「これほど楽しく夢のある仕事はない」
そんなマリで、なぜ村上さんはボランティアを始め、支援活動を続けてきたのか──。その30年にわたる想いが、2月22日に発売された自身のエッセイ『悩んでも迷っても道はひとつ―マリ共和国の女性たちと共に生きた自立活動三〇年の軌跡』(小学館)に生き生きと綴られている。
『アフリカへ単身旅立つ時は、「この先はない。これで一生を終えよう」と覚悟していた。50歳を目前に、ゼロへ向かっていく感覚を無意識に持っていたのかもしれない。だから、貯金を切り崩して私費を投じ、お金がなくても夢に向かって歩いてこられたと思う。
村上さんは、井戸掘りから始まり、自然環境の保護、識字教育と学校教育の普及、助産師の育成と産院開設、病気予防と衛生知識の普及(エイズやマラリアの予防、トイレの建設、健康普及員の育成など)、女性の収入獲得のための適正技術(裁縫や野菜園の設置など)の指導といった日常生活に必須なことを中心に、多岐にわたる活動をこれまで約30年間、マリの80か所以上の村で行ってきた。
村の人たちの信頼を得た一番の要因は、村上さんが事業面において約束をきっちり守っていたことに尽きる。皆に説明して行ってきた活動が、約束通り収入源になった。衛生面の向上により、安心して生活ができるようになった。
文字を書けるようになった人を活動のリーダーにするなど人々の喜びと満足感につながった。
『「ムラカミは大統領よりも信頼できる。約束したことを守るから」とお世辞とも思われることを言ってくれた時は、思い上がりかもしれないが嬉しかった』と村上さんは笑う。
夜のサハラ砂漠をベースキャンプのある村まで単独行をしたり、長い間、根深い不仲関係にあった村々が村上さんたちのボランティア活動の影響で解決の手打ち式をするに至ったり、女性の地位向上を活動の一環としているのに、一夫多妻が許されるお国柄ゆえのスタッフの理不尽な要望を拒否して大げんかをしたり。村上さんがマリの慣習や文化の違いを受け入れ、村の人たちと交流を深めることで、人材育成や事業の成果につながっていくエピソードにも引き込まれる。
そして、今、こう振り返る。
『もう一度人生を巻き戻すことができるとしても、私は迷いなくマリでの支援活動を選ぶ。これほどまでに楽しく夢のある仕事はない』
支援のモットーは、村の人々が自分たちの力で生活を切り拓けるようにすること
村上さんの支援活動のモットーは、「村の人たちが健康で幸せな生活を自立して構築するよう促し、できるだけ外部からの支援に頼らず、村の人自ら努力すること」だ。時には厳しく村の人たちと議論し、理解し合いながら進めてきた。
サコさんは村上さんについて次のように述べる。
「ケチなんですよ。村上さんは。欧米の支援活動団体は結構、無駄遣いすることがあって、村の人たちもいい思いをするのですが、村上さんは村の人たちをしっかり働かせて、その報酬を支払う。でもそれがとっても大事なんです。自分たちで頑張るということを村上さんから教えてもらったのだと思います」。
その言葉に、「ケチと言われてもいいけど、本当はもっと別の言葉がいいわ」と村上さんはばっさり言いながら、「でも、お金がなくても自分たちで工夫することをこの30年続けたので、村の人たちが自分の力で生活を切り拓いていけるようになったのよ」と述べた。