未来に向かって歩き始めた2人だが、苦労が絶えなかったという。
「専門学校に通っていた頃のTARAKOさんは一袋30円のパンの耳を“主食”にして、しょうゆやソースで炒めて食べるような暮らしぶりだったそうです。卒業後、1981年に『うる星やつら』の幼稚園児役で声優デビューするも声優だけでは生活が成り立たず、スーパーマーケットの試食販売や交通量の調査員などで糊口をしのいでいたといいます」(声優関係者)
一方のさくらさんは短大卒業後、上京して出版社に入社し、漫画を描きながら社会人生活を始めた。出費を抑えるため毎朝5時に起きて弁当を作って出社する日々で、営業に配属されたものの、外回りなどの主だった仕事は男性社員が受け持ち、女性社員の仕事は資料の整理や伝票の入力などの事務作業ばかり。会社の花見で芸を披露させられることもあった。
昭和の企業風土に翻弄されたさくらさんだが、転機はすぐに訪れた。入社した年の5月下旬、夜中に漫画を描いていたため業務中の居眠りが多い彼女に苛立った上司から、「夜の商売でもしているのかね」と問われ、さくらさんが「実は漫画を描いているものですから……」と答えると「会社か漫画かどっちかにしろ」と詰められて「そりゃ漫画にします」と即答し、わずか2か月で退職を決めたのだ。当時の心境をエッセイ『もものかんづめ』で、さくらさんはこう綴っている。
《こうして私の辞職はあっさり決まった。課長は「いやぁ、君は面白いから会社を辞めるのは残念だが仕方ないねェ」と最後まで色物担当の私に未練を残してくれた》
(第2回へ続く)
※女性セブン2024年4月25日号