ぼくは、Aさんのベッドサイドに行き、声をかけた。
「あなたの望むことをぼくたちはサポートしたいと思っています。何がしたいですか」
するとAさんは、こう答えた。
「ぼくは、鎌田先生にうちの自慢の温泉に入ってもらいたい。ぼく自身は、昨日入ることができ、とても満足している」
人間は人に何かしてもらうことだけでなく、人に何かしてあげることにも大きな喜びを感じる。Aさんは、ぼくたちを自慢の温泉でもてなしたかったのだろう。
「わかりました。診察の前に温泉に入れてもらいます」
ぼくは、同行したぼくの“指導医”と京都大学から研修に来ていた医学生を促し、3人で温泉に入った。またまた奥さんがカメラを持ち出し、写真を撮影した。それを見たAさんは、「家宝になる」と満面の笑みを浮かべた。彼は今も人生を楽しんでいる。
生きている以上、病気になったり、思わぬ不幸に見舞われたりすることはある。でも、大げさに考えすぎることはない。不幸のなかにも、必ず幸せはあるはずなのだ。ぼくの残りの医師人生、その幸せを見つける手伝いをするためにも、もう一度、自分の心に火をつけてみたいと思っている。
●かまた・みのる/1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。近著に『「イスラム国」よ』『死を受けとめる練習』。
※週刊ポスト2016年7月22・29日号