出版でも校正作業においていわゆる「読み流し」をしてしまい、字面だけで読んでしまって肝心の誤字、脱字、衍字(えんじ)を見逃してしまうことが多々ある。これになぞらえるなら「数え流し」とでも言おうか。長い年月をかけ、多数の有識者、ベテラン編集者によって版を重ねる広辞苑すら2018年の第7版で複数の間違いが見つかり別紙で解説文をつけ加えることになった。校閲部のない中小出版社では編集部による「回し読み」がおこなわれるが、全員で見てもなぜか間違いがスルーされてしまう。出版に限らずすべての仕事でそうだろうが、人間である限り「お詫び」と「正誤表」から編集者、著者すべて逃れることができない。
「字の間違いなら恥ずかしい、で済むでしょうが、運転手は命を預かっています。とくに多数の児童を送迎する場合は大事な他人のお子様を預かっているというだけでなく、子供はまだ何もわかりませんし、より慎重に対応しなければなりません」
専業ドライバーでなく職員が運転する園や施設は多い
確かに幼稚園や保育園の児童は大人ほどには「開けろ!」と大声を上げることはできないし、窓を割ることもできないだろう。体力的にも未成熟なため、暑い車内で少し眠っただけで熱中症、という事例もある。
「だからこそ、乗降確認と同時に車内確認が大切なのです。むしろ車内に人がいるか、いないかの確認のほうが大事で、間違いは少ないと思います。私はバス運転手時代と同様に、落とし物や忘れ物の確認も兼ねて椅子の下まで覗き込んでいましたが、今回のようなワゴン車など正直言えば『車内を再確認すればいい』それだけなのです」
報道の多くは今回の送迎車を「送迎バス」と便宜上使っているが、実際の車両は一般的なワゴン車を後部窓までファンシーにラッピングしたものである。このラッピングも疑問だと語る。
「あんな送迎車、私は見たことありません。窓は見えるようにしないとだめでしょう。運転にも支障がありますし、ましてや子供たちを乗せる送迎車ですよ。優先順位を間違っています」
かわいらしいイラストを全面にラッピングして、子供ウケを狙ったのだろうが、安全面をおろそかにしてまで優先すべきものか、確かに疑問である。
「昔のクルクル回して開くような窓なら助かったかもとは思いますけど。まあ、いまそれを言っても、という話ですが」
なるほど、昔の車は窓が手動でクルクル回せば開けられた。バスなら蝶番のようなものをつまんで開けるタイプだろうか。窓の重いバスはともかく、クルクル回すタイプはよほど古い時代の車でもない限り(車種にもよるだろうが)筆者の経験上、軽くて子供でも回せたように思う。