「最初は牧歌的な女子高生のオカルト文化サークルのようなものでした。そもそも、英美は通った梅花高女がキリスト教系で、在学中に洗礼を受け教会に通っていました。でも、会社勤めをやめ家にこもりがちになった時期に教会に通わなくなり、宗教書やオカルト本を熟読。
また、このころにいろいろな宗教団体を巡っていたように思われます。最終的に母親がGLAという宗教の会員になったのがきっかけで、英美もGLAの創始者・高橋信次の教えに傾倒しました。ところが、GLAには受け入れられず、そのうち、自身の身体に天使や霊が入り霊道を開いたと主張。教え子の女子高生らとチャネリングを楽しむようになっていったのです」
当時、GLAは創始者が亡くなり混乱期にあった。「霊道を開いた」という英美の元には、GLAの元会員や宗教家が集まるように。そこで英美の正当性を知らしめる本を出そう、という話になり、1977年、千乃裕子氏の名で『天国の扉』を出版。全国に広がっていった。
「千乃正法はGLAの高橋信次の教えを踏襲し、さらに、より詳細で具体的です。たとえば、たいていの宗教ではこの世とあの世は別のものとされると思いますが、千乃正法では『この世』しかありません。ですから、霊魂もあの世のものとは考えません。
霊も魂も化学的に生成される物質であり、大脳生理学・細胞生物学的なシナプスの働き、およびそこで機能する微弱電流が霊魂の原形である、という考えでした。千乃が電磁波を恐れたのもこのためです。千乃が掲げたこうした理屈は、1970年代に醸成されたオカルト世代には魅力的な理論だったようですね」
『天国の扉』に感銘を受けた読者から手紙を受け取った千乃氏は、丁寧に返事を書き、肉声テープを送るなどして会員を増やしていった。心身共に弱く、人前に出ることを嫌った千乃氏にはカリスマ性はなかったが、そのぶん千乃氏を慕って集まった会員たちが行動を起こしてくれた。白装束集団は、そうした「千乃のために」と善意で集まった人たちだったのだ。
「会員の方に手紙を出して、機関誌などの資料ではわかりにくかった点について、話を聞かせてもらいました。といっても、100通ほど出した手紙に対し、返事がきて取材に応じてくれたのは4、5人。協力者がなかなか得られなかったのが、苦労した点のひとつですね。
取材に協力してくれた60代の元会員の男性は、大学の帰りに本屋で立ち読みした千乃の書籍に共感し、会員になったそうです。彼のように、千乃正法会の初期の1970~1980年代に会員になった人は、そうした千乃が書籍などで表現していたものに、純粋に魅力を感じたのです。その男性によると、千乃正法は宗教でも科学でも政治でもないが、そのすべてである、だからこそとても新鮮だった、と語っていました」