ともあれ、ついに国から使用指定を廃止となったフロッピー、現状の普及率や使用頻度を鑑みれば遅すぎたと指摘する識者もあるが、先に述べたようにセキュリティや導入、もしくは慣れの問題と同時に「周りが使っているから」という面も大きかった。
官が率先してその見直しを進める、いかにも日本的かもしれないが、こうでもしないとデジタル庁の「デジタル原則に照らした規制の一括見直し」および「デジタル原則を踏まえたアナログ規制の見直し」は実現しないということなのだろう。
これも時代だが、あの5インチのガコンガコガコンとか、3.5インチのズーッズッズッとか、フロッピーを読み込むときの「音」に胸を高鳴らせた身としては少しさみしくもある。これらは筆者の「音」でしかないが、多くの当時を知る方々にはこれとは聞こえ方の違う、それぞれの「音」があっただろう。それはゲーム開始のときか、学校のレポートを書き終えたときか、懸命に働いていたときか、人それぞれのフロッピーの音があった。それほどに長く、私たちとともにフロッピーはあった。その思い出だけは記録され続ける、ということか。
ちなみに経産省、しばらくは「電磁的記録媒体」と表記改正されるだけで即「フロッピーは禁止」というわけではない。同時に表記の指定として消える「CD-ROM」と同様、あくまで義務化を排除、オンライン化のための見直しの一貫である。
それでも、私たちと共にあった「フロッピーという時代」が、この国では少々遅れたが、正式に終わろうとしている。
【プロフィール】
日野百草(ひの・ひゃくそう)/日本ペンクラブ会員。出版社勤務を経て、社会問題や社会倫理のルポルタージュを手掛ける。