その心情を説明する前に、まず現代社会にも通じる贈賄の一般的な常識を言っておくと、こうした外国相手の受注については贈賄と収賄の流れは次のようになる。
あくまで仮の話だが、ここにA国という国があるとしよう。鉄道でも橋梁でもいいが、この国には自力でそれを造る力が無い。そこで外国に発注することにした。衆目の一致するところB国というきわめて建設技術の優秀な国があり、費用もリーズナブルである。だったらB国に発注するのが理の当然なのだが、じつは往々にしてそうならないのが国際社会の現実である。
それは、C国という技術は未熟でコストもかかる国が、A国の政府高官に賄賂を贈り自分たちに受注させてくれと運動するからである。A国の政府高官が収賄してしまえば、結局C国がそれを造ることになる。もちろん、そういう技術が未熟なのにワイロの力で受注するような国は、利益を上げるために手抜き工事もするから、当然のように事故が起こって国民が苦しむ。こうした汚職は、自国民を犠牲にしたものだから徹底的に追及されるべきだ。
「破廉恥漢」では無く「国士」に
しかし、「『金剛』のビッカース社受注」については話がまったく違う。客観的に見て、この発注は帝国海軍にとって最善の道であった。『金剛』はきわめて優秀な巡洋戦艦で、その後の日本海軍の造船技術向上にも多大の貢献をした。費用もビッカース社が提示したものはリーズナブルなものであり、日本は「ふんだくられて」はいない。この点について、「この軍艦金剛が後年解体されたとき」(引用前掲書)、三井物産側の弁護人を務めた今村力三郎が次のように述べている。
〈世人は、軍艦の請負に競争があって、なにか不正が行なわれたとすれば、必ずそのために註文すべからざるものを註文したのであろう、註文を受けた者は不正を行なったために競争に勝ったのであろう、したがって出来あがった軍艦にもどこかに欠点があるなどあるのだろう、と推測するのが常である。またこれが一般の人情でもある。(中略)この軍艦金剛が後年解体されたとき、それに従事した某武官は、この軍艦については忌まわしい疑獄の起こったことでもあり、どこかに手抜きがしてあるかと思って、詳細に注意して見たが、少しも左様な不正を発見し得なかった。さすがはヴィッカースであると感心したとのことである。〉
(引用前掲書)
著者の紀脩一郎によれば、この今村の述懐に「解体」とあるのは実際には解体では無く、前に「金剛の履歴」で紹介したスピードアップのための改造ということだが、とにかく金剛は優秀な巡洋戦艦で手抜きなど一切無かったことは、昭和十九年に撃沈されるまで活躍したことでもわかる。今村の指摘しているような、いわゆる先進国と腐敗した開発途上国で起こる典型的な汚職の産物では無かった。
そもそも、松本中将が松尾に頼まれビッカース社を海軍に紹介する以前に、ビッカース社の示した造艦計画および費用は最適なものと海軍自体が認めていた。このことは軍法会議に提出された資料を見てもあきらかなのである。では、三井物産側がなぜカネを払ったかと言えば、当時次期海相候補の呼び声も高かった松本に「謝礼」を払っておくことで、今後の関係を有利に保とうという思惑があった。松本は松本で海相に就任すればなにかと「機密費」が必要だと考え、プールしておくつもりで受け取った。
実際、このカネはそのまま残され遊興費等に使われた形跡は無かったことはすでに述べたとおりだ。もちろん、これは一〇〇パーセント正しいことでは無いだろう。特定の企業と公的機関の人間が結びつくのは好ましいとは言えないし、受託収賄罪では無くても請託を伴わない単純収賄罪を構成するかもしれない。しかし、これも前に述べたようにどちらの罪に問うとしても時効が成立しているのである。
また松本は、海軍がビッカース社を選択し金剛を購入したのは間違っていなかった、自分は私利私欲で動いたのでは無いと自己弁護することはできる。自己満足と言われるかもしれないが、人間を最終的に動かすのは宗教や哲学や伝統などに触発された「心情」である、法律や理屈では無い。