19世紀のフランスの文豪バルザックは「われわれは幸福も不幸も大げさに考えすぎている。自分で考えているほど幸福でもないし、かといって決して不幸でもない」と述べている。68歳にして訪問診療の「研修医」となった鎌田實医師(諏訪中央病院名誉院長)は、研修で充実した日々を過ごしながら、バルザックの言葉を思い出し、残りの医師人生について思いをはせる。
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バルザックの言葉を思い出した。
ぼくは、末期がんや深刻な病の患者さんをたくさん診てきた。どんなに絶望的な状況でも、患者さんに希望をもってもらいたいと思ってきた。どんな不幸な状況のなかでも、幸せを見つける手助けをしたいと思ってきたのだ。希望や幸せが見つかると、患者さんの体の調子がよくなったり、表情が明るくなったりした。想像以上に長生きできた患者さんも少なくない。
70歳前後のAさんは、前立腺がんで多発骨転移があった。骨髄にも転移があり、うまく血液を造れなくなった。東京の有名な病院で「やるべきことはすべてやった。これ以上やることがない」と言われた。それなら、最後は大好きな蓼科にある山荘で死にたいと思い、地域包括ケアをしている諏訪中央病院にやってきた。
Aさんに緩和ケア病棟に3日間、入院してもらい、その間、訪問看護や訪問リハビリの準備を整えた。大病院から「やることがない」と言われたが、その人が生きているかぎり、やれることはいっぱいある。ぼくたちはいつでも全力投球を心がけている。
若い男性の理学療法士が、Aさんの訪問リハビリに入った。Aさんの山荘には温泉が引かれており、それがAさんの自慢だった。お風呂に入りたいというAさんを、理学療法士は背負って階段を下り、お風呂場まで連れて行った。
「悪いけど、一緒に入ってくれないか。そのほうが安心できる」
理学療法士は自分も裸になり、入浴を介助した。温泉で気持ちがよくなり、Aさんにいい笑顔が出た。奥さんが、入浴中の2人を、カメラに収めた。
その翌日、ぼくが訪問診療でAさんの山荘を訪ねると、奥さんがその写真を見せてくれた。なかなかできることではない。ぼくは若い理学療法士がとった行動に感心してしまった。Aさん自身も、きっとうれしかったに違いない。