また、そのような店では〈共有〉が多い。カウンターで席を詰め、テーブル席で相席になり、同じ調味料や布巾を使い、別々にきた客同士が会話し、言葉を交わさないまでも店全体の空気を共有する。『居酒屋』ではコの字型のカウンターが多い、というのが著者の観察だ。構造上、全員から他の客が見え、逆に自分の顔も周囲に見られるため、共有意識が生まれやすいのだという。鋭い指摘だ。
そうした分析を行なった末、著者は『居酒屋』にとってもっとも大事なのは「人」と結論づける。店主、常連客ら生身の「人」によって『居酒屋』という場は成り立っている。逆に、「人」を排除しているのがチェーン居酒屋だ。そこでは店長も従業員も「組織の歯車」で、客はマーケティング対象の「顧客」でしかない。それゆえ『居酒屋』でのひとり呑みと違い、チェーン居酒屋でのそれは孤独そのものである。
多くの場合、『居酒屋』では、建物も内装も雰囲気もそこにいる人間も昭和を感じさせる。そこには、チェーン居酒屋が演出として表現する「模造品の昭和」とは異なる正真正銘の昭和がある。
今、そうした店が駅前の大規模再開発によって消滅し、チェーン居酒屋の攻勢に苦戦を強いられている。一方、チェーン居酒屋では、他者との「共有」を拒んだような個室に人気が集まる傾向もあるという。それらは単に居酒屋の問題にとどまらず、日本の社会から、まさに昭和的と言える人間的な温もりや、「共有」に代表される手触りのある人間関係が失われつつあることの象徴なのではないだろうか著者のそうした視点には大いに共感する。『居酒屋』と人間に対する愛情がたっぷり詰まった優れた論考である。
※SAPIO2014年5月号