「今回のように架空の人物を主人公にするときは特にそうで、読者に『こういう人いるなあ』と思ってもらうには、史実にもとづいて舞台を綿密に書かないと、すごく嘘っぽくなってしまうんですよね。そのためにも資料をたくさん読みます。ピンポイントで何か調べるというより、その時代に関する資料をたくさん読んでいって、面白いと思ったものをピックアップする感じです」
木内さんは野球好きとして知られ、別の新聞の企画で、戦争中に亡くなった野球選手の関係者に話を聞いたことがあるそうだ。
「捕手だった人が、『受けた瞬間に手が飛んだと思うぐらいすごかった』と言うんです。当時のミットが薄かったのかもしれませんけど(笑い)、見たかったな、もったいないなって思いました。その人がやりたかったことも、目指していたことも、全部なくなるのが戦争なんですね。いつかこのことを書きたいと思っていて、話を聞いた人の集合体が清一です」
清一と結婚し、清太を産むが育てられずに手放す、悌子にとっては敵役の、雪代という女性も忘れがたい印象を残す。連載終了時には、「雪代の人生を書いてください」というリクエストまで来たとか。
「ふだん、連載中は読者の反応を見ないようにしているんですけど、たまたま、新聞に載った、自分も養子に出されたというかたの投書を目にしたんです。『母親は出したくなかったけど、しかたなく出したんだと信じてる』って。人間はみんな多面体だから、『雪代には雪代の、ほんとにどうしようもない事情があったんだな』という気持ちになりました」
かたばみは、戦争中、よく食べられていた、誰もが目にしたことのある雑草だ。悌子たち3人家族のように、ハート形の葉が3枚つく。花言葉は「母の優しさ」「輝く心」。ささやかだけれど踏みつぶされていいはずがない、人々の暮らしがそこにあることを思い起こさせる。
【プロフィール】
木内昇(きうち・のぼり)さん/1967年東京都生まれ。出版社勤務を経て、2004年『新選組 幕末の青嵐』で小説家デビュー。2008年に刊行した『茗荷谷の猫』で話題となり、翌年、早稲田大学坪内逍遙大賞激励賞を受賞。2011年に『漂砂のうたう』で直木賞を、2014年に『櫛挽道守』で中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞、親鸞賞を受賞。ほかの作品に『笑い三年、泣き三月。』『ある男』『よこまち余話』『光炎の人』『球道恋々』『火影に咲く』『化物?燭』『万波を翔る』『占』『剛心』などがある。
取材・構成/佐久間文子
※女性セブン2023年8月31日号