6月13日、午後9時過ぎ。仕事から戻り、夕食の支度を始めた彼女は、帰宅する夫とその友人をもてなすため、得意の“なすのはさみ揚げ”を作ろうと、鍋に油を入れ火にかけた。そこへ、友人から電話がかかってきた。込み入った相談事だったため、キッチンを離れた。もちろん火は止めた、つもりだった。
電話で20分ほど悩みを聞いていると、焦げ臭いにおいが…。慌ててキッチンに戻ると、鍋から約30cmの火柱が上がり、黒煙が出ていた。
「どうしよう、火事になる!」
火がついたままの鍋を、鍋つかみでとっさに床に下ろした彼女は、手近にあった器になみなみと水を入れて、鍋に勢いよくかけてしまった。
「とにかく火を消さなきゃと、パニックになっていたのでしょうね。油に水を入れてはいけないのに、水を入れてすぐ濡れタオルで押さえれば、大丈夫と思ってしまって…」
その瞬間、鍋は爆発を起こした。水が高温の油に接触することで気化したために起こった水蒸気爆発だった。キッチン全体に火が回り、炎は渦を巻いて彼女に迫った。慌てて両腕で顔をかばう。火は、気づいたら鎮火していた。ほっとしたのもつかの間、なんとなく違和感を感じたため鏡を見ると、眉毛もまつ毛もなく、前髪は焦げてちりちりに。そして、元の顔とは違う、赤黒く焼けただれた顔と腕が映っていた――。
大火傷を負ったのは、杉村さとりさん(36才)。100万ドルの夜景で有名な香港のビクトリアハーバーを臨む高層マンションの一室で、人気のエステサロン『SHINE』を営むカリスマエステティシャンだ。8年前に開業、香港で働く日本人女性や駐在員の妻たちを顧客に持ち、“ゴッドハンド”と異名をとるその手技のファンも多い。
話は再び冒頭のシーンに。事故直後は興奮のためか、顔や腕に痛みは感じなかったが、火傷に気づいてすぐに浴室で頭から冷水のシャワーを浴びた。
「顔や両腕に黒い煤がついていたので、それを拭ったら、ぺろって、皮がむけたんです。慌てて夫に電話し、帰宅を待つ10分ほどの間、ずっと水や氷で冷やすことしかできませんでした」(杉村さん)
だがこの行動は、結果的に初期行動としては正解だった。その後、杉村さんが日本で診察を受けた火傷治療専門「川添医院」の川添修成院長がいう。
「火傷の救急措置は、熱に触れた部位をすぐに冷やすことが重要。最近流行っている消毒をせずにラップを巻く湿潤療法は、素人がやるのは危険なので絶対やめてください」
杉村さんのように揚げ物をしていて火傷する主婦や、炊飯器の蒸気や湯沸かしポットの湯をかぶってしまう子供など、日常生活で事故に遭うケースは少なくないという。
火傷で怖いのは、患部から体液など水分が出ていくための脱水症状だ。
慌てて帰宅した夫に連れられていった病院で、杉村さんは鎮痛剤を打たれ、ステロイド系の軟膏を塗られ、腕と顔を包帯でぐるぐる巻きにされたうえ、即入院となった。火傷の深さは、「II度」の中~深い程度。命に別条はなかったが、放っておけば色素沈着や傷跡が残る可能性もあった。
「記憶は曖昧なのですが、私は不安のあまり、夫に“顔が、無理。見られない。死にたい”と泣いて訴えたそうです。夫は“大丈夫、必ず治るから”と繰り返していました」(杉村さん)
入院翌日、おそるおそる見た鏡にはむくんでパンパンに腫れた顔があった。目はうっすらと開く程度。一方で、エステティシャンの命である手のひらが無事だったことに安堵した。
「仕事が続けられる!という喜びですこし元気になりました。仕事柄、サロンで使う商品や使用状況など、なんでも撮影しておく習慣があったので、ショックでしたが、自分の火傷写真も記録しておこうと思って」(杉村さん)
杉村さんと親しい「広尾プライム皮膚科」院長で、形成外科医でもある小橋美律さんは、杉村さんが更新したブログで火傷のことを知った。
「命に別条がないことでほっとしましたが、傷跡は残るかもしれないと思い、退院した後に治療のアドバイスをしたいとメールしました」(小橋さん)
仕事を休んで病室に付き添ってくれる夫や家族、友人や知人の励ましで、杉村さんは奮起する。
「泣いていても何も始まらないでしょう。もともと前向きなんですが、“絶対復活してやる”と、この顔をどうきれいに治すかを考え始めました」(杉村さん)
1週間で退院し、6月21日には日本へ。入院中からiPhone片手に徹底的に調べた結果、自費診療になるが、日本で納得できる治療を受けることにした。以下がその治療の一部始終だ。
貼り薬、LED治療、内と外から自宅でのケア、また、HGH(ヒト成長ホルモン)の分泌に役立つアミノ酸サプリメントを入院した翌日からいつもの3倍のむなどして奇跡的に復活。もともと料理好き。普段から日本食などを中心に栄養バランスを考えて作っている。
「より栄養を気にするようになりました。最近は、ようやく揚げ物をまた作れるようになりましたよ(笑い)」(杉村さん)
あくまでも前向きな杉村さん。「死にたい」と思うほどの大火傷から、彼女の美を追求する生き方が、短期間で美しい素顔を取り戻させたのだ。7月4日からは仕事に復帰し、また“ゴッドハンド”を発揮して女性たちに癒しを与えている。
「今回の火傷は本当につらかったですし、まだ治療中ですが、気づいたこともあります」(杉村さん)
日本へ治療に向かったとき、顔には火傷の痕が残っていた。薬を塗った顔を隠すため、深々と帽子をかぶり、サングラスもかけて隠したが、出くわした人々はその様子を興味深げに覗き込んだという。
「ジロジロ見られましたね。私はあまり気にしないほうですが、それでもにきびとかアトピーがひどいお客様の“見られる”つらさが、今回の件でわかりました。この経験をエステティシャンとして生かしていきたいです。不安はまだたくさんありますが、きれいになることをあきらめない、努力を続けていこうと思っています」(杉村さん)
※女性セブン2012年8月23・30日号