硫黄島からのフェリー出港。盛大な見送りを経験できる
村で4月に仕入れたばかりだと言う電動自転車をレンタルして、島をまわる。アップダウンの多い島なので、電動というのはいいアイディアだ。翌日はフェリーで黒島に行き、同じく電動自転車を借りたが、この時は一人を除いて誰も自転車の在り処を知らず、3時過ぎの暑い盛り、集落の人に連れられ小一時間も行ったり来たりする羽目になった。
これが都内だったら、ひどい対応、と相当に苛々しただろうに、むしろ思い出すだに愉快な経験だった。なぜそんな、のんきな心地になれたのか。紙数も限られているので、ここから村の経済活動に話を移す。
そもそもこの村は、消費活動と縁がない。黒島に赴任している女性教師は「鹿児島市内に帰る時はもう『爆買い』しちゃいます」と笑っていたが、さもありなん、ふだん全く買い物ができないのだ。
ところで消費とは、代価を払って欲望を充たすことだが、島に入った途端、この回路が成立しなくなり携帯電話も「圏外」が多くなり、そうすると、独りで張り切ってても仕方ないやという気になってくる。
つまり島の環境は、努力しても仕方がないと我々に教え諭す。より正確に言えば、努力してどうにかなるものとそうでないものとの境界を、明け透けに見せてくれるのが離島という一種の密室状況なのだ。
例えば私は硫黄島で、昼に浴びた「東温泉」の楽園的な野趣が忘れられず、夜も浴びに行った。大海原を前にして、蠍座を見ながらつかりたかったのだ。この欲望は、外灯の一つもない暗闇の中徒歩20分、という代価により充たされた。だが、出張時のお愉しみ、地元のスナックに行こうとなると、こちらはどんなに努力しても報われない。店がないのだから。