ただし啓美本人は言う。〈逃げていたわけじゃない〉〈見つからなかっただけ〉と。
「彼女は無実の罪で捕まるわけにいかないから頼れる人を頼り、いくつか偶然も手伝って、いろんな名前や土地で生きることになっただけなんです。そういう誰かの生を書こうとすると、いろんな人が絡んでくるし、私の書く視点人物は周囲に流され、運ばれていく人として存在することが多い。実は私の小説は脇役が大事で、全員が主役になれるくらいのメンバーは常に取り揃えております(笑)」
川崎に潜伏中、連絡係の男に自分が乱暴されるのを泣きながら見ていた貴島に幻滅した啓美がまず頼ったのは、母と離婚後、新潟で新たな妻子と暮らす父だ。が、家に強引に転がり込んだ彼女を後妻の〈みどり〉はなぜか歓迎し、バレリーナ志望の小4の娘〈すみれ〉も啓美を姉として慕ってくれた。
そんな新潟生活も、父親の暴力に耐え続けた母娘のある企みを見守る形で終わりを迎えた矢先、〈自分になりすまして祖母と暮らしてほしい〉と声をかけてきたのが雑誌記者〈鈴木真琴〉だった。
真琴や鬼神町で「スナック梅乃」を営む80代の〈梅乃〉、啓美の生涯の思い人となるその店の常連で中国出身の技能実習生〈ワンウェイ〉や、彼の幻影に嫉妬しつつ啓美を抱く〈男〉としか書かれない男など、確かにこれは追われる彼女と彼女を取り巻く人々の物語でもある。
捕まらない方法は唯一逃げないこと
例えば1回1万円で成立するワンウェイとの情事を、〈金があれば、また同じことができる〉〈生娘を気取って泣く場面ではない〉と、あえて乾いた論理に落とし込む啓美の臆病さや薄情さ。また、実母と訣別し、偽の孫ながらも最期を看取った梅乃から人生の術を仕込まれた彼女には、血縁よりみどり達との〈利害関係〉の方が信じられる事実など、世間の誰に媚びるでもない本当の事が、独特のキレと情緒を宿す桜木節で語られるのもファンには嬉しい。
「節、ですか? 自分では全然わからないんですよ。特に今回は残酷な場面では自分でも気持ちが悪くなるくらい、見たまんまを書いていて、彼女が行く先々で誰と出会うかも、その場になって初めてわかる。
ただし私は虚構からしか見えてこない真実もあると教わってきた人間ですし、ウソを書いてるのにそれが本当だなんて最高でしょ? 産んでくれた親は親だけど、生きるスキルを授けた人も親だとか、気づくと家族の話ばかり書いてますけどね。その人が血縁以外も含めてどんな家族的関係を築いてきたかを抜きにはその人を表現しきれない、不器用なやつなんです(笑)」