◆悲しいかな人間には限界がある
「隆房は真の悪党にはなりきれなかったと思うんです。結局、天文19年の決起は内通者がいて失敗し、翌年の大寧寺の変で結実しますが、義隆と嫡子・亀童丸の死後、晴英を呼び戻して当主に据えた隆房はなおも大内による西国支配と天下を夢見ていたんだと思う。元就はそこが甘いと言うわけで、2人の間には致命的なズレが生まれていきます」
かつて元就は隆房に言ったのだ。〈戦乱とは、世の中が生まれ変わるための苦しみではござらぬか〉〈この苦しみを生き抜かば、必ず、笑って暮らせる平穏がある〉と。
が、共に夢見た〈明日〉の姿は、大内の名に固執する隆房と、新たな枠組みを模索する元就の間で食い違い、天文24年、反旗を翻した毛利勢と厳島で対峙した隆房は35年の生涯を閉じる。
しかしなぜ隆房も元就も真意を察し合うばかりで、皆まで言わないのだろう。両人とも有能な英傑だけに、訣別が惜しまれてならない。
「僕らの日常でも、家内ならわかってくれると思ったら、全然わかってなかったりしますから(笑い)。肝胆相照らす仲だからこそ、察してほしいこともある」
その点、亀童丸が不義の子ではないかと疑う隆房が、ある家臣にだけ秘密を明かし、〈人の心が目に見えれば楽なのですが〉と言われるシーンが面白い。吉川氏は〈隆房は「おや」と思った〉〈しかとは分からぬが、大事なことを聞いた気がした〉と先を続け、心の見え方をむしろ逆手に取って謀反に突き進む隆房を描く。
「一方元就も隆房の言動からズレを察し、彼を見限るわけですが、彼らは勝つか負けるか、わからない中で悩み、決断しているわけで、その結果と結果の間でもがく人間臭い姿を、僕は小説に書いていきたいんです」
かく言う氏自身、小説を書き始めたのは37歳の時。
「社内で裏方の仕事をしてきたせいか、自分が何の役に立っているのか、わからなくなっちゃって。それでも文章だけは人より尖っている気がして作家を志しました。誰もが結果の見えない中で戦っているのは同じ。隆房の死後、〈天下への欲を持ってはならぬ〉と息子たちに命じた元就にも全部は見通せなかったように、人間には悲しいかな限界がある。でもその選択や決断の結果が、歴史なんです」
そんな隆房なりの正義を思ってか、氏は〈天意ではない〉〈人の世は人が動かすものぞ〉と最期に言わせている。自らと同じく悩み、戦い抜いた、時代を超えた友に寄り添うかのように。
【著者プロフィール】吉川永青(よしかわ・ながはる):1968年東京生まれ。横浜国立大学経営学部卒。会社勤務の傍ら37歳で投稿を開始し、2011年に第5回小説現代長編新人賞奨励賞受賞作『戯史三國志 我が糸は誰を操る』でデビュー。同シリーズ『我が槍は覇道の翼』『我が土は何を育む』の他、『時限の幻』『義仲これにあり』『誉れの赤』『天下、なんぼや。』『闘鬼 斎藤一』『化け札』等。173cm、88kg、A型。
(構成/橋本紀子)
※週刊ポスト2016年2月26日号