日本映画でも刑事モノやアクションシリーズ、時代劇などで、喫煙シーンは台詞をつなぐ「間」に使われたり、場面転換、煙による空間演出を表現したりするのに欠かせないアイテムだった。
ところが、近年の過度なたばこバッシングにより、作り手も委縮せざるを得ない状況に追い込まれている。大手映画会社の幹部が嘆く。
「昔の刑事モノといえば、捜査班のボスが事件解決後に決まって一服し、どうかしたら足で吸い殻を揉み消して颯爽と去っていくシーンもありましたが、今そんな作品を撮ったら大変です。
もちろん、敢えて荒唐無稽な作品にする必要はありませんが、合法でもあるたばこを使ったシーン自体がNGになれば、劇場の大画面だからこそ味わえる場面の深みや登場人物の感情表現、時代背景などの演出効果も薄れてしまいます。映画はわざわざお金を払って観に来てもらうもの。『表現の自由』を手放してしまったら終わりです」
映画評論家、野村氏もWHOの勧告は「まったくのナンセンスで、憲法で保障されている〈表現の自由〉の侵害にあたる」と断罪する。弁護士の中には、未成年者の「基本的権利」を奪うものだ――との指摘も出ている。
そもそも米国と同じように、日本の若者の多くが映画をきっかけにたばこを吸い始めるとは限らない。今から10年前に市場調査会社のマクロミルが発表した「タバコに関する意識調査」によると、喫煙を始めたきっかけのトップは「友人」(52.9%)で、「テレビ・映画」はわずか5.8%だった。
しかも、映画より身近なテレビやCMは、すでに自主規制の嵐が吹き荒れている。脚本家の倉本聰氏が〈まるで検閲のようにたばこの出てくるシーンを削除されてしまう〉と打ち明けているように、テレビドラマの喫煙シーンはめっきり見かけなくなった。
また、たばこ製品のテレビCMはとっくに消滅、嗜好品で残る酒類のCMも喉元を映して「ごくごく」という効果音を立てる表現を取りやめるなど、次々と制約が設けられている。それでもなお、若者に悪影響が及ぶというのか。
「表現の受け止め方は人によって違う。いくらカッコイイ主人公が紫煙をくゆらせたり、夜の酒場でウイスキーを煽ったりする映画を見続けたからといって、酒もたばこも一切やらない人はいる」
前出の40代男性が続けた意見はごもっともだ。2013年に宮崎駿監督の映画『風立ちぬ』の喫煙シーンを巡って物議を醸した際、当サイトでも経済アナリストの森永卓郎氏や生物学者の池田清彦氏らのコメントを紹介しながら、文化や芸術にまで介入する喫煙規制、多様性を認めない社会風潮について疑問を投げかけた。
WHOの勧告により再び論争が起きている今こそ、「表現の自由」の範疇はどこまでか、そして、映画やテレビ、CMにおけるたばこの規制強化は本当に必要なのか、改めて議論すべきだろう。