建設から50年以上が経過し、老朽化のために今年7月に解体される国立霞ヶ丘陸上競技場では、その歴史の中で幾多の名勝負が繰り広げられた。1991年の世界陸上東京大会では、2つの世界新記録を巡る“伝説”と呼ぶに相応しい名勝負があった。そして、そのどちらも「陸上界のスーパースター」カール・ルイスが主役だった。
大会3日目の男子100m決勝で、国立競技場は早くも興奮の坩堝と化すことになる。
ルイスはこの時30歳。年齢から、大会前には「限界説」も囁かれていた。一方、6月の全米選手権で9秒90の世界記録を叩きだしていたライバルのリロイ・バレルは24歳。“世代交代”が注目された一戦だった。
午後7時5分。国立競技場の静寂を、スタートを告げる号砲が破った。出遅れたかと思われたルイスだったが、長いストライドを伸ばし、後半、驚異的な追い上げを見せる。リードを奪っていたバレルを残り10mという所でとらえると、そのままゴールへと突っ込んだ。
「9秒86!」地鳴りのような大歓声に、国立競技場は震えているようだった。
5日後、ルイスは次なる「名勝負」の壇上へと上がった。男子走り幅跳び決勝である。ルイスはこの競技65連勝中。10年以上負けていなかった。この日も1回目でいきなり8.68mを記録。さらに4回目には、追い風参考記録ながら8.91mの大ジャンプを見せた。
男子走り幅跳びの世界記録は8.90m。1968年に高地のメキシコシティで記録されたこの記録は、「絶対に破られない」とまでいわれているものだった。
22年10か月ぶりの世界記録更新を、誰もが期待し、そして、それはすぐに現実のものとなる。ただし、ルイスによってではなく、同じアメリカのマイク・パウエルによって。
絶妙なタイミングで踏み切ったパウエルの5回目は、9mを超えたのではないかという大ジャンプ。電光掲示板に映し出された記録は、今も破られていない世界記録「8.95m」だった。
勝負の神様は気紛れだ。5日前とは一転、ルイスは世界新記録によって敗者となった。
※週刊ポスト2014年2月14日号