忠勝には意外な一面もあった。実は「容姿を気にしていた」というのだ。徳川家康の江戸入府とともに忠勝の居城となった大多喜城の跡地にある、千葉県立中央博物館大多喜城分館の一場郁夫・主任上席研究員はこう語る。
「本人の肖像画である本多忠勝画像は絵師に7、8度描き直しを命じ、9度目にやっと納得したものと言われています。また、その画像には自ら葬った敵の魂を弔うための数珠が金箔押にされ、それを襷掛けにした姿で描かれています。
兜の『鹿角脇立兜』の脇立は、何枚もの和紙を張り合わせ黒漆で塗り固めて鹿の角をあしらっており、自分の姿に対するこだわりが見え隠れします」
忠勝が家臣に遺した『本多遺訓』にも、以下のような一節がある。
「わが本多の家人は志からではなく、見た目の形から武士の正道にはいるべし」
これは「本多家の家人は、志よりもまず外見から武士の王道に入れ。外見を見ればその人の心根も見え、心の奥まで分かってしまうものである」という意味であるとされる。「人は見た目が9割」とされる現代にも通じるエピソードだ。
※週刊ポスト2016年3月4日号