プロレスは筋書きがあるからこそ楽しめる
私は現在、歴史に焦点をしぼった人文学の仕事をしていますが、もともと工学部(京都大学)出身のエンジニアでした。
学者として大きな進路変更を模索した時、ひとつの岐路がありました。人文学の世界になるべく溶け込む努力をするか、それとも自分のやりたいことだけを、わがままに突き進むか。私は後者を選びました。
ちょうどそのころ、猪木さんが異種格闘技路線を打ち出し、独自の道を開拓していたところでした。当時の私は自分の「人生の選択」を、リング上で戦う猪木さんとオーバーラップさせていたような気がします。
私が最初に出した著作『霊柩車の誕生』(朝日新聞社、1984年)は多くの人文系の研究者から「これはいったい“何学”なんだ?」と揶揄されました。私自身、どの学問に分類されるものかわかりませんでしたが、それが面白いと思ったから、後先を考えずに書きました。
私の背中を押ししてくれたのは、間違いなくアントニオ猪木でした。
プロレスには筋書きがある。だから面白くない──私はそうした一般的な世間の価値観に反発心を持ってきました。筋書きがあるからこそ楽しめることもある。
プロレスを「八百長」と言うなら、世の中に「八百長」は満ちあふれています。プロレスのリングで起きていることは、社会の縮図であり、人生を映す鏡でもあると私は考えています。
「迷わず行けよ、行けばわかるさ」という猪木さんの言葉を信じて痛い目にあった人もいるでしょう。しかし、行かなければ見えない光景はやはりある。私にとって、猪木さんは進むべき道に導いてくれた恩人ですね。
取材・文/欠端大林(フリーライター)
※週刊ポスト2023年11月10日号