5月23日の東証平均株価急落では、新聞各紙に「期待先行」の文字が躍った。なぜ新聞は、こうした表現を使いたがるのだろうか? ジャーナリストの長谷川幸洋氏が解説する。
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株価が乱高下している。5月23日には東京証券取引所の平均株価が前日に比べて1100円以上も急落した。翌日の各紙は「期待先行の市場 暗雲」(朝日新聞)とか「期待先行 危うさ露呈」(東京新聞)といった具合に「株高は期待先行だった」と報じている。
だが、それで何かを伝えたのだろうか。株式相場が期待で動くのは当たり前ではないか。投資家は「株価が上がる」と期待して株を買う。そんな期待がなければ、だれも買わない。株取引はいつだって期待先行である。それなのに株価が急落すると、いつも新聞やテレビは判で押したように「期待先行だった」と批判めいて報じる。これはおかしくないか。
1つの理由は、記者たちが実は心の底でマネーゲームを苦々しく思っている。おカネは汗水流して働いた人に対する報酬であって、画面を見ながらクリックひとつで大金を手にする人をみると「なんだ、こいつは」と思っている。だから株価が急落すると「ほらみろ」という気になるのだ。
株取引をする記者がいないわけではないが、私の知る限り、朝から晩まで市況をチェックしているような経済記者は取材現場にいなかった。株取引をしていたら、急落場面では仕事にならないだろう。株をやらない記者たちがマネーゲームに冷ややかになる気持ちは分からなくはない。
もっと本質的な問題もある。記者たちは株価と実体経済を区別して発想する。株価が上昇しても「だからどうなの。実体経済はちっとも変わっていない」と受け止めている。実体経済で分かりやすいのは企業業績とか賃金、雇用だ。株高にはなったものの、まだ目に見えて賃金などに跳ね返っていないから、株高は「単に投資家という人種の期待を反映しているにすぎない」とみる。低迷している実体経済に比べて、株高は「期待が先行している」と理解するのだ。
今回の株価急落を正確に表現するなら、期待先行ではなく「過熱した期待の調整」ではないか。あまりに期待が盛り上がったので株価は急騰した。そこで、そんなに期待していなかった人たちが利益確定の売りに出た。買おうとする人より売ろうとする人が増えた結果、株価は下がった。だが、そこそこ下がれば、また期待する人が増えて株価は反転するとみる。一本調子の上げ局面が半年も続けば、そういうスピード調整を迎えるのは自然なプロセスである。
※週刊ポスト2013年6月14日号