「国会議員への誘いは今まで5回ほどありました。興味ないし、利用されるだけですから」──。1970~1980年代にかけて、マラソン界を引っ張ってきた宗兄弟の兄・茂(63)にとって、モスクワ五輪(1980年)のボイコットは忘れられない。
カリフォルニアでの合宿を終える頃、監督が「ハワイに寄ろう」と珍しくバカンスを勧めた。「練習優先」と断わり、成田空港に着くと、報道陣から不参加を知らされた。
「監督もいい出せなかったんでしょうね。地獄に落ちた気分でしたよ。モスクワ五輪を経験していれば、ロスでの調整ミスはなかったでしょう」
期待されたロス(1984年)では、暑さ対策のために練習をし過ぎ、疲労困憊のままスタートラインに立っていた。
「当日になっても、気持ちが全く高ぶらなかった。レース前に文庫本を読み始め、3時間で読み終えたほどだった」
17位という苦い経験は旭化成の監督になって活かされ、バルセロナ(1992年)では森下広一を銀メダルに導いた。現在は、宮崎県で『気功健康塾』を営んでいる。
「監督を始めた頃、自分に気功の素質があると気付いた。体が痛くて悩んでいる人の自然治癒力の回路を開きたい」
(敬称略)
●撮影/藤岡雅樹
※週刊ポスト2016年8月12日号