ケガに泣かされた力士人生でもあった。新小結だった1964年初場所で足首を骨折。十両にまで転落したところから復活して、1967年に大関昇進を果たしている。その後、32場所にわたる大関在位中もケガの連続だった。そのまま引退ともみられていたが、1972年九州場所と1973年初場所で2場所連続優勝。32歳の遅咲きで横綱昇進を果たした。前出・相撲ジャーナリストが続ける。
「高齢だったことに加え、大関時代の成績が勝率.643と悪くてクンロク(9勝6敗)大関と揶揄されていたこともあってか、14勝1敗を2場所続けての連続優勝だったにもかかわらず、横審で長時間審議された末の昇進でした」
困難に立ち向かいながら番付を上げていった琴櫻だが、大関昇進に際してのエピソードが角界では語り草になっている。本誌・週刊ポストで角界の内幕を暴露していた元・大鳴戸親方(元関脇・高鉄山)は1967年9月場所についてこう明かしていた。
「琴櫻はこの場所で12番勝てば大関当確といわれていた。14日目までに3敗して、千秋楽の麒麟児(のちの大麒麟)戦を絶対に落とせない状況になった。もちろん裏工作はできた。ところが、その一番が大相撲になって土俵を行ったり来たりするうちに、琴櫻が足を滑らせて倒れてしまった。支度部屋に帰ってきた琴櫻が大泣きし、控えにいた柏戸さんと北の富士の2人は大笑い。酒を飲めば必ず出ていた話だ。結局、11勝でも大関に昇進できたわけですが」
まだ26歳の琴ノ若の将来を期待する声はどんどん大きくなっている。角界に様々な逸話、伝説を残した祖父を超えるインパクトのある力士となれるのか。
「琴櫻は押し相撲のイメージが強いが、右四つでも相撲が取れた。右四つから相手を腹に乗せてのつり出しや寄り切り、左からの上手投げも武器にしていた。琴ノ若が祖父のような鋭い立ち合いからの取り口を身につければ、横綱昇進も夢ではない」(前出・相撲ジャーナリスト)
※週刊ポスト2024年2月9・16日号