源氏名「城咲仁」の由来は
──人生で落ち込むような経験が、城咲さんをホストに向かわせたんですね。
「そうなんです。半年働いていなかったので、お金もまったくない。またバーテンに戻っても手取りはよくて20万円ほど。そう考えたら、ホストをやってみようって思った。バーテン時代に知り合ったホストを頼って『クラブ愛』(城咲さんが働いていたホストクラブ)に行ったけど、その人が来なかったんですよ。
店の入口でウロウロしていたら、“ちょっと忙しいから手伝って”って言われた。“まだ、面接もしていないですよ”って言ったのに、ホストクラブの席に座ったらスイッチが入ったように喋れて上手く接客ができた。お酒のつくり方も綺麗だし、喋りも得意なんで盛り上がる。お客さんからも“ちょっと、あのホストは誰? ”って言われて、“まだ面接もしてないです(笑)”って答えていました」
──最初から、ホストとしての接客スキルが高かったのですね。城咲仁と言う名前は誰が付けたのですか?
「僕ね、三日間だけ『隼人』っていう名前で働いていたんです。でもしっくりこなかった。急逝したバンドメンバーも助けることができなかったし、父にも不義理をしたまま。そんな自分に戒めもこめて、人が二人で『仁』、“仁義を大切にして城を咲かせる”という意味で城咲仁って名前を自分に付けたんです。僕が城咲って名乗るようになってから、キャバクラからホストまで水商売では“崎”じゃなくて“咲”を使うようになったんですよね(笑)」
──そこからナンバーワンホストになるために、どのような努力をしましたか?
「決意をした3月21日に、城咲仁としてのルールをノートに書いたんです。今でこそ、自分の中では当たり前になったルールでもあるのですが。
色恋(客と疑似恋愛すること)はしない、枕(客と肉体関係を持つこと)しない、表では客と会わない、煙草は吸わない、脚を組まない、ピアスを開けない、チャラチャラしたネックレスをつけない、胸元をはだけさせない……。ナンバーワンになるために、さまざまな戦略を考えたんです」
──ほかのホストとの差別化を図ったのですね。それ以外にも、戦略はありましたか?
「フリーのお客さんが来るのを待たずに、自らお客さんを歌舞伎町に探しに行きました。どこの馬の骨かもわからない城咲仁と言う人間を、歌舞伎町と言う街に覚えさせようって思って、毎日、新宿アルタ前からさくら通りを歩いていたんです」