習近平の登場からしてそうだ。江沢民、胡錦濤時代は金持ち優遇だったが、彼らをサポートしていた官僚や国営企業の幹部に改革の手を入れ、汚職も徹底的に取り締まってきた。今年3月6日の全人代(全国人民代表者会議)で李克強首相が真っ先に表明したのは、株価でもGDPでもなく、「貧困対策」だった。
大多数の中国人民は、民主活動家や人権派弁護士などに自分たちの意見を代弁してもらおうなどとは思っていない。共産党自身が過去の過ちを反省した政治をしてくれればいいと思っている。
生活が豊かになれば、共産党独裁でも、西欧型の民主主義でもどちらでもいいというのが、多くの人民の本音だ。習近平こそ、大衆の望む政治をやってくれるという期待が人民にある。
そうした人民の支持をバックに、習近平は自身への集権化を図る「全面深化改革領導小組」という少人数の意思決定機関までつくり、政策のすべてを決定できるようにした。自分に権限を集中させ、新たな発展モデルに着手しようとしている。
やっていることは文革と同じで、先祖返りでしかない。しかし、たとえ国際社会からの見栄えが悪くとも、これをやり切るのだと覚悟を決めた様子が、今春の全人代を通して見えた。私は、独裁者・習近平による圧倒的なトップダウンで難局を乗り切る可能性もあると思っている。
一にも二にも習近平の大衆人気が中国の今後すべてを決める。習近平は歴史に名を残す指導者か、国を亡ぼした最後の党指導者かのどちらかになるに違いない。
※SAPIO2016年6月号