された事件は、当時の瓦版などで盛んに報じられた(『江戸と東京風俗野史 いろは引.巻之1』国立国会図書館蔵)

京のと等持院から持ち出された足利尊氏、義詮、義満の木造の首と位牌が三条河原に晒された事件は、当時の瓦版などで盛んに報じられた(『江戸と東京風俗野史 いろは引.巻之1』国立国会図書館蔵)

 ところが、イデオロギーという魔物に取り憑かれると人物評価が歴史上の事実と真逆になるから面白い、いや恐ろしい。この場合は「後醍醐は名君、尊氏は極悪人」になるということだ。だから、この読売社説では歴史上の人物の中島錫胤、三輪田元綱を賞賛している。「えっ、それ誰?」というのが多くの現代人の反応だろうが、「等持院に闖入して尊氏の木像を斬り、これを市に梟したる快挙」(引用前出記事)をなした人々である。

 なぜかこの記事には「元治元年五月」とあるが、彼らが洛北の等持院に「闖入」したのは一八六三年つまり文久三年の二月二十二日である。等持院は足利将軍家の菩提寺であり、歴代将軍の座像(木製)が安置されている。彼らは初代尊氏、二代義詮、三代義満の木像から首を引き抜き、三条河原に「晒し首」にした。現代の歴史書ではこの事件を当時の徳川将軍(14代家茂)に対する「あてこすり」だとする解説が多い。倒幕つまり徳川将軍の首を取ると「宣言」したものだ、というのだ。

 もちろん、そういう意図もあったには違いないが、幕末は、いやその後の明治時代にも「最大の朝敵は足利尊氏」であったし、南朝の天皇を蔑ろにした三代義満も極悪人とされていたという事実を見逃してはいけない。三代義満についても客観的に見れば、「日本の中東和平問題」とも言える南北朝対立を見事に解決した名君であり、日本に貨幣経済を定着させたという大きな功績もあるのだが、まったく無視されてしまった。

 その後、一九二一年(大正10)に当時の商工大臣中島久万吉が、過去に雑誌に寄稿した尊氏の功績を再評価する文章が右翼に問題視され総攻撃を受け大臣を辞任するという事件も起こった。この問題についてもすでに紹介した(『逆説の日本史?第七巻?中世王権編』参照)が、また大正時代のところで触れることになるだろう。

歴史は欠点を正すための「鏡」

 とにかく、現代ではかつて足利尊氏、義満らが極悪人とされていたことが忘れ去られている。この社説がそうされていたことを示すなによりの証拠なのだが、ではなぜそうなのか。実際の歴史とは正反対の評価を下すイデオロギーとはなにか。すでに紹介した名分論である。この社説にも次のようにある。

〈斯の大業を誘致したる唯一の導火線は、水戸侯源光圀、頼山陽、其他幾多の学者が、南朝を宗としたる尊王論の深く天下の人心を刺激したるに在り。〉

 前回(連載第1348回)と併せて読んでいただければ、この部分の解説は不要だろう。「水戸侯源光圀」とは、もちろん水戸黄門こと徳川光圀のことである。名分論では無く「尊王論」と書いてあるじゃないかと疑問を抱く読者はいないと思うが、念のために言えば、そもそも朱子学の名分論によって「三種の神器を保持していた南朝こそ正統」という概念が確定し、だからこそ、その南朝から正当な手続きで天皇の位を譲位された後花園天皇は北朝の子孫ではあるがやはり正統な天皇である。そして天皇とは真の「王者(主君)」であるから、君主ではあるが「王者」には劣る「覇者」に過ぎない徳川将軍家では無く天皇家に忠義を尽くさねばならない、という論理になる。これが尊王論である。

 何度も述べたとおり、私は明治維新とは「徳川三百年の泰平で平和ボケし欧米との科学水準(とくに兵器)の格差で亡国の危機を迎えた日本人が、一致団結して西洋近代化に取り組み成功した」ものだと考えている。そして、その一致団結のイデオロギーとして「用いられた」のが、中国伝来の朱子学を日本風に改変した「神道+朱子学」であった。平たく言えば「天皇の絶対化」である。

 しかし強烈な原理であるだけに、大きな長所もあれば欠点もある。長所は、なんと言っても中国の朱子学では絶対に不可能な四民平等(士農工商の廃止)を成し遂げたことだろう。男女平等とまではいかないが、男女格差の解消にも「天皇の絶対化」は貢献した。しかし、本来の朱子学が持つ「毒素」の作用も始まった。朱子学は歴史を改変してしまう。中国では君主が権力を私物化せずに禅譲した時代があった、とされた。いわゆる「堯、舜の世」である。

 李朝五百年の間に完全に朱子学に染まった韓国は、いまだに「日本の力など無くても自力で近代化できた」という幻想に酔いしれている。日本も韓国を笑えない。徳川家康は貿易推進論者だったのに、幕末人のほとんどは「鎖国は神君家康公の定めた祖法だ」と信じ込んでいたし、明治になると今度は「神功皇后は新羅を征伐して屈服させた」と思い込んでいた。

 日本海軍きっての優秀な参謀であった秋山真之がこの「神話」を歴史的事実と考えていたのは前に述べたとおりだ。実際には六六三年の白村江の戦いで日本は唐・新羅連合軍に壊滅的大敗を喫し、朝鮮半島の足掛かりをすべて失った。「日本は最終的に新羅に負けた」それが冷厳な事実である。

 日本人は昔は歴史書に『大鏡』とか『東鑑』のように「かがみ」という名前を付けた。これには二つの意味がある。一つは自分の姿を写し出すもの、という意味だ。人は「鏡」を見て服装の乱れなどを修正することができる。同じように歴史を「鏡」として国として人としての誤りを正すことができる、と古人は考えたのだろう。

関連記事

トピックス

被害男性は生前、社長と揉めていたという
【青森県七戸町死体遺棄事件】近隣住民が見ていた被害者男性が乗る“トラックの謎” 逮捕の社長は「赤いチェイサーに日本刀」
NEWSポストセブン
体調を見極めながらの公務へのお出ましだという(4月、東京・清瀬市。写真/JMPA)
体調不調が長引く紀子さま、宮内庁病院は「1500万円分の薬」を購入 “皇室のかかりつけ医”に炎症性腸疾患のスペシャリストが着任
女性セブン
学習院初等科時代から山本さん(右)と共にチェロを演奏され来た(写真は2017年4月、東京・豊島区。写真/JMPA)
愛子さま、早逝の親友チェリストの「追悼コンサート」をご鑑賞 ステージには木村拓哉の長女Cocomiの姿
女性セブン
1980年にフジテレビに入社した山村美智さんが新人時代を振り返る
元フジテレビ・山村美智さんが振り返る新人アナウンサー社員時代 「雨」と「飴」の発音で苦労、同期には黒岩祐治・神奈川県知事も
週刊ポスト
被害者の平澤俊乃さん、和久井学容疑者
《新宿タワマン刺殺》「シャンパン連発」上野のキャバクラで働いた被害女性、殺害の1か月前にSNSで意味深発言「今まで男もお金も私を幸せにしなかった」
NEWSポストセブン
【視聴率『愛の不時着』超え】韓国で大ヒット『涙の女王』 余命宣告、記憶喪失、復讐など“韓国ドラマの王道”のオンパレード、 華やかな衣装にも注目
【視聴率『愛の不時着』超え】韓国で大ヒット『涙の女王』 余命宣告、記憶喪失、復讐など“韓国ドラマの王道”のオンパレード、 華やかな衣装にも注目
女性セブン
公式X(旧Twitter)アカウントを開設した氷川きよし(インスタグラムより)
《再始動》事務所独立の氷川きよしが公式Xアカウントを開設 芸名は継続の裏で手放した「過去」
NEWSポストセブン
NHK次期エースの林田アナ。離婚していたことがわかった
《NHK林田アナの離婚真相》「1泊2980円のネカフェに寝泊まり」元旦那のあだ名は「社長」理想とはかけ離れた夫婦生活「同僚の言葉に涙」
NEWSポストセブン
大谷翔平の妻・真美子さんを待つ“奥さま会”の習わし 食事会では“最も年俸が高い選手の妻”が全額支払い、夫の活躍による厳しいマウンティングも
大谷翔平の妻・真美子さんを待つ“奥さま会”の習わし 食事会では“最も年俸が高い選手の妻”が全額支払い、夫の活躍による厳しいマウンティングも
女性セブン
広末涼子と鳥羽シェフ
【幸せオーラ満開の姿】広末涼子、交際は順調 鳥羽周作シェフの誕生日に子供たちと庶民派中華でパーティー
女性セブン
林田理沙アナ。離婚していたことがわかった(NHK公式HPより)
「ホテルやネカフェを転々」NHK・林田理沙アナ、一般男性と離婚していた「局内でも心配の声あがる」
NEWSポストセブン
タイトルを狙うライバルたちが続々登場(共同通信社)
藤井聡太八冠に闘志を燃やす同世代棋士たちの包囲網 「大泣きさせた因縁の同級生」「宣戦布告した最年少プロ棋士」…“逆襲”に沸く将棋界
女性セブン