「長続きしない仕事のことや刺青の件で両親と頻繁に言い争いをするようになったようです。特に刺青に関しては、教育実習時の生徒や近隣住民に知られてしまい、両親が“消せ”と迫っていたそうです。夜中にお母さんが畳をバンバンと叩きながら泣き叫ぶ声も聞こえました」(近隣住民)
2012年12月、植松は事件の現場となった「やまゆり園」に非常勤として勤務。翌年4月に常勤の社員になった。当時を知る友人がいう。
「“小学校教師はハードルが高いから特別支援学校の教員を目指す”といっていました。その足掛かりとして、障害者施設に入ったそうです。最初は仕事にやりがいも感じていたようですが、次第に“仕事が大変だ”と愚痴をこぼすことが多くなった。植松の体に刺青がどんどん増えていったのもこの時期です。
両親の反対を無視して刺青を増やしたものだから、関係はさらに悪化。2013年の冬についに両親は、新たに中古マンションを購入して引っ越してしまったそうです。もはや親子関係は修復不能だったのでしょう」
不安なことがあるたびに刺青をいれていたという植松。その頃には有名彫り師による和彫りが、両肩から胸、腕を彩っていたという。
図工教師を父に持ち、母親は美大出身で漫画家。芸術一家に生まれ育ったためか、植松も刺青にのめり込んでいった。
「美意識は高かった。よく“容姿に自信がない”と漏らしていて、金髪にしたり目鼻立ちまで変わっていった」(前出・友人)
※週刊ポスト2016年8月12日号