今から3年前の2010年3月17日。東京高裁で行われた控訴審裁判で、兄弟による壮絶な争いが行われていた。
「戸籍上で兄弟であるというのは、本当に精神的に苦痛以外なにものでもございません」
長男を相手取り、3人の弟たちが主張したのは、長男と両親が血がつながっていないこと。弟の1人である四男は口頭弁論できっぱりとこう言い放った。
当時、長男の年齢は56才。結果的に血はつながっていないのだが、兄弟は50年以上もの歳月をともに生きてきたはずだった──。
2013年11月26日、東京地裁は、東京・墨田区にある賛育会病院に対し、出生直後に同病院で別の新生児と取り違えられ、本来と異なる人生を余儀なくされたトラック運転手の伊藤武史さん(仮名、60才)と3人の実弟に計3800万円の賠償金を支払うように命じた。
60年の時を経て、ようやく武史さんとの血縁が認められた3人の実弟たち。だが一方で、それまで長男として生きてきた不動産会社社長の竹田直紀さん(仮名、60才)との縁を切ろうとしていた。
1953年3月30日、武史さんと取り違えられた直紀さんは、都内で肌着類の製造業を営む資産家の竹田家で育てられた。直紀さんの下に3人の弟が生まれ、近所でも評判の仲睦まじい一家だったという。
「確かに弟さんたちとはちょっと似ていないかな、というのはあったけど、とりわけ仲が悪いといったところはありませんでしたよ。家族で旅行なんかにもよく行ってたし…」(近所の住民)
そんな家族に亀裂が入ったのは、1999年に母親が亡くなった頃のことだった。不動産や有価証券など約2億円にのぼる遺産相続を巡って、家族で話し合いがもたれた時だった。
「当初は遺産総額の半分を父親が相続し、残りを兄弟で分割し相続するはずだったんですが、直紀さんが“父親の面倒をみるから”と言って、弟たちよりも多く相続したそうなんです。その頃から、直紀さんと3人の弟さんたちとの間ですれ違いが起きてしまった」(社会部記者)
2004年10月に父親が脳梗塞で倒れ、認知症を患うと、弟たちと介護方針を巡って対立してしまう。
「直紀さんは介護に慣れた人の援助を受けたほうが良いと、介護施設に入れようと提案したのですが、弟さんたちは在宅介護がいちばんだと、結局次男と四男が自宅で介護をすることになったんです」(前出・社会部記者)
そして2007年10月7日に、父が他界すると、弟たちは父の遺髪と直紀さんのたばこの吸い殻でDNA鑑定を行い、翌2008年に直紀さんを相手取り、「血縁関係有無の確認」を求めて起訴。東京家裁は直紀さん同意のもと再度行ったDNA鑑定の結果を受けて、両親と直紀さんとの間に親子関係が存在しないという判決を下した。
しかし、その後の控訴審判決は長年の親子関係そのものに重きを置き、弟たちの訴えを退ける形となった。控訴審でのやりとりは冒頭のように壮絶を極めるものだった。
※女性セブン2013年12月26日・2014年1月1日号