実は『ゴルゴ13』に2人で出演?
──1996年5月掲載の『ゴルゴ13』「白龍昇り立つ」の回で、「世界的に評価された日本人が2人いた。フリークライミングの平山、それと冒険登山家の山野井」というセリフに登場しました。どんな反応が?
平山:“『ゴルゴ13』に出ていた平山さんですよね?”と、どれだけの人に言われたことか。
山野井:直接『ゴルゴ』とは関係ないけど…ちょっと話して大丈夫? 小学生のころから山歩きを教えてくれた叔父が、重い病気で長期入院したことがあって。僕も何度も経験があるけど、体がキツい状態で手紙を読んだりテレビを観たりするのは辛い。でも漫画なら、頭に入る気がしました。それで(『アルパインクライマー』の作画)山地(たくろう)さんに、叔父と僕の絵を描いてくれない?とお願いして。叔父はそれをベッド脇に貼り、そのおかげなのか回復した。漫画には、何か力があるのかもしれません。また例えばヒマラヤの高所、その極限状態でクライマーが経験することは、文章でも写真でも映像でも本当のところは伝わらない気がします。でも漫画なら、絵だったら可能性があるんじゃないか? 今チラッとそう思いました。
平山:僕もちょっと脱線していいですか?『アルパインクライマー』に、僕をフリークライミングの世界に引き入れてくれた檜谷さんが出てきて。その奥さんが、それをたまたま手にして嬉しかったと先日、僕の誕生日にお手紙をくださった。檜谷さんは亡くなってしまったのですが…あのときの情景が、漫画にそのまま描かれたようでした。檜谷さんが僕にクライミングを教えてくれたな、檜谷さんは確かにいたんだ! それが多くの人に伝わったのかなと。
【ふと亡き師を思い出して涙声になる平山の話に、微動だにせず、時に小さくうなずきながら耳を傾ける山野井。「『アルパインクライマー』のつぎは『平山ロングストーリー』かな」という言葉に平山も「いやあ」と思わず笑ってしまう。彼の悲しみがその場にいる人間に深く染み入りそうな気配が、スッと柔らかいものに変わった。2人の出会いは1984年、フリークライミングのルートが岸壁に数多く点在する静岡県城ヶ崎海岸だった。山野井19歳、平山16歳。】
山野井:マイナーなエリアで3~4人と新しいルートを開拓していたら、平山君がどこからか急に現れて。『ちょっとやってみます』と登り始めたら、当たり前だけど簡単に上までいってしまった。確か、それが最初だよね。
平山:どうも記憶が曖昧で… でも山野井さんの噂は聞いてました。覚えているのは(東京駅近くの)常盤橋公園です。
山野井:石垣でえんえんトラバース(横移動)してるのがいるな~と、それが平山君だった。(現在、石垣を登る行為は禁止)
平山:学校が終わった後、ビル掃除のバイトに行くまでの1時間半、如何に効率よくトレーニングするかで。