連続企業爆破事件で指名手配されていた桐島聡容疑者とみられる男が自ら名乗り出た末に最期を迎えた。その真意は何だったのか。『女性セブン』の名物ライター“オバ記者”こと野原広子が綴る。
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「東京になんか行って大丈夫なのげ?」
昭和50(1975)年の春、高卒で上京する私に郷里の人は皆、そう言った。その前年、過激派集団「東アジア反日武装戦線」による三菱重工ビル爆破事件が起こり、8人の死者が出た様子が繰り返しテレビニュースで流れていたから、東京で就職したら大事件に巻き込まれないとも限らないと言うの。
上京して靴屋の住み込み店員になってからわかったんだけど、私が勤めた店は都心の大手町から地下鉄で4駅目で、爆破事件の現場から9分という近さだ。東京の地理を知っていたら私だって二の足を踏んだわよ。
連続企業爆破事件は、私が靴屋の店先に立って「いらっしゃいませー」と言いつつ、人の足元ばかり見ていた頃を前後して次々と起こった。三井物産、間組など12件が攻撃された。
その一味に属していたのが桐島聡容疑者(当時20才)だ。私たちは50年近く、交番横に貼られた真面目で快活そうなカレを見続けたことになる。長年指名手配のポスターを見ながら、「意外と捕まらないんだね」「ものすごい整形をしていたりして」「東南アジアのどこかの国で現地の女性と結婚しているのかもよ」などと話題にしてきた。
しかし、まさか「内田洋」という偽名で神奈川・藤沢市内に何十年も住んでいたとは! 工務店に住み込みで働きながら「うっちー」と呼ばれ、好人物と思われていたというから驚くではないの。だけど、納得いかないんだなぁ。工務店に採用されたときの身分はどうしたのよ? メガネを変えたくらいでバレなかったのかしら。それとも一味が手引きしていたのか。
そういえばいまは、雇用主が従業員に住まいを提供する「住み込み」という雇用形態をほとんど聞かなくなったけれど、50年前は当たり前だったのよね。大会社には寮があったし、私が勤めた靴屋でも、社長一家と同じ屋根の下に従業員が住んで、職住一緒の生活を送った。私はそこで、社長夫人を「奥様」と呼び、その娘を「○○お嬢様」と呼んだ。もっとも、同性から「お嬢様」と呼ばれることに気が引けたらしく、娘は私に「○○さんと呼んで」と言った。それでも住み込みの肩身の狭さといったらない。「退職=住まいをなくすこと」だから、小生意気な盛りの18才の私でさえ、言いたいことの半分も言えなかった。
だから思うんだよね。桐島は、身分を隠しながらの住み込み従業員で、どれほど肩身が狭かったか。