――留年した新学期は、学校へ行きづらかったのでは?
柴田:これで行っていいのかなあと不安になりましたが、高校4年生になった瞬間に吹っ切れました。4年生になると新学期のオリエンテーションもありませんし、クラスも「4年以上」という6年生までの合同クラスになるんです。自分がその立場になって初めて気づいたのですが、4年以上生が予想以上に多かった。そして全員、お互いが名前も年齢も問わないし気にしない。過ごしやすかったですよ。
――下級生と一緒に受ける授業では、どんな交流をされていたんですか?
柴田:下級生からの主な評判は「なんかヤバいヒゲが体育の時間だけいる」でした。ワシは戦国武将や三国志が好きでして、それにあやかって17歳のときヒゲを生やしはじめていたので高校4年時にはしっかりヒゲをたくわえていましたから。よく何年生ですか? と聞かれました。
――懐が深い校風ですね。
柴田:高校での経験は大きいですね。卒業式で卒業生代表の27歳の方が「長くかかりましたが、卒業することができました」と話すのを聞いて、いろんな生き方があるんだと改めて実感しました。普通の高校へ行き、3年生でみんな一斉に卒業という高校生活だったら、この感覚がわからなかったかもしれないです。いろんな人がいる状況があるし、皆と一緒じゃなくてもいいというのが理解できたのがよかったですね。
――それまでは、同調圧力に屈してしまうこともあったのでしょうか?
柴田:みんなの中で輪から外れないように、思い切り変な奴にならないように気を回していました。高校入学時には、全員が理解できるギリギリの中でやっていこうとしていました。でも、卒業するころには別に気にしすぎる必要はないというスタンスに変わりましたね。
――その後、1年間の浪人生活を経て大学入学して、まったく新しい環境になりました。
柴田:小ぢんまりした大学で、入学して最初に同じ学科の人たちと交流を深める宿泊研修、フレッシュマンキャンプがあるんです。到着してすぐUNOで遊んでいたとき、負けが込んできて「これはまさに賤ヶ岳だ」と言ったら柴田勝家と呼んでくれて。その夜、夕飯を食べた後に全員の前で自己紹介する機会があったのですが、そのときみずから「柴田勝家じゃ」と名乗りました。それがすべての始まりです。
――卒業まで本名を知らない人もいたのでは?
柴田:最後まで覚えてもらえませんでしたねえ。文芸部に入部したのはそのあとで、そちらでは最初から何も恥じることなく「柴田勝家」です。