「自分さえよければいい」「他人なんて関係ない」という利己主義、個人主義の蔓延は、血縁や地縁の絆が強かった時代に比べて社会の弱体化を招いている。しかし、これは日本人本来の姿ではない、と日本史家の磯田道史氏はいう。江戸時代に生きた人々の「無私の精神」は、とかく利益や我欲に傾きがちな現代日本人の人生観に深い余韻を与えるはずだ。色欲におぼれず領民に尽くした早世の久留米藩10代当主・有馬頼永の生き様を磯田氏が紹介する。
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九州の久留米藩十代当主の有馬頼永(1822~1846)も、無私を強く意識した人物でした。 若様時代から政治に熱心で、親から妾をすすめられてもウンといわない。十代目を継いだ後は、毎日、執政たちの合議の場に出て藩政をリードしました。他藩では、たいてい家老たちに政治を任せきりでしたから、頼永は異色の藩主です。
彼はことに領民福祉のための財政再建には熱心でした。ただ、惜しむらくは病魔に侵されてしまう。頼永は病床にあって、うわごとのように安民の政治を語ったといいます。彼の時代はわずか2年で終焉を迎えてしまいました。
しかし、己を騙さず領民のための最善を尽くす彼の精神は、後の政治家のバックボーンとなります。西郷が「名も命も惜しまず」と無私を強調したのは、その好例です。先の総選挙で誕生した新政権には、ぜひ彼らの「無私政治」を見習ってほしいものです。
※週刊ポスト2013年1月25日号