適量が大事だとわかっていても、「酒は三献に限る」をどうしても守れず、飲み過ぎて後悔してしまうもの。酒を酌み交わして生まれる縁もあれば、壊れる絆もある。各界著名人が迷惑をかけた“あの人”を思い出しながら語った「泥酔録」には、酒を愛し、人を愛する「人生の滋味」が溢れている。
ここでは、野球解説者の金村義明さんが、元横綱・北勝海さんに謝りたいと語る出来事だ。
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日本酒を飲んで、骨までフニャフニャになった苦い経験があります。あれは北勝海関(現八角親方)が最後の優勝を果たした1991年の春場所(大阪場所)でのこと。彼とは1963年生まれの同い年で、前相撲時代からの仲やったんです。
稽古を見学してから、部屋の若い衆や近鉄バファローズ(当時)の後輩たちとチャンコ鍋をつつき、「出世酒」が始まった。これ、どんぶりに酒をなみなみと注ぎ、飲み干したらご返杯という、えげつないもんなんですわ(苦笑)。
越乃寒梅が2ケース、一升瓶で12本あって、それを全て空にしたんやから、えらいことをしてしもた。一人当たり、どんぶりで3杯はいきましたね。
その後、横綱のベンツで北新地に向かったんまでは記憶がある。けどクルマに乗った途端、身体の中のモンをぶちまけてしもたんです。胃液の最後の一滴まで吐きだした。当然、車内は汚物でグチャグチャ、僕は藤井寺にあった自宅マンションへ強制送還ですわ。
「二日酔い」っていいますが、あの時は正味「五日酔い」でした。ドアを開けた途端に倒れて一歩も動けず、翌日の夕方まで玄関で寝てました。記憶が戻るのに5日、1週間たっても頭痛がしてました。
一方の北勝海関は、悲惨なベンツで毎日、大阪府立体育会館へ通い、優勝したんやからホンマに頭が下がります。もし途中休場なんてことになってたら、僕は一生、彼の前に顔を出せなかったでしょうね。
※週刊ポスト2013年2月1日号