人生を変える1球
──1981年、西本さんは18勝したが江川さんは20勝に到達し、投手5冠の活躍でした。しかし、「沢村賞」には西本さんが選ばれました。今だから言えることはありますか?
西本:あの時は江川さんが獲るもんだと思っていたし、周りもそういう雰囲気。蓋を開けてみたら俺だったから、「それは違うだろ」と強く思った。
江川:沢村賞受賞の連絡の時、ニシはどこに居たの? なんでこんなこと聞くかって、俺はセッティングされた会場に呼ばれて座ってたの。
西本:日本シリーズ前だったから多摩川にいた。チームメイトもなんで西本なんだって雰囲気で、「これは日本シリーズ頑張らないといかん」と思ったのを覚えてる。
江川:世の中的には俺がクレームを言っていると思っているよね。でも全然そういうのないからね。ニシは立派な成績だからそこは何とも思ってない。沢村賞受賞の夜にニシから電話をもらって「ニシは悪くないんだから」って言った後、「俺もほしかった」って喉元まで出かけたけどやめた(笑)。
──お二人にとっての日本シリーズとは。
西本:その1981年の日本シリーズでMVPを獲って、1983年でまた日本一になってたら、違った野球人生になっていたかも。
江川:西武との第6戦でしょ。俺は5回からブルペンで準備をしていて、肉離れしてたんだけど最後だから悪化してもいいやと思うくらい気合いが入ってた。それなのにニシがブルペンに来て、藤田(元司)監督が「西本」ってリリーフに送ったからビックリしたよ。
西本:俺もだよ。だって次の第7戦の先発なんだから。運動靴履いて応援してたら3対2で逆転して、いきなりコーチからブルペン行けって。「俺、明日先発だよ?」って思いながら慌ててスパイク履いて、ボールなんか何球も投げられない。
江川:9回裏は俺が行けばよかった。結局ニシが打たれて同点になって10回から俺が行ったけど、抜けてたからね。言い訳するわけじゃないけど、リリーフって気持ちが乗ってないとダメだから。
西本:第7戦に先発して勝ってたら、きっと俺の野球人生変わってたよ。やっぱり人生を変える1球ってあるよね。
江川:それってピッチャーにはつきものかもしれないな。ニシが最後に巨人に戻ったのは、やっぱり長嶋さんのもとで野球を終えたかったから?
西本:それはそうやな。色々良いオファーももらってたんだけどね。その決断もまた人生だよ。
江川:楽しかったよね。話せないこともいっぱいあるけど。
西本:一緒によくゴルフもやったしね。
江川:色々書かれたけど、一番仲良かったからな。
西本:でも食事に行ったことないんだよね。誘ってくれないし。
江川:俺は誘わない派だからさ(笑)。でも久しぶりに話せて良かったよ。
(了。第1回から読む)
【プロフィール】
江川卓(えがわ・すぐる)/1955年、福島県生まれ。作新学院にて数々の記録を達成した後、法政大学に進学しエースとして活躍。米・南加大野球留学を経て、1979年に読売ジャイアンツに入団。MVPなど多数の記録を残し、1987年に引退。現在は野球解説など多方面に活躍中でYouTubeチャンネル「江川卓のたかされ」が話題。
西本聖(にしもと・たかし)/1956年、愛媛県生まれ。1974年に松山商業からドラフト外で読売ジャイアンツに入団、沢村賞などを獲得。その後、中日、オリックスを経て再び巨人で引退。ドラフト外史上初の150勝を達成した。コーチとしても数々の球団で指導した。現在は野球解説者として活躍中。
※週刊ポスト2024年1月1・5日号