どの分野も技術の進歩はめざましい。釣りの世界でもそれは同じだ。液晶画面をタッチするだけで可能になった最新式の釣りについて、長年、全国各地を釣り歩いてきた高木道郎氏が疑問を呈する。
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釣りは魚との対話である。海との対話ともいうが、いずれにせよ釣りは自然と語り合う遊びだという意味だ。
釣糸を海へ垂らす。糸を通して海や魚が語る言葉に耳を澄ます。それは流れの方向や強さや厚みであったり、水温、海底の起伏、明るさ、エサをくわえるモゾモゾという動きから感じ取れる食い気であったりする。反応が鈍ければほんのわずか狙うタナを深くしてみたり、オモリを軽くしてハリスを潮になびかせたりする。
傍から見たら釣りほど呑気な遊びはないが、じつはボケーッと釣糸を垂らしているわけではない。もう少しタナは上か。水温が下がったかもしれないからタナを下げてみるか。おや、潮が動き出したぞ。今日の魚は食い気があるな。そんなことをつぶやきながら一投ごとに仕掛けに手を加えたりしているのだ。一匹の魚を手にするまでのそういう対話こそが釣りの醍醐味だともいえる。
ところが、久しぶりにテレビの釣り番組で船釣りの様子を見て愕然としてしまった。釣り人が竿を船縁の竿受けに置いたまま、電動リールの液晶画面をタッチすると、ピピピッと反応したマイコンの指示で電動リールが勝手に仕掛けを下ろしはじめたのである。
釣り人はリールとセットになった魚群探知機の画面に見入って、竿さえ手に持たない。そのうちに竿先がしなるとリールがうなりを上げて巻き上げ、魚の引きに応じて巻き上げ速度を微調整する。釣り人は竿の曲がりを見ながら「いい引きだ、大きそうだ」などと隣の釣り人と話し込んでいる。
ピーッと甲高い音がすると釣り人は竿を起こして仕掛けをたぐり、魚を取り込んでハリを外す。エサを刺して仕掛けを垂らすとふたたび電動リールが勝手に釣りをはじめる。対話も何もない。
これは釣りだろうか。少なくとも私の思い描く釣りの姿はそこにはなかった。
文■高木道郎(たかぎ・みちろう):1953年生まれ。フリーライターとして、釣り雑誌や単行本などの出版に携わる。北海道から沖縄、海外へも釣行。主な著書に『防波堤釣り入門』(池田書店)、『磯釣りをはじめよう』(山海堂)、『高木道郎のウキフカセ釣り入門』(主婦と生活社)など多数。
※週刊ポスト2014年1月31日号