国庫支出金や地方交付金などの依存財源が9割以上という、村の財政にしてもそうだ。努力の射程には自ずと限界がある。地理的制約、もしくは宿命と言ってもよい。三島村役場の宮田氏は語る。
「今後は交付金も減らされるでしょうから、村税を上げなくてはならないと思います。人口を増やして少しでも雇用を創るため、移住者には牛一頭か金50万円で定住促進を続けています。あとは村の特産品づくりですが、これは今からだと思いますね。最近になって、役場主導ではない自発的な取り組みが見られるようになりましたから」
こうした努力はもちろん大事で、私もなんとか特産品づくりに協力できないものかと考えてしまったものだ。だがそれで改善されるとしても、自主財源が1割を超えて2割に近づくかとか、その程度のものだろう。
もし今後三島村が極端に潤うことがあるとすれば、それは村単独の努力の埒外で起こる巨大な変化に──「オスプレイを置けばいい」と冗談めかす島民もいた──身をゆだねる時だけだ。
幸いにして三島村は我が国という共同体の一員をなしている。県や国への依存を断つのは不可能だし、その必要もない。その分三島村は、豊かな経験──人材に直結する──という財を私たちに提供してくれるのだから。作家J・M・シングが描いたアラン島とアイルランド本国の関係に似て、三島村もまた我が国の複雑な魅力を維持するのになくてはならない存在なのだ。
村とは国の手鏡のようなもので、そこに映してみれば日本の、ふだんは気づかない姿が見えてくるものである。
※SAPIO2016年8月号