周囲に気を配り、蘊蓄をひけらかさず
文芸ジャーナリストで『週刊朝日』在任中に池波正太郎を担当した重金敦之氏は、池波流の酒の愉しみ方について、こう解説する。
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儒教の経典に学然後知不足(学びて然る後に足らざるを知る)とある。学ぶことによって、初めて自分の至らなさがわかってくるという意味だ。池波正太郎さんは周囲に気を配る人だった。同席の知人、友人には無論のこと、料理人やサービスの人に他の客の気分(立場)まで考えていた。混雑している店に長居するのを嫌い、次のお客さんが来るとすぐに店を出た。
銀座の女性を連れて懇意の鮨屋へ入ったら、女性は職人の前の席に座りたいという。店から勧められても「あそこは常連の席。ここでいい」と端の席を選んだ。
地方の料理を貶すことを嫌った。上方の味つけや東京風料理を認めない人は本物の江戸っ子でも大阪人でもないといっていた。
蘊蓄をひけらかすことは趣味でなかった。店の料理やサービスが気に食わなくて原稿に書いても、店の名前を出すようなことは避けた。酔った記憶はないと豪語したが、「飲み放題」のような店へは足を踏み入れない。酒や食べ物への敬意が忘れられるのを恐れたのだ。
かつて東京では、自分の立場や周囲の事情を読めない人は「気が利かないやつ」といわれ、最も恥ずかしい振る舞いと後ろ指を指されたものだ。
粋と野暮、通と気障の差は紙一重で、各人の考え方によって微妙な差異があるのは当然だが、池波さんと酒食を楽しんだ後は、いつも学然後知不足の学の字のところに「食」や「酔」の文字を入れたくなるのだった。
※週刊ポスト2024年2月2日号