ベビーカーをめぐるトラブルの新潮流
善意とは、相手の立場や窮状を理解したうえで発揮され、受け取る側も感謝と配慮をすることで社会生活を成り立たせるもののはずだ。親子や親友など個人的な関係性から、無条件に善意を発揮する場合もあるだろうが、社会的に共有されている「善意をかけられるべき対象」という認識では、たとえば「お客さん」「子供」「体が不自由な人」「高齢者」などがあるだろう。少子化がすすむ日本では、未来を担う子供に、善意から様々に手助けをするのが当然という共通認識が拡大している。
たとえば、少し前までは電車やバスに乗車するとき、ベビーカーはなるべく邪魔にならないように折りたたむのがマナーだと言われた。数年前、まだ子供が小さかった筆者も電車に乗る度、片手に子供を抱きかかえ、片手に折りたたんだベビーカーを持った。それでも車内が混んでいれば舌打ちされるなど、窮屈で大変な思いをしたものだった。
あの当時は、ベビーカーが他の利用客の迷惑にならないようにするのが推奨されており、車内でもそうしたアナウンスがあったように記憶しているが、今では社会の風向きが変わった。ベビーカーを折りたたまないまま乗車しても大丈夫だと、鉄道やバスなどの公共交通機関各社が呼びかけ、ベビーカーに配慮するという新しい「善意」の必要性を、マスコミも後押しするように説いたのである。ベビーカーが必要な子供のためにそうなったはずで、善意を受け取った側も周囲に気を配るのが望ましいのだが、なかには前出の「ネギや揚げ玉を容器に入れて持ち帰る客」のような態度の人がいるという。
「私にも小さい子供がいますから、ベビーカーを伴っての移動の苦労は痛いほどわかる。ベビーカーに関する鉄道各社の呼びかけも妥当なものだと思います。しかし、朝の満員電車にママ数人、何台ものベビーカーで乗り込んでこられてはたまらない。押した当たったと何度もトラブルになっていて、電車が止まったこともあります。中高年客からは”最近の親は手抜きだ”と怒鳴り声が上がったり、反対にママ側は”ベビーカーに配慮を”と不満げ。何が正しいのか、わからなくなってしまいます」
こう証言した都内在住の会社員・神田健憲さん(仮名・40代)は、毎日利用する通勤電車で、ベビーカーを巡る「善意」にまつわるトラブルに複数回巻き込まれた。件のママ集団は朝のラッシュ時、ベビーカーに子供を乗せた状態でたびたび乗り込んでくるといい、いくら世間に「ベビーカーを温かく見守ろう」という雰囲気があっても、あれでは「全く理解されない」と訴える。
「空いた車内であれば、もちろん気を遣いますよ。でも、通勤ラッシュ時の満員電車では自身の身動きすら取れず、ベビーカーに配慮なんかできません。ちょっとでも当たったり押したりすると睨まれます。私も小さな子供がいて、妻がベビーカーを押して電車を利用することもありますが、こんなトラブルにならないよう気をつけて欲しいとお願いしています。善意を受け取る以前に、周囲への配慮は必要だと思います」(神田さん)
おそらく、ほとんどのベビーカーユーザーは朝の通勤ラッシュに電車に乗り込まないように調整するだろう。どうしても満員電車に乗らなければならない場合は、子供が怖い思いをしないように、ベビーカーにのせたまま乗車することは避けるのではないだろうか。ごく一部かもしれないが、図々しい人たちを強く退けられないため不満だけが募る。